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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
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禁じられたソレムニス -14-

 ほどなくしてルーウェントは中庭に到着した。

 背後に響く罵声から、半ば逃げるように。

 声の届かなくなった静かな中庭で、ようやく肩の力が抜けた気がした。屋外の明るさの中で深呼吸をすれば、いっぱいに広がる花の香り。仄かに甘いそれは、張り詰めていた緊張の糸を自然と緩めてくれる。しばらく歩けば、激しい動揺から早鐘を打ち鳴らしていた心臓も、落ち着きを取り戻しつつあった。

 中庭は周囲をぐるりと建物に囲まれた造りになっている。その一階部分、等間隔に並んだ柱だけで中庭と仕切られた通路には、衛兵が定位置に姿勢よく立っていた。彼等の刺さるような視線を受けながら、ルーウェントは中庭を歩く。これさえなければ毎日の散歩ももっと快適なのかもしれないと、時折思う。

 しかしその視線に微かな違和感を憶えるのは、シャルフを連れていないせいだろうか。隣を歩くセアも、どこか落ち着かない様子だ。

 空を見上げれば、長方形に切り取られた狭い青空からは太陽がいなくなっている。残りの書類は今日中に終わるだろうか。

 そんな余計なことを考えてしまうのは、先の恐怖から逃れたいからだと自覚があった。同じ理由からだろう、普段なら何気ない会話と共に歩く道なのに、今日は言葉が見つからない。いや、声を掛けづらいのはセアも同じなのだろう。互いに探るような視線が泳いでいるのが分かった。

 気まずさを紛らわせるように、手入れの行き届いた草木にばかり向いてしまう視線。周囲の空気が密度を増して覆い被さってくるような重苦しさだけが、二人の間に満ちていた。

 気付けば、ほとんど会話もないまま中庭を一周していた。

 あまりのんびりする時間もないので、二人はそろそろ執務室に戻るべくアーチを潜り中庭を後にする。気分転換のつもりだったが、目的を達したとは言い難いほど気持ちも足取りも重い。セアと目が合えば、困惑した笑みが返ってくる。

 中庭に沿った通路を二人分の足音だけを聞きながら進んでいると、正面の十字路を横切ろうとする人影が目に入った。一般の聖堂騎士と若干異なる騎士服は、今まさにルーウェントが探していた相手そのものだ。

 セアも気がついたらしく、小さく声を漏らしたのが聞こえた。

「シャルフ!」

 その姿が角の向こうに消えそうになったところで、呼び掛けた。

 こちらに気付いたシャルフも足を止めると、すぐさま爪先をルーウェントの方へと向けた。気のせいかもしれないが、いつもより視線が鋭いように感じた。

 シャルフはカツカツとブーツの音を響かせながら、足早にルーウェントの元までやって来て軽く一礼をした。その歩みはどこか乱暴な気もしたが、再び持ち上げられた顔には普段と何ら変わらない無表情があった。

「こんな所にいたんですか。探しましたよ」

「申し訳ありません」

 次いで返ってきた謝罪も、普段と変わらない事務的な口調。少し首を捻っていたルーウェントだったがその様子に、単なる思い過ごしだったのだろうと胸を撫で下ろす。シャルフの眼光が鋭いのは決して特別なことではないし、勤務に真面目なので傍を離れたことに責任を感じているのだろう。

 そのことを咎めるつもりもないので、ルーウェントは首を振った。シャルフは恐縮した様子で、再び頭を下げる。

「何をしていたんですか?」

 まるで手本のようなお辞儀をし、非の打ち所もないほどすっと背筋を伸ばして立つシャルフに訊ねる。もしかすると報告が必要な内容かもしれないので、先に訊いておこうと思ったのだ。素直に言うなら、ルーウェント自身が気になっていたからでもある。

 口を開きかけたシャルフが一度、ルーウェントの隣に立つセアにちらと視線を動かした。しかし報告の際にセアが同席していることも珍しくはなく、問題ないと判断したのだろう、そのまま続けた。

「……他の騎士に呼ばれ、少し手を貸して欲しいと」

 抑揚の少ない口調で最小限の言葉しか並べないのは、いつものことだ。

「へえ、珍しいですね。仮にも僕の専属であるあなたが呼ばれるなんて」

「はい」

 簡潔なシャルフの返答に、素直に驚きを示すルーウェント。だが、すぐに納得がいった。大司教とその他大勢の神官、そして護衛の騎士が留守にしているのだ。人手が不足したとしても不思議ではない。

