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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
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禁じられたソレムニス -2-

 カウンターの奥から扉越しに漏れる食器の音と、内容までは聞き取れない二人の少女の会話を意識の表面で感じながら、ヴァイは無言で頬杖を突いていた。

 一見すると何かに苛立っているかのような、攻撃的ながらも冷え切った他を寄せ付けない表情。それはヴァイにとっては極めて標準的な装備ではあるのだが、今に限って言えば正面に座るフュンフとの会話を拒む、静かな意思表示のつもりでもあった。

 同時にこれは幼少期から身近な相手以外に取っていた態度でもあり、その根本は極めて癖に近い一種の防御反応のようなものなのだ。

 最近ではそこに、純粋に面倒だという理由も加わってしまったようだが。

 しかし終始にこやかな表情を作っていたフュンフは、ヴァイの予想よりも遥かに早く、ごくあっさりと威圧じみた壁を越えて一歩目を踏み入れてきた。

「機嫌悪い? 俺、何かしたかな?」

 過去にも幾度か言われた台詞を、遠慮した笑みのフュンフがなぞる。こういった話題の切り出し方が最も鬱陶しくて、面倒臭くて、苛立たしい。

「……いや」

 消え入りそうな吐息のように細い声で、酷く煩わしげに漏らした。

 こう訊かれて肯定する人間がどれくらいいるだろうか。この類の台詞を言う人間は、自分が原因ではないと分かっていながらも、改めて言葉に出してもらうことで確認しないと安心できないのだろうとヴァイは解釈していた。恐らく不機嫌の理由に心当たりもないはずなのだ。面倒なことこの上ない。

 目を伏せた狭い視界の端では、小さく首を捻ったフュンフが「そう?」と問い返す。その表情は見えはしないが、楽しげな雰囲気だけはヴァイにもはっきりと伝わってきた。

 同時に、フュンフには今の自分の解釈が全く当てはまらないのだということも敏感に察した。

 恐らく……いや、確実にヴァイの意思を理解した上で、面白がって会話を振ってきたのだろう。そう思うと苛立ちではなく疲れに似た感覚がどっと湧いた。

 フュンフの場合は情報屋という職業上ひとつでも多くの事を聞き出したいからなのかもしれないが、どちらにせよ歓迎はしない。

 表面上は親しげに振舞っていても他に誰と繋がりがあるのか定かではないし、最悪の場合で考えれば金次第でどう動くか分からない立場の相手をを簡単に信用できるほど、ヴァイは楽観的な思考を持っていない。

 メイアや、フュンフと知り合ったばかりのシュネイも怒るだろうが、それでも起こり得る可能性の中から最悪の事態を想定し、それを回避するための行動を取らざるを得ないのがヴァイの現状でもあり、行動理念だった。

