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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第一章
7/71

合わせ鏡の魔術師 -7-

 少年は息を呑んだ。

 目下には聖堂騎士の亡骸が、惨めに転がっている。

 何故こんなことになっているのか、そして今何が起きているのか……押し寄せる恐怖と混乱は、徐々に大きく膨らんでいた。


 ………………





 少年が異変に気付いたのはつい先程。

 自室で書類に目を通していて、一区切りついたのでそろそろ休もうとしていた矢先だった。

「……?」

 何やら下の階で騎士団が慌しくしているらしい気配がある。不思議に思い、確かめてみようとドアへと近付き、取っ手に手を伸ばした、その時。


「なりません」


 抑揚のない声に、制止された。

 ドアの取っ手を、声の主が右手で遮るように隠す。それはドアの脇で少年の警護に当たっていた、少年専属の若い聖堂騎士、シャルフ=フリューゲルだった。

 ダークグレーの少し癖のある長い髪に、感情を宿さない黄金の目が強烈な威圧感を放つ騎士。

「シャルフ……ですが……」

 歯切れの悪い言葉と共に、自分よりも頭一つ分は大きい騎士を見上げた。

「賊でも入ったのでしょう。騎士団に任せておけば、すぐに収まります。ルーウェント様は気にせずお休みください」

 シャルフはやはり抑揚のない、無感情な……よく言えば事務的な口調で言った。

 ルーウェントと呼ばれた少年は、数瞬その場で逡巡すると、

「!?」

 強引にドアを押し開けた。

 これまでの付き合いから、シャルフを相手取る時は言葉で説得するよりも、多少強引でも行動に移した方が早いと知っていたからだ。

 突然の事態に、黄金の目に僅かだが驚きの色が滲む。

「ルーウェント様!」

 すぐにルーウェントを庇うようにその前に出て、剣に手を掛け辺りを窺う。

 しかし廊下はしん、と静まり返っていた。

 廊下は奥へ向かうほどに暗く、それは闇へと(いざな)っているかのように口を開き、入り込む月明かりがぼんやりとした窓の輪郭を浮き上がらせている。

 真夜中の、静寂。

「……ルーウェント様、お部屋にお戻りください」

 シャルフは小さく安堵の息を吐き、その場から動く様子のない主君に声を掛けた。

「……」

 だが、ルーウェントは闇に溶ける廊下の先を静かに見つめている。

 見慣れた光景に、普段と変わらない夜の静寂。

 しかしルーウェントは、その中に不自然な影を見つけていた。子供ほどの高さのある、影。

 最初は何か分からなかったが、だんだんと闇に目が慣れてきて、その正体を捉えた。通路の脇、闇に紛れたその影は、人だった。普段衛兵が警備のために立っている場所に、蹲るようにして倒れている。

