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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
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禁じられたソレムニス -1-

「……そろそろ、変化が必要な時に差し掛かっているのかもしれませんね」

 誰に言うでもなく、若い男はひとり呟いた。

 背後に並ぶ、執務室に設けられた大きな窓からは満月にほど近い月が覗き、そこに座る男の輪郭を逆光の下に浮かび上がらせている。

 夜の執務室は静かで、そして居心地が悪い。

 けれどそれは、未だ明けようとしない別の何かを待っているせいなのだと男は理解していた。

「私は、あなたのように看過するのも限界を超えてしまいました」

 男は言う。

 男は知っていた。このまま不干渉を貫いたとしても、日々多くの人々の多くの悲しみが募るだけ。今まで何も解決できなかったように、先に待つ未来は想像に難くない。

「いつかあなたは言った」


『力を持たぬ我々には、抵抗の機会すら与えられはしない』


「けれど今なら分かる」

 それは臆病は自分達の、惨めで醜い自衛のための言い訳に他ならないのだと。そしてその言葉の陰に隠れて、どれだけ多くの苦難と不幸と悲しみから目を逸らし、耳を塞ぎ続けてきたのかを。

 結果、不干渉による権力の横行は、古くからこの街の人々に根付いた風習をも捻じ曲げ始めてしまっている。

 このままではいずれ聖教会に取り込まれ、同化するのも時間の問題だった。

「恐らく、あなたは賛成してはくれない。けれど私は、私の正しいと思う道を選ぶ」

 そして男はそれを強く拒んでいた。

「だから私は――――闘います」


 ………………




          ◆       ◆       ◆




「明日? そんな急に?」


 手際よく商品を補充していた手を止めて、メイアが顔を上げた。

 一方カウンター奥の、住居部分と店舗部分とを繋ぐ扉を後ろ手で閉めたばかりのヴァイは、服の上から左腕の傷痕を確かめるように摩りながら、ひとつ頷いた。

「だけど、昨日の今日よ? 二人ともまだ本調子じゃないでしょう」

 ヴァイの手の動きを目で追いながら、メイアが困った様子で窘める。しかしヴァイは普段通りの淡白な態度でさらりと躱す。

「あの程度なら、もう治した」

 腕を摩る手を止め、カウンターの表に回る。その横にある接客テーブルに着いていたシュネイが小首を傾げ、自分とメイアを交互に見比べるのが視界の端に入った。

「それに状態など構っていられない。俺が行かなければ島ごと消し去るくらい平気でやる。あいつは、そういう奴だ」

 そう言い切ったヴァイを見上げるのは、困惑を滲ませた深緑の目。けれど今の言葉は決して嚇しでも欺瞞でもなく、ただひとつの強い確信でしかなかった。

 何を隠そう、ザインの告げた次の満月とは明日だった。

 そしてヴァイは一切の躊躇も無く、ザインの言う“儀式”の場へと向かおうと言うのだ。昨夜の聖堂騎士団との戦闘の疲労すら、満足に癒すこともないままに。

「…………」

 メイアの表情にたちまち強い不満が浮かぶ。

 昼時の、一旦客の引いた店内をごくごく薄い緊張の膜が被った。両者共に言いたいことはあれど、それを言葉にしないことによる妙な緩衝と沈黙。それは遠慮や逡巡といった感情から来るものではなく、仮に言葉を投げたとしてその先に待つ返答が簡単に予測できてしまう事によるものだった。

 そしてその奇妙な空間の中で、シュネイだけが少しの困惑と共に二人を見上げていた。

「何度も言うが、俺に拒否権は無く、もう決めたことだ。……今日の夜行便で出る」

 これ以上の追及は止めてくれと言わんばかりに、ヴァイは語尾を強く言い放った。

 しかしメイアも抗議の声を上げる。

「兄さん……でも……」

 半ば口籠もりながらも何かを言おうとするメイアに対し、ヴァイはその続きを遮るように強い決意を宿した視線を向けた。

 二人の視線が交錯したのはほんの数秒にも満たなかったが、やがてメイアが目を逸らして小さく息を吐き出した。

「……兄さん、一度言い出したら聞かないものね」

 呆れと諦観とを綯い交ぜにしたような微笑を作ると、メイアはヴァイに背を向けた。そして背中に二本の長い三つ編みを遊ばせながら店の入口へ向かい、扉に設えられた大きくはない硝子窓部分に内側から提げてある 『営業中』 を示す木製のプレートをくるりと裏返した。

