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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
66/71

禁じられたソレムニス -13-

                  ◆


 とんとん、と重ねた書類を軽く揃え、ルーウェントは壁掛時計に目をやった。

 今朝はフォーゲルブルクに向かう大司教を見送ったため、執務が少し遅れている。机上に積まれた処理待ちの書類と、その横の箱に入った未開封の羽書を見て疲れた息を吐いた。

 もちろん全ての書類がルーウェントの下へ上がってくるわけではない。特に聖教会内部での事務処理は下で済むことが多いのだが、信徒から寄せられる羽書の類は法皇であるルーウェント宛のものも少なくはない。そして自分宛の羽書は自ら封を切るのが小さな信条でもあった。

 それら全てに自ら目を通そうとしている自分も多少なり変わっているのだろうが、今のルーウェントにできることは決して多くないため、せめてもの罪滅ぼしだという意識が強い。

 法皇というのは立場だけであって、実際に舵取りをしているのはルーウェントではない。認めたくはないが、現実だった。

 無論この状況にずっと甘んじているつもりはないが、今のルーウェントは行動を起こすだけの勇気も力も持ち合わせていなかった。仮に法皇として手腕を振るうことになったとして、現状を改善へ導くことが可能なのか。それすら自信がないのが本音だ。

 こんな時に先代法皇であった父がいてくれたら、と思わずにはいられなくなる。

 考えても考えても、焦るのは気ばかりだ。


「急ぎの書類は終わりましたし、少し休憩されてはいかがですか?」


 処理済みの書類を送付先別に仕分けしていたセアから、気遣わしげな言葉が掛かった。ついつい考え込んでいたルーウェントは、言葉を飲み込むのに一瞬の間が空いてしまった。

「いえ、そういうわけにも……すでに書類は溜まる一方ですしね」

 困ったような笑みを浮かべながら、首を振った。その苦い笑みと共に、日に日に厚みを増してゆく書類に手を置いた。

 最近の襲撃事件の影響で、破壊された聖堂の修復、新たな司祭や神官の派遣など、今までは必要のなかった事務処理が圧倒的に増加していた。信徒からの羽書も急激に増え、多い時には返事はおろか全てに目を通すことができない日もある。

 そして事務の増加だけならばまだ良かった。

 同じ理由から、明日は我が身かと不安を募らせる者も多く、内部すら不安定になりつつあるのだ。内部が浮き足立ってしまっては、信徒を安心させることもできない。

 本当ならば法皇である自分が筆頭に立ち、先の見えない闇から脱却する術を探さなければならないのだろう。しかし自分にそれだけの力量があるのか、また弱冠十五の自分が周囲の信頼を得ることができるのか、ルーウェントには全く分からないのだ。

 ましてや大司教がそのようなことを許すはずもない。

 この状況下において、何故同じ聖職者が手を取り合うことができないのだろう。自分の考えが甘いのかもしれないが、ルーウェントにとっては悲痛な願いだった。

「そうだ、少しお散歩されてはどうですか? 気分転換をした方が、お仕事もはかどるかもしれませんし」

 セアの提案に、はっとして顔を上げた。

 自分がどんな表情をしていたのか嫌でも想像がつき、同時にセアの気遣いが申し訳なく、きり、と締め付けるような自責の念がじわじわと押し寄せる。

 きっと、皆の目には頼りないだけの法皇として映っているのだろう。

 次々と湧き上がる自己嫌悪を誤魔化すように、再び壁掛時計に目を向ける。

「……そうですね。まだ時間はありますし、少しだけ」

 日課にしている散歩がまだだったこともあり、少し悩んだ後に提案を受け入れることにした。このまま続けていても、余計なことばかり考えてしまいそうだったからだ。

 ルーウェントの返事に、気遣わしげな表情を浮かべていたセアがほっとしたように微笑む。ルーウェントも釣られて顔が綻んだのが分かった。

 そうと決まれば早速と、書類を軽くまとめて愛用の重しを置いた。セアも区切りの良いところまでと、封蝋を施した紐で筒状に丸めた書類を手際よく縛る。そして送付先別に用意してある小さな箱へ入れた。

