禁じられたソレムニス -10-
「こっちだぜ」
慣れた足取りで深夜のハーフェンの港を進むレーヴェの後を、ヴァイは無言のままに付き従っていた。
目指す定期船は、調べるなり訊ねるなりしさえすれば容易に判明するのだろうが、それすら億劫で面倒なヴァイにとって、場所を知る人物を同伴していることは手間と労力を省けてありがたい。
それがレーヴェだという事実には、多少の難は感じているようだが。
港を見回せば、日中には劣るものの人の往来は少なくない。明るく照らされた港で忙しなく働く作業員達の、威勢の良い声が飛び交っている。朝一番の便へ貨物を積み込んだり、または客室の清掃をしたりと、昼夜を問わず行われているのだろう。
しかしその景色の中で、ひやりと肺を刺激する潮風だけは、匂いも濃度も昼間とは異なっていた。
同時に、その平凡な日常に水を差す影がちらほらと目に付く。
聖堂騎士だ。
普段はこのような時間、このような場所にいるはずのない騎士の存在が、港全体の空気に言い知れぬ緊張を与えていた。
何気ない日常を営む振りが、反対にぎくしゃくとした光景となって顕著に現れている。ここがハーフェンであるという事実が、更にそれを助長していた。
レーヴェも平静を装っているようだが、隠しきれていない殺伐とした気配が全身から滲み出ている。
無理もない、か。
時折こちらを振り返りつつ先導するレーヴェを見ながら思った。
「…………」
ヴァイは後方に目線を走らせた。
一歩下がった所を早足で追い掛けて来るのはシュネイだ。夜の港が珍しいのか、それとも世界屈指の規模であるハーフェンの港が珍しいのか、きょろきょろと目を輝かせている。そんなシュネイがはぐれないように留意するのも、今やヴァイの役目のひとつとなっていた。
しかし先日と全く代わり映えのしない顔触れで、同じく先日通ったばかりの道を、このような形で戻ることになるとは想像もしていなかった。気分次第であちこちへ引っ張りまわしてくれるザインの存在に、やり場のない苛立ちばかりが募る。
やがてレーヴェの先導の下、一隻の船の傍に到着した。決して小型ではない定期船の搭乗口、その脇にも例外なく騎士が二人、立っていた。
先頭を歩いていたレーヴェが足を止め、それに倣うようにしてヴァイも立ち止まった。そして互いに目線を交わした時、こちらに気付いた騎士が声を掛けてきた。
「乗船希望の者か? それならば通行許可証を提示して頂きたい」
鍛え上げられた動作で右手を胸に当てながら言ったのは、初老の騎士。
「通行許可証?」
すぐさまレーヴェが鸚鵡返しに訊き返す。声には明確な苛立ちと敵意と、少しの戸惑いが含まれている。
「知っての通り、聖典が近付いている。それに乗じて良からぬことを考える輩が出ないとも限らん。そのため聖典終了までの期間、一部の海路及び陸路について通行許可証の提示が必要になったのだ」
「何だよそれ。去年まではそんなの必要なかっただろ」
「決まりは決まりだ。許可証がなければ通すことはできない。ハーフェンの住民は尚更だ」
初老の騎士は顔の皺を更に深くし、嘲笑するように目を細めた。
「あんた等なぁ……!」
単純な挑発に乗り今にも騎士に飛び掛らんばかりのレーヴェの肩を、色白の手が掴む。
「無駄だ。やめておけ」
低く言った。
細く白い指には見た目以上に力が入っているのか、肩越しに振り向いたレーヴェは驚きを滲ませている。冷静と表現するには鋭利さが勝っているヴァイの目と、その端的な言葉に一気に頭が冷えたのか、次に出掛かっていた台詞を呑み込んだのが分かった。
「…………」
続けて一旦引き下がるよう顎で促すと、レーヴェは最後に騎士を一度睨み、しかし素直に応じた。
ヴァイは冷たく張った夜の空気を引き裂きながら踵を返し、騎士達から少し離れた物陰に入る。そして、かつ、とブーツを鳴らしながら後方の二人を振り向き、腕を組んだ。
「許可証とは、弱ったな」
口を突いて本音が漏れる。
レーヴェが言うように今年になって突然必要となったのは、先日の大聖堂襲撃の件を受けてのことだろう。
渡航が難しくなる可能性自体は考慮していたが、聖典までまだ一週間を残して、しかもハーフェンで許可証が必要なほど規制が敷かれるとは少し予想外だった。何故なら、これでは隠蔽しようとしている大聖堂への襲撃が事実だったと認めているようなものだからだ。
