禁じられたソレムニス -6-
単なる好奇心とは到底思いがたい、剣呑としたフュンフの顔付き。それは職業病と片付けるには、聊か一線を画しているようにも思えた。
「そうなるとクースの件はどうしたらいいんだ? お前等が言うにはまた≪異教狩り≫が入るんだろ?」
フュンフの変化に全く気付く様子のないレーヴェが低く唸る。そしてほんの一瞬ヴァイの意識がそちらへ向いた間に、フュンフに刻まれていた、えも言われぬ危うさはすっかり掻き消えていた。
上手い仮面を被っている、そうヴァイは思う。
「……俺が撒いた種でもある。放っておくつもりはない」
どこまでも狡猾で滑稽な道化師に倣うように、ヴァイも思考を切り替える。順序くらいは承知しているつもりだ。そして素直にそうできたのは、一部とはいえフュンフの行動基準を読むことができるからだった。
「次に攻められるなら、いつになる?」
正面に座るフュンフに改めて向き直り、率直に訊ねる。
対する応えは、早い。
「俺の予想だと、フォーゲルブルクの聖典の後だね。今日明日で事態が向こうに知れるとしても、間近に迫った聖典の警備の強化が目下の課題に挙がるはず。そうなると≪異教狩り≫に人員を裂くだけの余裕はないと思うよ。もし、仮にすぐ≪異教狩り≫を行おうとしても、まず部隊の編成からやり直さなきゃならないだろうしね。どの道時間はかかるよ」
得意げに述べながらも最後に、飽くまでも個人の推測だけどね、と軽い調子で付け加えた。それを聞いたヴァイは口元に手を添えてみせる。
「やはり、聖典後か」
厳しい表情は虚空を睨む。
「フォーゲルブルク行きは避けられそうにないな……」
ヴァイには決して珍しくはない、溜息混じりの酷く鬱屈した口調。だが、すかさず食いつくのがフュンフという情報屋だ。
「行く予定だったんだ?」
ヴァイが目線だけ持ち上げると、その顔には意外だと書いてある。
「好き好んで行くわけではない。明日こちらの用件が片付けば、向かう必要もなくなるはずだったくらいだ」
ひとつ頷いた後、その可能性が極めてゼロに近いと知りながら、ヴァイは言う。
フュンフは納得したような表情で、椅子の背もたれに体重を預けて躯を反らせた。
「そうだよねぇ。この街の人間も、あんな行事に行きたがる奴はそういないしさ。ま、あちこちから沢山の人が動くから、経済が潤うのは否定しないけど」
冗談めかすフュンフは無視して、ヴァイは眉間の皺を深くする。
フォーゲルブルクに行かなければならないとしても、ザイン以外の厄介事を背負い込むのは非常に面倒で、確実に持て余してしまうだろうと簡単に予想ができてしまう。
「……そうなると聖典が行われている間に何らかの手を打つのが早いか、あるいは……」
そして言葉が喉元まで出かかったところで、思わずそれを呑み込んだ。
不意に表面化してきた、己のものとは有るまじき感情。それはあらゆる感覚を押し退けながら急速に湧き上がり、意識の半分をごっそりと削り取るかのように視界に濃い翳を落とした。
咄嗟に、思わず漏れそうになった呻きを噛み殺す。
ヴァイを突然襲ったそれは、苛烈なまでの破壊への衝動。自分自身でさえぞっとするほどの、強く鮮烈な惨劇と破滅を望む、何か。
歓喜と羨望。躍動と、そして恐怖。
突然湧き上がったこの衝動が何なのか、ヴァイには理解できなかった。破滅と終焉を望むあらゆる怨恨がひとつになったような、混沌とした感覚。
それはまるでヴァイを誘うかのように、心を優しく撫で回している。
どくん、と心臓が脈を打った。
「――――どうかした?」
呼びかけられ、はっとする。
気が付くと全員の視線がヴァイへと集まっていた。
「で、どうするんだ? 受けるのか?」
続け様にレーヴェに問われたが、もちろん何を指しているのか理解できず、顔を顰める。
「もしかして、聞いてなかったのか?」
驚きの色を隠そうともしないレーヴェに僅かに苛立ちもしたが、事実なので否定することも憚られた。まだうっすらと翳りが残る視界に、居心地の悪さが重なる。
「師匠、大丈夫ですか?」
隣に座るシュネイが心配そうに覗き込んで来た。反射的にそれを拒むように顔を持ち上げる。
「……何でもない。少し眩暈がしただけだ」
強烈な衝動から逃れるように、軽く首を左右に振った。
「昨日は相当魔力使ったみたいだし、まだ万全じゃないのかもな」
