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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第三章
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異教狩り -32-

 これまでとは明らかに一変したヴァイの様子に、怯んだようにオルクスの動きが停止した。

 空間を青白く照らしていた月光が、ヴァイの纏う(クラ)い気配を拒絶するかのように急速にその明度を下げる。皮膚に絡み付く外気は、夜であることを差し引いても氷のように冷たい。

 ここは何もない平原の中心だというのに、四方を分厚い壁に囲まれたかのような重苦しい圧迫感が場を満たしていた。

 空気さえ薄く感じる、気を抜けば意識を持って行かれそうな重圧の中。たった一人、この息苦しさをも憶える緊張と圧迫感を意に介さず、口の端に冷酷な笑いを浮かべる存在がいた。

 ヴァイは跪き剣を受け止めた態勢で、瞠目したまま瞬きすら忘れているオルクスを見上げていた。そして正面、その見開かれた目の中で、引き結ばれていた唇が笑みの形を壊さぬまま、うっすらと隙間を作る。

「っ!」

 途端、ぴんと張り詰めていた緊張が硝子に罅が入ったように音を立てて崩壊し、その緊張が保っていた均衡をも、いとも簡単に瓦解させた。

 オルクスの焦点が再び自らに定まるのを感じながら、しかしヴァイは次の動作を生む時間を決して許しはしない。

 次の瞬間、ヴァイは淡い光に全身を委ねた。光はたちまち幾筋もの帯となって思い思いに弧を描き、それを見つめるしかできないオルクスを無慈悲にも貫いた。

「――――!」

 突然訪れた衝撃に悲鳴すら上がらず、肺に溜まった空気が塊となって吐き出されたような鈍く詰まった音が聞こえた。

 無防備な状態で真正面から術を受けたオルクスの身体は、すくい上げられるように軽々と持ち上げられ、頭上高く宙に舞った。飛散した血が、背景の青白い月に黒い染みとなって浮かび上がる。

 そして一切の抵抗を忘れたように脱力した体躯は頂点で短く静止したかと思うと、今度は重力に任せて、まるで子供に飽きられ放り出された人形のように無残に地面へと打ち付けられた。

 ぐしゃ、という何かが潰れる湿っぽい音を残し、オルクスはぴくりとも動かなくなった。遅れて、同じように弾かれていた剣が離れた地面に吸い込まれるように突き刺さる。

「…………」

 ヴァイはその光景を目に映しながらゆっくりとした動作で立ち上がると、右手には逆手に剣を握ったまま、酷くつまらないものを見る目でオルクスを瞰下した。

 そこに含まれる、強烈な蔑みと嘲り。

「聖教会の犬が、身の程を知るべきだったね」

 冥府への門が開かれるように、じわじわと黒く広がる血溜まりを眺めながら酷薄に言い放った。

 だがすぐに一切の興味を失ったように視線を外すと、先程の消耗を感じさせないしなやかな動作で振り返る。そこで真っ先に目が合ったのは、銃口をオルクスへと向けたままのシュネイだった。