「シャルフ……!」

 その声に小さく頷き、シャルフが倒れている衛兵へと近付いた。ルーウェントも後に続く。不安と緊張が胸を締め上げる。

 その衛兵は壁に背を預け、ぴくりとも動かない。

 シャルフが隣に膝を折り、息を確認する。

「……生きています。眠っているだけのようです」

 ルーウェントに向かってそう言いながら立ち上がり、奥にもう一人倒れている、この騎士の相方へと視線を走らせた。

「しかし、一体何が……?」

 怪訝そうにシャルフが眉を顰める。

「何らかの、魔術のようですね。しかも強力な……」

 ルーウェントが言った。

 そして、付け加える。

「ただの賊にしては、おかしいと思いませんか?」

「……」

 シャルフは答えなかった。

「様子を見に行った方がいいと思います。もちろん、シャルフも来てくれますよね?」

 多少の逡巡の間の後に、ふう、と小さく溜息をついて、

「言い出すと聞きませんからね、あなたというお方は……但し、私から絶対に離れないでください」

 半ば諦めたように言う。

「ありがとう、シャルフ」





 そうして今、少年――――ルーウェントは騒ぎの起きている大聖堂一階にいる。

 だが、何の気配もない。

 先程までの騒然とした空気がどこかへ行ってしまったかのように、血の匂いと言い知れぬ息苦しさだけを残して静まり返っていた。

 シャルフも同じく異変を感じ取っているようで、鋭い目が警戒の色を強めている。

 とその時、こつこつと廊下に響く微かな靴音が聞えた。靴音は徐々に二人へと近付いて来る。

「ルーウェント様、決して私から離れぬよう……」

 その言葉に静かに頷く。

 咄嗟に抜けるよう、剣の柄に手を添えたシャルフが靴音のする方向を睨む。

 こつこつと早足で、そして確実に近づいている靴音。それはどうやら、今し方二人が降りてきた階段から響いているらしい。

 こつ、と最後の一段を降り、人影がふわりと揺れた。


「!?」


 その人物を確認するなり、シャルフは構えを解いた。

「……セア様……このような時間に、どうかされましたか?」

 たった今現れた相手に、事務的な口調で訊ねる。

「シャルフ……? あなたこそ……」

 階段を降りてきたのは、二人もよく知る一人の少女だった。シャルフの姿に一瞬驚いた様子のこの少女セア=テレフティオスは大司教の一人娘であり、ルーウェントの身の回りの世話を担当している神官だ。

 彼女はシャルフの背後に庇われるように立つルーウェントの姿を確認すると、安堵の表情を浮かべた。

「ルーウェント様、ご無事でしたか……! お部屋にいらっしゃらなかったので、御身に何かあったのではと思って探していたのですよ!」

「すみません、セア。……でもどうして僕を……?」

「賊が侵入したと聞いた後に、騎士達が次々と死んだように眠ってしまったんです。それでルーウェント様が心配になってお部屋に伺ったのですが……」

 それを聞いたルーウェントが「そうですか」と呟いた。先程の衛兵の様子が思い出される。

 シャルフを見上げると、険しい表情のまま無言で小さく頷いた。

「実は、僕たちもそのことが気になって様子を見に来たんです。どうやら、ほとんどの衛兵が同じ状態かもしくは……」

 ちら、と伏せた視線だけを骸と化した衛兵へと向ける。

 つられて視線で追うセア。

「……!」

 すぐに理解したらしく、セアは両手で口元を覆った。

「何人かは、あの状態でした……動ける騎士はシャルフくらいしかいないかもしれません。恐らく侵入した何者かが魔術で眠らせ……」

 突如、不自然にルーウェントの言葉が止まった。

 大きな翡翠色の目が見開かれ、その表情は引き攣り、身体は固まったように動かない。


 ――――背後に感じる、凶悪な気配。


 正面にいるセアも、ルーウェントの背後を見つめたまま言葉を失っていた。

 確実に自分の背後にある、気配。悪意と憎悪が塊になったような、気配というにはあまりにも明確で、あまりにも鮮烈な、存在感。

 ルーウェントは静かに、肩越しに振り返る。


「――――!」


 そこには、今にも闇に溶け込みそうな……それでいて闇に浮かび上がるような一人の青年が文字通り宙に“浮かんで”いた。その青年は闇のように黒い魔導着を纏い、さらりとした銀色の長髪を一つに束ねていた。

 宙に浮いた青年は、ゆっくりと優美な動作でつま先から地面に降りると、子供のように無邪気な、そして恐ろしく冷酷な微笑をルーウェントに向けた。

「――――初めまして、法皇様」

 ルーウェント……いや、法皇に恭しく一礼をする。

 氷のように冷ややかな目が、ルーウェントを射抜くように捉えている。

「……」

 ルーウェントは答えることも動くこともできず、引き攣った表情のまま青年を見つめていた。同じくセアも青年から溢れ出す禍々しい空気に気圧され、ただただ立ち竦んでいる。

 そしてシャルフも、青年が近付いていた気配には全く気付けなかった。不思議なことに、青年の気配を感じた時には、すでに青年はそこにいたのだ。足音も、布擦れの音も一切気がつかなかった。

 セアに気を取られていたからなのか?

 いや、それだけでは説明がつかない。今まさに感じている、肌に纏わりつくような圧倒的な存在感。これだけ接近されるまで気付かないなどあり得ない。

 言うなれば“何もなかった空間に突然現れた”ような……

 その時、青年とシャルフの視線が重なった。

 美しく澄んだ、紫の瞳と。

 深く、(クラ)く、吸い込まれてしまいそうな瞳の奥に溢れているモノと……

 ぞわ、と鳥肌が立った。


 ――――この青年は、危険だ。


 直感が、本能がそう告げる。

 次の瞬間、シャルフは流れるような動作で剣の柄に手を伸ばし、青年へと斬り掛かっていた。






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