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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
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禁じられたソレムニス -3-

 ヴァイがハーフェンに帰還したのは、夜も白々と明けようとした頃だった。

 鉛のように重い身体と意識を引き摺りながら、しかし血に塗れた姿を誰かに目撃されるわけにはいかず、細心の注意を払い隠れるようにしてメイアの自宅を目指した。

 まだ早朝だったこととレーヴェが街の裏道に詳しかったことが幸いし、騒ぎになる事こそなかったが、むしろ大変だったのはやっとの思いで家に辿り着いてからで、一晩中寝ずに待っていたメイアが出迎えるなり三人の姿を見て大慌てとなった。

 三人が揃って無事に帰って来たことへの安堵と、無茶をしたことへの憤慨を半々に覗かせるメイアに、ヴァイは小っ酷く叱られる結果となったのだ。とは言っても救急箱と自製薬を片手に、極めて手際よく傷の処置を行ってくれながらだったのだが。

 しかしヴァイは、よくこうも器用に口と手が同時に動くものだと感心し、意識も説教の内容よりそちらに向いてしまっていたため、やがてそれに気付いたメイアに更に別の理由で叱られることとなる。

 全てが落ち着いたのは完全に陽が昇った後だった。

 レーヴェがひとまず自宅に戻ると言うので、今日中に改めて脇腹の傷を診せに来ることを条件に一旦解散となった。


 こうして波乱に満ちた長い一夜が明けた。

 ヴァイは午前の間に短時間の仮眠を取った後、呼びつけておいたレーヴェの傷の経過を確認し、メイアに今後の予定についての話をしていたところだった。

 そこへフュンフが訪れ、現在はこうして五人で茶の席を囲んでいる。

 予想以上に賑やかになってしまったが、ヴァイが乗船するのは夜行便。出発は陽が落ちてからだ。それまではまだ時間がたっぷりと残っているので、この方がシュネイの気も紛れるだろう。

 そんなことを思いながらすぐ脇で繰り広げられる雑談を聞き流し、湯気の立つ二杯目の紅茶を口に運んだ。当然ヴァイは雑談に加わるつもりなど毛頭ないが、遠からずメイアによって話の輪に引き摺り込まれる予感がしているので、それまではささやかに紅茶を楽しみたいと思っていた。

「…………」

 一口啜ってカップを置くと、琥珀色をした紅茶が控えめな波紋を描く。

 昨夜の出来事が嘘のように穏やかに過ぎゆく時間。けれど本当にまやかしなのはどちらなのか、考えるまでもない。

 ヴァイは無駄な思考を追い出そうと、静かに深く息を吐いた。ごく微細な仕種は誰にも気付かれることなく、空気に溶ける。

 そして何の気なしに視線を動かした先で目に留まったのは、まだ一度も口をつけられていないフュンフの紅茶。先程たっぷりの角砂糖が投入され、散々掻き混ぜられていたのを思い出す。既にすっかり温くはなっているはずだが、フュンフはまだ手をつけようとしていない。

 何度見ても信じがたい飲み方だ。

 それでも他人の好みに文句を言う性でもないので、口を挟むような無粋な真似はしない。すぐに興味を失ったが、直後に正面に座るフュンフと不意に視線が交わった。紅茶よりも濃い、表情豊かな琥珀色の目にヴァイが映り込む。

 だがそれはほんの一瞬のことで、互いに自然と交わりを解いた。

 再び伏せた視界の端では、十分すぎるほど熱が逃げたであろう紅茶の入ったカップが持ち上がる。そしてヴァイが想像しているよりも遥かに甘いそれを、フュンフは用心しながら少量だけ口に含み、やがて大丈夫だと判断したらしく今度こそ美味しそうに喉を上下させながら一気に飲み干した。