 そして相手をフュンフに限定するならば、情報屋としての経験が長いことも警戒を強める理由に足る十分な要素だ。嫌と言うほど処世術が身についているはずだからだ。

 だがフュンフが誰かと内通していると決めてかかっているわけではないし、そうであって欲しいと思っているわけでは決してない。あくまでも可能性としての話なのだ。

「…………あれ?」

 ヴァイが次に話を振られた場合に何と言って凌ごうかと考えていると、不意にフュンフから疑問符が漏れた。

 ほとんど反射的にそちらへ視線を動かすと、声の主は見えるはずのない扉の向こうを覗き込むようにして椅子の上で身体を傾けている。

「もしかして、レーヴェも来てるの? 声がするみたいだけど」

 続いてフュンフの口から飛び出した名前に、その存在を失念していたことに気付かされた。

 それが返事を一拍遅らせる。

「……ああ」

 そう言えば倉庫として使っている部屋で呪物を物色していたなと思い出しつつ、理由もなく失態を犯したような気分で肯定した。

 だがフュンフは特別に気にする素振りも見せず、安堵の表情を浮かべた。

「そうなんだ。レーヴェも無事だったんだね」

 子供のような、人懐こい笑顔。

「正直なところ、キミ達はともかくレーヴェはどうなるか心配だったんだ。魔術も使えないのにあんな無謀なケンカを仕掛けるなんてさ」

 よかった、とフュンフは胸を撫で下ろす。その言葉に極めて悪意のない棘が隠れているように感じたのはヴァイの錯覚だろうか。

 そして、無事、という表現は正確ではない気もしたが、結果的に『生き残った』という意味で捉えるのなら、一応は無事だったということになる。

 けれど一連の出来事を委細に説明する必要性はないし、仮に必要であったとしてもそうするつもりのないヴァイは、口を閉ざしたまま何も言わなかった。

「本当にキミのお陰だよ。ありがとう」

 屈託無く微笑み、感謝を述べるフュンフ。

 だが、それを聞いたヴァイは何故か表情を曇らせた。

「……そう思うのなら、お前が一緒に行ってやればよかっただろう」

 頬杖を突いたまま、フュンフを覗き見るように少しだけ首を動かす。さらりと流れた前髪の隙間から切れ長の目が覗いた。

 だがヴァイに横目に睨まれたフュンフは怯むどころか、きょとん、と呆気に取られた顔をしたかと思うと、言葉の意味を理解できた途端に、ぷっ、と吹き出した。

「冗談! 俺は傭兵じゃなくて情報屋だって言ったよね? 仕事柄、護身術くらいは心得てるつもりだけど実戦じゃ一番にコレだ」

 笑いながら左手で首を刎ねる仕種をしてみせる。

 しかしヴァイは冗談のつもりなど微塵もなかったので、思い切り眉間に皺を寄せた。笑われてしまったことに、酷く機嫌を損ねてしまったようだ。

 それに気付いたフュンフは更に肩を震わせながら、「ごめんごめん」と謝意が込められているとは思いがたい謝罪を口にした後、自分を落ち着かせるように深く息を吐いた。

「意外に面白いことを言うんだね、キミは。けど俺じゃ何の役にも立たないのは事実さ。いや、止めることすらしなかった俺は、一度レーヴェを見殺しにしたのと同じかもしれない」

 肩を竦めて言うフュンフ。その言葉の最後は自嘲を含んでいた。

「そんな俺が言うのもおかしいのかもしれないけど、キミ達には本当に感謝してる。レーヴェを助けてくれてありがとう」

 先の謝罪とは違う、突然の真摯な言葉。

 そこには心から友人の身を案じていた、一人の人間の姿があるようにヴァイは感じた。

 同時に僅かな空虚さと後ろ暗さが心の底から湧き出してじわりと広がり、それを悟られまいと逃げるように顔を背けると否定の言葉を口走った。

「別にあいつのためにやったことではない」

 けれど普段から素直ではないヴァイだ。既にそれを十分に理解しているフュンフは、その態度を普段の偽悪主義の延長だと受け取ったらしい。

「またまた。あんな不利な状況に率先して加勢するなんて、きっとキミは自分が思っている以上にお人好しだよ?」

「…………」

 そうかもしれない。純粋にそう思った。

 当初ヴァイは、クースが今回の難を逃れ、騎士団を撃破した自分達の素性が聖教会側に露顕しなければ良いと考えていた。

 そう、レーヴェの生き死になど後回しで良いと。協力を買って出たのは、ひとつの村を守るためだと。

 けれどそれは自分が思い込みたかっただけに過ぎず、結果、最後まで突き放すことも見殺しにすることもできなかった。

 知り合って間もない上、ヴァイに関する重要な事実を握っている可能性もあるというのに、だ。

 いや、自分がそうできないことは最初から理解していたのかもしれない。たとえ何を知っていようが、無謀にも聖教会に戦いを挑む者を放っておくなど、到底ヴァイには無理だったのだ。

 それはヴァイの自己満足に過ぎないのかもしれないし、もしくは聖教会によって大切なものを理不尽に奪われたという、両者の境遇の一致がそうさせたのかもしれない。

 認めたくはないが、ヴァイがレーヴェに対して少しの同情と共感を抱いているのは確かだった。

「……お人好し、か」

 ぽつりと呟く。

 それはどんな理屈や理由を並べるよりも、今のヴァイを余さず表現した言葉のように聞こえた。酷く下らない理由だ。

 そう思うとおかしくて、僅かに口の端が緩む。

 だが正面に座るフュンフはそれに気付かず、たった今開かれた扉に意識が向けられていた。

「お待たせ」

 お盆にティーポットと人数分のカップを載せたメイアと、焼き菓子を載せた皿を持ったシュネイ。その後ろには赤いバンダナを揺らすレーヴェの姿。

 先に出てきた二人がテーブルの上で手際良くお茶の準備を始めると、最後尾で扉を閉めたレーヴェもテーブルを囲む。

「やあ、レーヴェ。ここにいたんだね。ギルドに行ってもいなかったから心配したよ」

 背後を通るレーヴェを左から右へと見上げながらフュンフが言った。

「ん? ああ……怪我の具合を見せろって言われてたからな。ついでにダメになったナイフの買い替えをしたりで、気が付いたら昼過ぎてたんだ」

 言いながら腰のケースに納まった新品のナイフを示して見せ、フュンフの隣に腰を落ち着かせる。その滞りない動作は、昨夜の戦いで負った深手を思わせない。

 そしてそれを知る由もないフュンフは、すぐにレーヴェとの雑談に花を咲かせ始めた。

「…………」

 ヴァイは無言のまま、差し出されたカップを優雅な仕種で口元に運ぶと、香りを楽しんでから紅茶を口に含んだ。






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