こうなると単なる規制ではなく、何らかの陰謀が働いていると考えた方が妥当だろう。
「許可証か……ギルドはすぐ発行してくれるけど、所属している傭兵しか受け付けてはくれねぇし……」
腰のベルトに差したナイフの留め具を片手で弄りながら、困ったようにレーヴェがぼやく。
対してヴァイは溜息と共に肩を竦めて見せた。
「だろうな。俺達は役所か……余所者にすんなり発行して貰えるか際どい上に、朝まで待たされるのか」
明日の日暮れまでには大聖堂に到着していたいというのに、間に合うはずがない。横目に闇から寄せる青白い波を睨んだ。
「さて、どうしたものか」
言葉の割には困った様子の薄いヴァイを、シュネイが見上げる。手詰まりになると容赦なく無茶な手法を選ぶことがあるため、それを危惧しているのだろう。一旦心を決めると止める手立てのないことを、誰よりも理解しているのだ。
「まさか強行突破するわけにもいくまいしな」
聊か冗談には聞こえないヴァイの呟き。隣でシュネイが動揺する気配が空気を通して伝わった。
「お困りのようだね」
そこへ待っていたかのように、今の時間帯には到底そぐわない陽気な声が割って入った。聞き慣れてしまった声の主へと、三人の視線が一斉に集まる。
「やあ」
注目を意に介す様子もなく、挨拶のつもりなのだろう片手を挙げ、まるで待ち合わせ場所にでもやって来たかのような暢気さで近付いてくる人物が一人。
「フュンフ、お前……!」
予想外の人物の登場に、まず声を上げたのはレーヴェだった。
フュンフは何故か楽しげな笑顔を作りながら三人の傍まで来ると、周囲を見渡しながら言う。
「港がこんなことになってるって聞いて来てみたんだ。案の定……ってトコかな?」
騎士を見るその目からはたちまち笑顔が消え、フュンフらしからぬ嫌悪感を顕わにしている。普段は捉えどころのない情報屋を演じてはいるが、根底にはハーフェンの住民としての感情が強く渦巻いてるのだろうとヴァイは思う。
「うるせーな。こんな時間にわざわざ嫌味を言いに来たのかよ」
「まさか」
フュンフの登場にうんざりと肩を落としているレーヴェに、当の本人は呆れた様子で否定した。
そして片手に握っていた、筒状に丸められた紙をくるくると広げると、三人の前に突き出すように掲げた。
「じゃじゃーん!」
港の照明は存外明るいため、その文字を読み取る事には苦労しなかった。堂々と広げられた書簡には、通行許可証の文字が綴られている。
驚いたヴァイが書簡からフュンフへと視線を映すと、自慢げな笑顔が返って来た。
「無理言って作って貰ったんだ。俺ってば仕事が早いでしょ」
「本当だ……ちゃんとエルデンブルクのサインが入ってる……」
顔を近付けて隅々まで確認しているレーヴェが言った。
「当たり前でしょ。ホンモノだもん」
対するフュンフは不満げに頬を膨らませる。
「…………」
二人の会話を尻目に、許可証とフュンフを見比べるヴァイの目が細められた。こうもタイミングが良すぎると感じるのは、情報屋のなせる業と解釈すべきなのだろうか。
「あっ、何その目。俺のコト、何か疑ってるでしょ?」
「いや……」
次いで矛先を向けられたヴァイは歯切れが悪いながらも否定し、そして念を押すように、しかし僅かに躊躇いの混じった声色で続けた。
「許可証など大層なものを……本当に、大丈夫なのか?」
フュンフは苦笑すると、広げていた三人分の通行許可証を再び丸め、ヴァイに差し出した。その一連の動作の中で、フュンフの右袖からちらりと腕輪が覗く。
「大丈夫じゃなかったら流石に持って来ないって」
差し出された許可証をヴァイが無言で受け取ると、フュンフは空いた両手を頭の後ろで組んだ。思わずその動作を目で追う。
気付いたフュンフが不思議そうにヴァイを見上げるが、そこに割って入ったのはレーヴェのもっともな疑問。
「でもお前、三人分の許可証なんてどうやって……」
問われたフュンフは、ああ、と今思い出したような声を放った。そして恐らくは今まで意図的に告げていなかったであろう事実を、さらりと軽い口調で告げ始める。
「簡単さ。キミ達の後ろ盾を名乗り出たのが他でもない」
にっ、と悪戯っぽく笑って続けた。
「領主シュヴェート様だからだよ」