 たった今まで注がれていたものが紅茶とは想像しがたい、豪快な方法で空にされたカップが元の位置に戻る。

 その光景を複雑かつ神妙な面持ちで傍観していたヴァイ。恐らく、フュンフは何故自分にそのような表情が向けられているのか、欠片ほども理解していないだろう。

 もはや相容れない存在だと察したのか、ヴァイは微かな諦観を滲ませながら自分のカップを再び口に運んだ。

「……あ」

 そこへ突然フュンフから声が漏れた。

 途端にその場にいる全員の視線が一斉にフュンフへと向いたが、当の本人は一切気後れした様子も見せず真っすぐな目をヴァイに向けた。

「今日はキミに話があって来たんだった」

 忘れるところだった、と微笑を浮かべて軽く肩を竦めて見せる。一連の言動が芝居がかっているように思うのは、ヴァイの猜疑心によるものだろうか。

 その心の機微を悟られないよう、関心のないふりをして訊き返す。

「……俺に?」

「そうそう」

 間髪を容れず首肯され、ヴァイは内心で首を捻った。まさか紅茶の話題ではあるまい。

 だがその直後に察しがつき、たちまちヴァイの表情が険しさを帯びる。

「聖教会がこのまま黙ってるなんて、キミはもちろん思ってないよね」

「……ああ」

 予想以上に率直な問いに、ヴァイは頷く。

「失態を取り戻すため、再びクースに攻め入るだろうな」

 要点だけを内包させた短い台詞に、今度はフュンフが同意を示した。

「うん、俺もそう思う。そして聖堂騎士団を始末したキミ達も、間違いなく標的になってるはずだ」

 危惧しつつも、言葉には出さなかった確信だった。

 一度こうして聖教会と聖堂騎士団に刃を向けてしまったからには、このまま引き下がれるとは到底思っていない。次こそは確実にクース村を焼き払い、その邪魔をしたヴァイ達をいかなる手段を用いても炙り出すだろう。

 同時に、そもそも不利だったこちらは更に状況が悪くなる。この人数で騎士団を相手取るのだ。次もまた命がある保証はどこにもない。その上、再び手合わせすることとなれば、騎士団は今回よりも精鋭揃いで組織されているだろう。

 彼等に二度目の失敗は許されないのだ。

「折角凌いだってのに、結局は次があるのかよ……くそっ」

「レーヴェさん……」

 フュンフの隣で舌打ちせんばかりに吐き捨てたレーヴェに、シュネイが困惑した声を挙げた。気遣わしげなシュネイの様子に気付いたレーヴェが、気まずそうに目を伏せる。

「……ともかく、これで終わりではないのは確かだろう。加えて俺達がやったことで、万が一の場合には村民に対する仕打ちが更に過激になる可能性もある」

 ヴァイの言葉に、空気が固まった。この場にいる全員が少なからず予測していたはずだが、自らの行動が事態の悪化を招くのであれば、今更だとしても後悔と罪悪を憶えてしまうのだろう。

 つい先程まで和やかだったはずの店内は、気付けば重苦しい空気にじわりと満たされていた。

「俺も同感だね。向こうは反対勢力には一切の容赦はしないし。体面や威信を守って地盤を固めるためなら、今回の騎士達の犠牲でさえそのための足場にしようと考えてるかもしれない」

 溶け残った砂糖が底に沈殿しているカップを弄びながら、フュンフが唸る。極論を述べたつもりなのだろうが、誰も否定できないのは想像に難くないからだ。

 それを聞いたメイアが俯いた。

「身内でも悲しむより先に、どう利用するか考えるなんて……」

 憶測に過ぎないが、聖教会は過去もそうやって繁栄してきたのだろう。喉元まで出てきた言葉を寸前で嚥下し、ヴァイは別の言葉を並べる。

「……その辺りは俺達には知る由もないが、その情報屋が言うように上層部の一部には名声や権勢ばかりを気にかけ、周囲を理想実現のための駒としてしか見ない人間も少なからず存在するのだろうな。だが今の段階で確実に言えることは、もし俺達が聖教会に捕まるようなことになれば、異端者として公開処刑は免れないということだけだ」

 言いながら、隣席で自分を見上げるシュネイを横目に窺った。少しだけ首を傾げ、物憂げな表情を浮かべているが、その先にシュネイ自身が映っていないことをヴァイは過去の経験から瞬時に理解した。

 シュネイは聖教会の兵器として開発、調整されたためか、己自身に迫る危険に対してどこか疎い部分がある。恐らく今もヴァイと、そしてレーヴェの身を案じているのだろう。

「どの道、彼等に次の失敗は許されないんだ。与えられた任務を完遂するために、騎士団も今回キミ達が相手にした以上の部隊を編成してくる可能性が高いよ」

 先程のヴァイの推測をそのまま言葉にしたのは、フュンフだった。

「…………」

 直後にレーヴェが、音が聞こえそうなほど強く歯噛みするのが分かった。昨夜の激闘を思い出しているのだろう。本音を言えば、あれよりも強力な部隊を相手にするとなると、流石にヴァイでも少なからずの焦燥は憶える。

 だからこそ、憂慮ばかりはしていられない。

「レーヴェ、ついでだから改めて言っとく。クースの心配も確かに大切だけど、オマエだっていつ騎士団に嗅ぎ付けられるかもしれないってこと、分かってる?」

 呆れたように目を細めたフュンフが、頭に血が昇りつつあるレーヴェを諭す。この傭兵はすぐに周りが見えなくなる傾向があることを、よく理解しているらしい。

「わ、分かってるよ。それくらい」

 もっともな指摘に不貞腐れたのか、レーヴェが子供のように大きく顔を背けた。






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