 納得がいったところで、執務室に戻りましょう、とセアが言った。

 二人が同時に頷く。

 先導するために振り返るシャルフの、皺ひとつないマントが揺れた。


 ……………………




          ◆       ◆       ◆




 日暮れ後の森は、身を潜めておくには申し分ない。

 木々の隙間に大聖堂を覗きながら、ヴァイはその時を待っていた。

 低い位置にある満月は木々に阻まれて見えないが、その光が空を黒ではなく、蒼く蒼く彩っている。時間が経つにつれ大聖堂の窓から漏れる灯りもひとつ、またひとつと消え、空の蒼がじわじわと手を伸ばしてゆく。それはまるでヴァイ自身の戦意と決意が、ことごとく摘み取られているような気にさせる。

 ヴァイは自分を奮い立たせるように軽く頭を振った。

 余計なことを考えている暇はない。もう随分夜も更けている。

 そろそろ、頃合かもしれない。

 一度深く息を吐くと、傍に立つシュネイとレーヴェに目配せをした。二人は無言のまま頷いた。

 仕掛けたら後には引けない。今一度レーヴェに確認しようかとも思ったが、ぎらぎらと光る紅蓮色を見てその必要はないのだと察した。


 レーヴェは言った。

「思い出せねぇんだよな。オレの村を焼いた奴の顔」

 確かに見たのに。そう付け足して自嘲気味に笑った。

 当時の話を聞く限り、レーヴェは妹の転移魔術によって難を逃れたようだった。それも、妹が斬殺される、正にその瞬間にだ。

 それは子供だったレーヴェにどれ程の衝撃と絶望を与え、どのような痕を残しているのか、他人が想像するには余りあるに違いない。

 恐らく、痛烈なまでの衝撃を受けたことによって、転移する前後の記憶に空白が生じてしまったのだろう。もしくは斬られたことで魔術が阻害され、不完全な状態で発現したため、レーヴェに何らかの影響を与えた可能性も考えられる。

 そしてそれは、レーヴェにとって最も重要な部分の記憶を奪う結果となったのだ。

「だからもう、一矢報いるなら大聖堂しかないだろ?」

 空虚な憎悪は、再び笑った。


 それが今回、レーヴェが同行を求めた理由そのものだった。

 レーヴェが何をしようとしているのか、想像には難くない。本人にとって苦渋の選択であることも。

 仮に聖教会が崩壊したとしても、最も討取らなければならない相手を手に掛けることが叶わなければ、少なくともレーヴェにとって一切の意味も価値もないのだ。それが聖教会全体への報復を選んだのは、僅かな諦めと、何もせずにはいられないという想いが純粋に焦りとなり、その焦りが限界を突破してしまった結果なのだろう。

 だが、本来のヴァイならば今回ばかりは止めたと思う。証左なのか、今は同行を許したことへの後悔と、自己への不理解と困惑が拭えないでいる。

 何かが噛み合っていない。

 何かが狂っている。

 原因だけは確信があった。

 ザインとの、同化だ。

 あれ以降、ヴァイの中にはまるで自分のものではないような感情が湧くようになった。気付けば聖教会への憎しみと殺意ばかりが意識を支配している。

 僅かな交錯を起こしただけで、ヴァイの自我は想像以上に磨耗していた。

 今回レーヴェの同行を拒否できなかったのも、そのためだった。自分が望んだのか、ザインが望んだのか。それすら判別できない。いや、今となってはどちらでも関係のないことだ。

 本当ならばこの場にいて欲しくない、頭半分ほど背の高いレーヴェを盗み見た。ヴァイよりも強く、揺るぎない決意を秘めた復讐者。漠然と羨ましくもあり、恐ろしくも感じられた。

 迷いの感じられないレーヴェの姿に、無意識に口元が引き締まる。

 そうだ、今日こそザインを仕留め、全てを終わらせる。

「…………」

 ヴァイは大聖堂を睨むように見据えた後、目を閉じた。

 足元に、巨大な魔法陣が展開され始めた。


 ……………………






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