「……閉めるのか?」

 その動作を見ていたヴァイは、僅かに眉を寄せながら訊ねる。

「ええ」

 メイアは短く肯定すると、スカートの長い裾を大きく広げながら軽やかに振り返った。

「兄さんのことだから、きっとろくな準備もしないで出るつもりなんでしょ? このまま送り出すわけにはいかないわ」

 妹としても呪物屋としてもね、そう付け加えて笑って見せた。

「……メイア」

 少しだけ驚いた様子のヴァイだったが、すぐに取り繕うようにして普段の無表情に戻した。恐らくそれに気付いているだろうメイアは何も言わず、扉の硝子窓部分に取り付けてあるカーテンを掴む。

 同時に、その向こうに人影が立った。

「――――あれ、もう終わり?」

 再び投げかけられたのは、ヴァイと同じ問い。差異があるとすれば、今回の問いには素直な驚きが混じっていることだろう。

 メイアは硝子の向こうの人物と目が合うなり、カーテンを掴んでいた手を扉の取っ手に伸ばした。

「フュンフさん、今日も何か入用ですか?」

 丁寧な動作で扉を押し開け、メイアは顔を出す。あまり目線の高さの変わらない琥珀色の目と視線が交わると、フュンフはそれを細めて申し訳なさそうに後ろ頭を掻きながら苦笑した。

「あ、いやゴメン。そうじゃなくて……」

 その様子から何かを察したらしいメイアが、ふふ、と笑みを零して店内へと促す。

「それなら中へどうぞ」

 フュンフは一度だけ視線をメイアと店内の間で往復させると、少し恐縮したように会釈して礼を述べた。

「ありがと」

 外より幾らか薄暗い建物にフュンフを招き入れるとメイアは扉を閉め、改めてカーテンを引いた。レールを金具が滑る音が店内を横切る。

 その音を聞きながら、仁王立ちに近い状態でカウンターの脇に立っていたヴァイがフュンフに軽く挨拶した。挨拶とは言っても、注意して見ていないと分からないほど小さく頷いただけだが。

 対するフュンフも言葉ではなく、人懐こく目を細めて片手を上げることで返す。その姿を認めたシュネイも遅れて立ち上がると、ぺこりと頭を下げた。

「フュンフさん、こんにちは」

「やあ」

 こうして挨拶も程々に済ませたところで、住居部分へと繋がる扉を開こうとしていたメイアから三人に声が掛かった。

「じゃあ私、お茶の用意してくるね」

「あ……私も手伝います」

 そう言うと再び軽くフュンフに向かって頭を下げ、シュネイはメイアと共に扉の向こうに姿を消した。

 残されたヴァイは少しだけ困ったように眉を寄せると、先に椅子に腰を下ろしたフュンフに倣ってテーブルに着いた。

 たちまち静かになった店内に生まれた、かたん、と椅子と床が擦れる小さな音。だがそれもすぐに空気に呑まれて消え、特に話題も思い浮かばぬままヴァイはテーブルの上で両手を組んだ。

 だがそれを待っていたかのように、フュンフが話題を切り出す。

「無事だったんだね。かなり危ない内容だったから心配してたんだよ」

「……知っていたのか」

 心配していたと言う割にはにこやかに笑うフュンフに、ヴァイは面白くなさそうに返す。

 冷静に考えれば、この少年のような人懐こい表情で笑う青年が昨夜の事について知っていても何ら不思議はないのだが、やはり自分の知らないところで情報が動いているという点ではヴァイにとって気分の良いものではなかった。

「まあね。これでも一応は情報屋だし」

 そうしたヴァイの腹の内を知ってか知らずか、フュンフは得意げに笑った。

 だがそれは一瞬にして別の表情に変わる。

「それにキミならそうするんじゃないかって思ってたからね」

 声は潜められ、射抜くような視線と含み笑いがヴァイに向けられていた。

 掌を返すような突然の豹変に、思わず言葉に詰まったヴァイはただ睨むようにフュンフを見返すことしかできなかった。しかしそこには先程までの人懐こい笑顔があるだけ。

 見間違いかと思えるほど、すっ、と引いたフュンフの表情。それは獲物を狙う猛禽類を彷彿とさせ、鋭利で理知的で、そして強い確信に満ちていた。

「…………」

 自分に向けられる琥珀色の目から、やがて逃げるようにしてヴァイは視線を外した。






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