 ヴァイが浮かべる、背筋にうそ寒いものを運ぶうっすらとした笑みを認識した途端、シュネイの表情が見る見るうちに強張った。

 闇に溶けるようでいて、強烈な退廃性を孕んだ、圧倒的な存在感。

 シュネイは、この感覚を知っていた。

「ヴァイ……?」

 その隣で同じくヴァイの纏う気配の異様さに気付いたレーヴェが、喘ぐように呟く。

 それを聞き取ったのか、あるいは表情から汲み取ったのか、ヴァイはどこか嬉しそうに目を細めた。

 しかしレーヴェの問いに応えたのは、何度も首を振って否定するシュネイだった。

「ち、違います……! この感じは……」


 ……ザイン。


 その名を出せぬまま口を閉ざすシュネイに、言わんとすることを察したヴァイ――――いや、ヴァイの姿を借りたザインは屈託なく微笑む。

「よく分かったね」

 そして次にうずくまるレーヴェを捉えると、

「そこの君は、正式には初めまして、かな」

 無邪気な子供のように人懐こい表情を向けた。ヴァイならば絶対に浮かべることのないそれが、一際異常さと異様さを強調させる。

 だがそれよりも遥かに強く二人に湧き上がったのは、純粋なまでの、何故、という疑問。

「う……し、師匠は……」

 少しの沈黙の後、シュネイが恐る恐る口を開いた。心なしか、声が震えている。

 その少女らしい大きな目が、押さえ切れないほどの激しい動揺と混乱で揺れているのを確認すると、ザインはくすくすと悪意のない笑いを漏らした。

「心配しないで。ヴァイならここにいるよ。ほら――――」

 そう言って目を閉じ、俯く。

 一体何をしているのか理解できない二人の前で再びその顔が持ち上がると、そこには普段とは比にならないほどの強い苛立ちを内包したヴァイが、確かに居た。

 ヴァイは呆然とする二人に見向きもせず、しかし溢れ出る苛立ちと憎悪と殺意を必死に押し殺そうとするように、ゆっくりとした動作で肩越しに振り返る。

 氷よりも冷たく、刃よりも鋭い視線の先。少し離れた場所に、つま先で立つようにして宙に浮かぶザインの姿。

 ヴァイと同じ(カオ)をした、しかしそこに浮かぶ表情は正反対の二人。

 その愉しげな微笑を湛えた目と視線がぶつかるなり、ヴァイは低く唸る。

「余計なことを……!」

 洪水のように溢れる感情は、もはや止まることを知らない。そんなヴァイに向けられる、ザインのどこか愛おしささえ帯びた表情がそれを爆発的に加速させた。

「君だって死にたかったわけじゃないでしょう? それとも、もう“どうなっても良かった”の?」

「…………」

 全てを見透かしたザインの言葉に、近くに寄れば奥歯が、ぎり、と音を立てるのが聞こえそうなほどに強く歯噛みした。

 それを知って、ザインはまた続ける。

「この程度に苦戦するなんて随分魔力が落ちたみたいだね。そんなので僕をどうするつもり?」

 明らかな挑発に、その原因である人物を厳しい表情で睨みながら、口に出しかけた言葉を寸前のところで嚥下した。

 本当ならば今すぐにでも消し去ってやりたいが、この消耗しきった状態ではどうにもならない。いや、仮にそうでなかったとしても結果は同じかもしれない。そう思うと自分の無力さに酷く腹が立ち、血が滲むほどの歯痒さがじりじりと心臓を締め上げる。

「……そんな下らない話をしに来たのか」

 ヴァイは余計な考えを振り払い、精一杯の平静を装って低く呟く。相手をすることさえ拒絶するといったその態度に、ザインは面白くなさそうに小さく肩を竦めて見せた。

「もう諦めて、受け入れた方が楽なのに……」

 わざとらしい溜息の混じった言葉ははっきりとヴァイに届いていたが、自分が応じるほどにザインが高揚してゆくことを知っているため、ひたすら無言を貫いた。

 そんなヴァイを余所に、束ねた長髪を揺らしながらザインは夜空を仰ぐ。

「……近いね、満月が」

 ぽつり、と呟いた。

 突然の話題の転換に、その真意を理解しかねたヴァイは思い切り眉根を寄せた。視線だけを動かし、空に浮かぶ大きな月を盗み見るように睨む。

 あと二日もすれば完全に満ちるであろう月に特別な何かは見られず、すぐにそれを見上げているザインの横顔へと視線を戻した。気付いたザインはヴァイを横目に見ながら、新しく考えた悪戯を実行しようとする子供のような悪意に満ちた笑みを浮かべていた。


「次の満月に、“儀式”をしようと思うんだ」

「――――!?」


 突如ザインの口から発せられた言葉に、ヴァイは絶句した。

 今まで自分の中に灼熱の炎のごとく渦巻いていた感情の一切が、一斉に身を潜める。

 それはヴァイが全く考慮していなかった――――いや、極めて無意識的に可能性から排除していた言葉だった。

「場所は……もちろん分かるよね」

 突然の宣言に言葉を失うヴァイに対し、少しだけ首を傾け、不敵にその目を細めながらザインは言う。

「貴様……まさか≪遺物(レリック)≫を……!」

 低く搾り出すようなヴァイの言葉に、微笑を湛えたままのザインは何も言わなかった。代わりにもう一度だけ月を見上げると、やがてその姿を風景に透かしながら、夜闇に溶けるようにして姿を消した。

「…………」

 周囲を探るもすでに気配はなく、これ以上は無駄だと悟ったヴァイは苛立ちを吐き出すように深く嘆息した。

 たった今聞かされたザインの台詞とあの微笑が、頭の中でひたすらに渦巻いている。

「……」

 否、今はそれどころではない。

 ヴァイは思考からザインの存在を強制的に追い出し、改めて二人へと振り返る。その動作の途中、半分ほど振り返ったところで右手の中にある剣の柄の感触に気付いた。

 逆手に握った剣を胸の前まで持ち上げると刀身を月光にかざし、傷が付いていないことを丁寧に確認した後、大切そうに腰に提げた鞘へと納めた。

「…………」

 その一連の行動を、血の気の失せたレーヴェが何か言いたげに見つめていたことには気付かない。

 剣を仕舞ったヴァイは足早に二人の元へと歩み寄ると、まずは今にも泣き出しそうな顔をしているシュネイに声を掛けた。

「……お前は大丈夫そうだな」

 激しい魔術を使役したこと以外は目立った外傷もなく、今すぐ生命に関る事態ではないとヴァイは判断したようだ。

「は、はいっ……でも師匠は……レーヴェさんは……」

 シュネイは何度か首を縦に振りながら、今にも涙の零れそうな目で縋るようにヴァイを見上げる。だが一度に色々なことが起きて少し混乱しているのか、言葉の内容がどこか纏まっていない。

 ヴァイは困惑するシュネイに小さく頷いてみせると、血の気のない顔で苦痛に耐えているレーヴェへと視線を移動させる。

「オレだけ、しくじったみたいだな……」

 目が合うなり、レーヴェはほとんど引き攣っただけの自嘲の笑みを浮かべた。

 左の脇腹に埋まる刀身を隠すように添えられている手は血で滑り、着ている服もぐっしょりと血を吸って変色している。

 脇腹に剣が突き刺さったままの姿は痛々しいが、抜いた途端に血が溢れ出して数分と保たずに死んでいただろう。傭兵だけに、その辺りの判断は冷静なようだ。

「…………」

 ヴァイは数秒眺めるようにレーヴェを見下ろしていたが、やがて二人は短く言葉を交わした。その直後、身を屈めたヴァイが脇腹を貫通する剣へと手を伸ばす。

 そして両手で柄を握ると、一拍の空白の後、躊躇いなくそれを引き抜いた。


 ………………






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