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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
62/71

禁じられたソレムニス -9-

「…………」


 レーヴェの右手は、無意識に脇腹に添えられていた。

 先の戦闘で刺創を負ったばかりのその場所に、焼け付くようなあの痛みは今はもうない。それどころか、服の下には僅かな傷痕すら残ってはいないのだ。

 もちろん、刃を思い切り握った左掌も同じだ。何度か手を握ったり広げたりしてみるが、痛みも、皮膚が引き攣るような違和感も一切ない。

 唯一残っていると言えば、皮膚を破り、肉を裂き、骨を削られる世にもおぞましい感覚だけ。それらはレーヴェの中だけに、例えるならば姿のない悪夢のように心に巣食っていた。


「――――何だ、まだどこか痛むのか」


「え……!?」

 突然背中に声を掛けられ、びくりと肩が震えた。慌てて振り返ると、二階にいたはずのヴァイが普段通り愛想のない表情を作って手本のように姿勢良く立っている。その視線の向かう先は、レーヴェの左手。

「あ……いや、全然」

 居心地の悪さに、その手はすぐに行き場を失う。

 責められているわけではないのに妙な気まずさを感じ、ヴァイを直視することが憚られた。しかしヴァイはそれを気に留める素振りも見せず、そうか、とだけ短く返す。続いて二階への階段を目で示しながら、この話題自体もあっさりと打ち切った。

「シュネイがまだ二階で準備している。それが整い次第出るぞ」

「分かった」

 レーヴェはひとつ頷き、部屋の隅に立て掛けてある弓をちらと確認した。

 フュンフが帰った後、ヴァイ達の次の行き先が大聖堂だと知ったため自分も同行したいと申し出たのだ。最初は渋っていたヴァイだったが、理由を応えると意外にもすんなりと許可された。それにはレーヴェだけでなく、シュネイも驚きを隠せないでいたようだった。

「…………」

 ヴァイの様子を窺うと、すでにレーヴェへの関心を失ったのか普段そうするように腕を抱くように組み、壁に背を預けた体勢で双眸を閉じている。

 だがそこには以前のように会話すら拒絶する気配は感じられず、数瞬迷った後にレーヴェは思い切って訊ねてみた。

「お前は平気なのかよ? ……その、体調はさ?」

 戻ってからずっと気になっていたことだった。

 傷を治療して貰っていた時は余裕もなく何の疑問も感じずにいたが、良く考えれば立っていられないほど体力を消耗していたはずのヴァイが、更に魔術を行使するのは危険だったのではないか。だとすると自分はとんでもない負担を強いたことになる。いや、事実そうさせてしまったのだろう。

 しかしレーヴェが心配したところで、恐らくは普段通り不愉快げに切り捨てられるだろうと予想していたが、意外と返ってきたのは淡白ながらも率直な返答。

「別段問題は無い。悔しいくらいにな」

 頭は下げたまま目線だけ持ち上げて、面白くなさそうにヴァイは言った。

 だがレーヴェが言葉の後半部分の意味を咀嚼しきれずにいると、鋭く察したヴァイが息を漏らした。

「ザインの奴だ。一時的とはいえ、あいつが俺の体に入り込んだせいで今は妙に安定している」

 言葉の端々に窺く、強い苛立ちと敵意。

 ザインという魔術師を何故そこまで敵視しているのかレーヴェには測りかねるが、ザインに向けられるヴァイのそれは、極めて漠然とではあるが共感を憶えてしまうのだ。そんなことを本人に言えば、間違いなく睨まれるのだろうが。