一連の動作を物珍しそうに、そして申し訳なさそうに見ていたレーヴェが気遣わしげに言う。
「そうですね」
「…………」
気遣いのつもりだったのだろうが、ヴァイとしては酷く面白くない。
「……それで、何の話だ」
だから、話題を戻す。
自分でも不器用だと自覚しているヴァイだけに、隠し切れない苛立ちが声色に投影されているの嫌でも分かった。思わず舌打ちしたい気分になる。
「クースの件、俺に任せてみないかって話だったんだけど」
代わって答えたのは、頭の後ろで両手を組んだ体勢で首を傾げているフュンフだ。
「……あんたが?」
流石にヴァイも驚き、ほんの僅かだが瞠目した。
「だってキミ達はあちこち飛び回らなきゃいけないんでしょ? それじゃあ常にクースに目を光らせておくわけにはいかないよね。それならハーフェンを拠点にしてる俺の方が適任だと思ってさ」
重要なことを飄然と言ってのけるフュンフに、ヴァイは返答に詰まった。この情報屋は――――いや、この男は、果たして自分の立場をわきまえているのだろうか。
ヴァイの雰囲気からそれを察したのか、フュンフは苦笑してみせた後、軽忽ささえ漂わせていた表情を真剣なものに一変させた。
「キミ達のやり方じゃ、いつまでもイタチごっこだ。もっと適任がいる」
「…………」
唐突に核心を突かれ、ヴァイは言葉を詰まらせた。
フュンフの言うことは、もっともだった。このまま同じ事を繰り返しても、根本的な解決には繋がらない。本当に事態の終息を望むのであれば、別の手段が必要なのは確かだ。
そう考えるヴァイの心の内を目聡く読み取ったのだろう、フュンフは更に続ける。
「俺の持ってる情報網で、少しアテがあってね。俺がこういうのも変だけど、信用はできる相手だ」
「…………」
「大丈夫なのかよ」
ヴァイと同じく、レーヴェもどこか疑うような視線を向けている。
「もちろん。今は詳しくは言えないけど……キミ達が戻ってきたら引き合わせる。約束するよ」
約束する、と言う傍らに浮かべる笑顔は、子供のそれにしか見えない。しかし普段から仕事上で取引をしているレーヴェは、それで納得したようだった。
「……まあ、お前がそう言うならそうなんだろうな。でも妙な奴連れてきた怒るぞ」
「大丈夫、大丈夫。いくらレーヴェが相手とは言え、仕事の信用を失くすようなマネはしないから」
「何だよその言い草……」
またもフュンフはへらへらと片手を振りながら、悪戯っぽく笑う。こういう表情をする相手は苦手だと、つくづくヴァイは思った。
そして今にも溜息を吐きそうなヴァイに、フュンフは声を低くする。
「キミはまだ俺のことを信用きしれないと思う。だから無理強いするつもりはないよ。判断は任せる」
任せる。そう言いながら、半ば強制しているように聞こえるのはヴァイの思い過ごしなのだろうか。けれど断る利点は一切ない。
となれば、答えは決まっているようなものだ。
「……ひとつ、訊かせて欲しい。何故その人物は協力を名乗り出た?」
だから、最も訊いておきたかったことだけを訊ねる。
すると少しだけ頬を掻くような素振りの後、酷く簡潔で、酷く曖昧にフュンフは笑った。
「んー……ま、キミ達のような存在に心を動かされる人もいるってことさ。これじゃ不満?」
「……いや」
諦観か納得か、こちらも曖昧に返すとフュンフは嬉しそうに指を鳴らした。
「よし、じゃあ決まりだね! 実際に会って気が進まなかったら、断ってくれてもいいから」
さらりととんでもない発言をしたフュンフに、ヴァイは信じられないといった表情を作る。
「それではあんたの顔が立たんだろう」
「ははっ、そう思うなら前向きな検討をヨロシク!」
びっ、と親指を立てるフュンフに、ヴァイは大仰に嘆息することで応えた。何故だろう、この情報屋を相手にすると、どっと疲れが押し寄せてくる。
「さっきから思ってたんだけど、お前にしちゃあ嫌に協力的だな。何かあったのか?」
フュンフの隣で、頬杖を突いたレーヴェが勘繰るような視線を向けていた。だがそれは決して厳しいものではなく、子供の悪巧みを牽制するような表情に等しい。
「へへ、秘密」
またもフュンフが浮かべるのは、子供のようなころりとした笑顔。
それを見ながらヴァイは思った。
騙されるつもりで乗ってみても良いかもしれない、と。