 ルーウェントも机上をしっかりと片付けたことを再度確認し、席を立つ。腰を半分ほど浮かせたところで、ある事態に気付いた。

「シャルフは、まだ戻っていないみたいですね」

 ドアの脇。普段シャルフが立っている場所に、今は誰もいない。

「さっき出て行ったままですね。彼が長時間ルーウェント様のお傍を離れるなんて、珍しいですが……」

 同じ場所を見ながら、セアが首を捻っている。

 セアが言うように、シャルフが断りもなく席を外すことは今までになかった。普段は戻る時間を告げてその時間までに必ず戻っていたし、代わりとなる騎士も残していた。

 しかし今日に限っては「少し席を外す」旨を告げたきりだった。

 大聖堂の外へ行くことはないであろうから、シャルフ自身に何か起きたとも考えにくい。万一に不測の事態が発生したとしても、真っ先にルーウェントに一報が飛び込むはずだ。恐らく心配はいらないだろうが、稀有な事態は漠然とした不安を煽る。

「……散歩ついでにシャルフを探してみましょうか。もし入れ違いになった時のために、書置きを残しておいた方が良さそうですね」

 小さな不安を隠しながらそう言うと、ルーウェントは小さなメモ用紙を一枚破り取ってさらさらとペンを走らせる。そして机の目立つところに置いた。

「さて、行きましょうか」


 ……………………





 中庭へと続く階段を下りる途中、ルーウェントは異変を感じて立ち止まった。大ホールの先、礼拝堂へと続く廊下から大勢の声が響いている。言葉自体は聞き取れないが、神事の行われる日以外でこのような事態は経験したことがない。

「……表が騒がしいようですが、何かあったのでしょうか」

 言い表せない胸騒ぎを憶え、思わず隣に立つセアに訊ねる。するとセアは答えにくそうな表情を作った。

「あの、これはですね……先日の封鎖のことや昨日からの交通規制で、信徒の方々が不安になっているようなんです。しかもその、父……大司教がこの状況下でもフォーゲルブルク行きを強行したものですから、更に……」

「…………」

 注意深く聞いていると、普段は厳かな静けさに満ちた大聖堂に響く声の中には怒号のようなものさえ混じっているのが分かる。

 それが耳に入り嫌でも状況を認識した途端、思わず全身が硬直した。

 聞こえる声その全てがルーウェントを責め立てているように聞こえ、言い知れぬ恐怖と焦燥と自責の念がどっと溢れた。理解していたつもりでいた現実を、不意に叩きつけられたような衝撃。見ていたつもりで本当は目を背けていたことを、ようやく自覚させられたのだと気付く。

 う、と小さく呻き声のようなものが漏れた。

 恐ろしかった。

 名指しされたわけでなくとも、これら全ての怒りの矛先は自分なのだと想像するだけで、単純に恐ろしかった。

「……ルーウェント様、参りましょう」

 右手で先を示しながら促すセア。

 ルーウェントは圧倒されて忘れかけていた呼吸を何とか整えると、ひとつ頷いて見せた。そして半ばあたりまで差し掛かっていた階段を、再び下り始める。

 二段ほど先を行くセアの後ろ姿は、どこか萎縮したように弱々しく思えた。もしかすると、セアの父である大司教のせいだと思って責任を感じているのかもしれない。

 責任は全て、法皇であるルーウェントの無力さにあると言うのに。セアの暗い表情を想像するだけで、思わず胸が苦しくなった。

「……一日も早く、平穏と信頼を取り戻したいものですね。僕達のためにも、信徒の皆さんのためにも」

 俯き気味のセアの背に何と声を掛けたら良いか分からず、ようやく見つけた言葉だった。どこかぎこちないそれは、純粋なまでの本心でもあった。

 セアはその言葉に半分ほど振り向きながら顔を上げると、少し驚いたような、それでいて今にも泣き出しそうな複雑な表情を浮かべていた。そしてそれを無理矢理に笑顔に変えようとしたのが分かった。

 再び前を向いたセアは、やはりルーウェントの二段ほど先を歩きながら間もなく階段を下りきる。

 何故かこの時ルーウェントは、先程のセアの表情の原因が別のところにあるような、そんな気がしていた。






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