「ザインって、その……お前にそっくりな魔術師だよな。だけど、体内に入るってどういう意味だ……?」

「……どうもこうも、そのままの意味だが」

 ヴァイは眉間に皺を寄せ、不機嫌と言うよりは困惑したような表情を作る。だがその言葉に、今度はレーヴェが首を捻った。

「そのままって……仮にそのまま解釈したとしたら、お前等ちょっと普通じゃないぞ」

「……普通じゃない、か。まあ、確かにそうなのかもしれん。実際、過去にも聞いたことの無い事例だからな」

 言った後に少しの後悔の念に駆られていたレーヴェだったが、ヴァイには全く気にした様子もなく、お手上げとでも言うように軽く肩を竦めて見せた。

 恐らく、本人にとってはそんなことは些細な問題で、今は目的を果たすことだけを考えているのだろう。己惚れかもしれないが、レーヴェには理解できるような気がした。

「詳しくは必要になれば話してやる。……知らない方が良いとは思うがな」

 面白くなさそうに鼻を鳴らしながら、再度口を開こうとしたレーヴェに先回りしてヴァイは言った。

 何度か同じような台詞を言われてきたが、これまでのような刺々しさが感じられない気がしたのは、単なる錯覚なのだろうか。

「じゃあ、せめてザインって奴が何者かくらいは聞かせてくれ。これから戦うかもしれない相手なんだろ? 何も知らないままだと、何て言うか、色々考えちまってやりにくいし……」

 語尾を濁したレーヴェだったが、そこはヴァイが察したようだ。

「心配するな。“あれ”はそもそも人ですらない」

 言い放たれた、冷ややかな台詞。ヴァイは鋭く細めた目で、どこか遠くを捉えている。そしてそれを更に細め、幾らか逡巡した後に顎を持ち上げて言葉を続けた。

「…………あいつは、俺の≪遺物(レリック)≫だ」


……………………




          ◆       ◆       ◆




「三人とも、気をつけて」

 店の前に見送りに出ていたメイアが、不安の滲んだ表情で言う。

 今はもう完全に陽は落ち、外を出歩いている人影も少ない。夜の匂いと仄かな潮の匂いが混じり合って、閑静な住宅街を包み込んでいる。

「ああ」

「行って来ます」

 メイアの言葉に短く返すヴァイと、まるで遊びに行くかのように明るく返すシュネイ。それらは日常の光景そのままで、これから三人が向かう先を暗示するには程遠い。

「じゃあ、行って来る」

 レーヴェも二人に倣い、片手を挙げて軽い別れの挨拶を告げた。

 隣では、ヴァイが夜に溶けそうな黒の魔導着を翻す。向かう先は再び港だ。満月を明日に控えた月が、皓々とした青白い輝きで三人を誘っているように感じていた。

 そこに響く、名残惜しさの欠片すら窺かせないヴァイのブーツの音。夜空を見上げていたレーヴェは、少しだけ慌てながらそれを追おうとしたのだが。

「…………あの、レーヴェさん」

 夜の冷たい風を切るように半分ほど身体を捻ったところで、不意にメイアに呼び止められた。

 振り返り、互いの目が合った途端に何故かメイアは視線を下げた。

「実は今、レーヴェさんのために作っている新しい呪物があるんです。でも、間に合わなくて……」

 目を伏せて申し訳なさそうに、メイア。

 レーヴェは首を捻った。

「オレに? 何か頼んでたっけ?」

 呪物を頼んでいた覚えのないレーヴェが訊ねると、メイアは更に俯いて歯切れ悪く、口籠もるように言う。

「そうじゃないんですが……弓用の新しい呪物を考えたので、レーヴェさんに使って貰いたいんです」

 普段見ている快活で手際の良いメイアの姿と異なるその様子に、更にレーヴェの頭に疑問符が浮かぶ。どうかしたのか、と訊こうかと考えた矢先、メイアが弾かれたように顔を上げた。

「戻って来る時には完成させて待ってますから、その……絶対に帰って来て下さいね……!」

 突然の力強い言葉に、レーヴェは虚を突かれたように眉を持ち上げた。ぼんやりと青白い月明かりの下、メイアの頬がほんのり紅を帯びているような気がする。

「……分かった。楽しみにしてる」

「はい……!」

 レーヴェが目を細めながらそう応えると、メイアは花のように笑ってみせた。

 そこへ。

「……おい、ぐずぐずするな」

 突然レーヴェの背中に飛ばされた、ヴァイの不機嫌な声。顔は見えなくても、眉間に深い皺が刻まれているのが容易に想像できる。

 しかしそこにある苛立ちが普段と質の異なるものである事を、レーヴェは皆目分かっていない。

「じゃあ」

 これ以上待たせると不興を買ってしまうとばかりに、レーヴェは最後に短くそれだけ言うと、今度は振り返らずに二人を追った。






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