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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第三章
51/71

異教狩り -30-

                  ◆


 無言のままに魔術を操るヴァイ。

 詠唱という予告を省かれたために発現が不明瞭なそれを、オルクスがエーテルの変化だけを頼りに辛うじて受け流している。

「必要としないはずの詠唱を故意に用いていたのは、周囲の目を誤魔化すため。そうですね?」

 断定的な言葉を投げる表情に、先程までの余裕は見られない。

 一方のヴァイは続けざまに魔術を喚び起こすことで、会話すら拒絶した。

 ヴァイの正面に、暗紫色の光が小さな五つの魔法陣を描き出す。刹那、全ての魔法陣が同時に強い光を発したかと思うと、それぞれの中心から陣と同色の剣が半身を覗かせた。剣と呼ぶには聊か巨大な暗紫色の刀身は一瞬の沈黙の後、引き絞られた矢がそうするように一斉に魔法陣から射出した。

「<光風の衣よ>!」

 魔術の発現をすでに察知していたオルクスが即座に護りの魔術を展開する。仄かな翠緑の光が薄布のように広がると、オルクスを柔らかく包み込んだ。

 風景を透かすほど淡い光は、焦点をオルクスに定めた五本の剣を触れた傍から霧散させた。

 だがヴァイの術の威力に押され、オルクスは蹌踉めくようにして一歩後退する。

「これだけの力を持ちえて、貴方は何をしようというのですか」

「…………」

 露骨なまでの憤懣を示すオルクスに、やはりヴァイは応えようとはしなかった。

 言葉の裏に見え隠れする問いの意味に気付きはしたが、それに応える理由と必要性を感じなかったからだ。

 過去、そして現在に至るまでの聖教会の行いの理非に一切の疑念を抱懐しない者――――ましてや聖教会に属する者――――が理解できるはずもないし、そうして欲しいとも思っていない。

 オルクスはヴァイの態度が遺憾にたえないといったように、一度だけ左右に首を振った。

 そして、

「……気に入りませんね」

 ぽつり、と呟いた。

 聞き取り損ねたヴァイが訝しげに眉根を寄せる。

 だが次に垣間見たのは、強かな激情だった。

「望んでも力を授からない者もいるというのに……!」

 押し殺した叫びが確かに帯びる怒気。

 再びこちらへ向けられた目に輝るのは、敵愾心か嫉視か。

 これまで微笑の下に隠していた素顔をぶちまけるかのように、それらはヴァイへと向けられた。

 風が、オルクスの怒りに同調するかのごとく荒らぐ。

「…………」

 穏やかだったエーテルの突然の変化に、ヴァイは警戒の色を滲ませた。風を司るエーテルがざわめいている。

 過去に感じたことのないエーテルの呈する不穏な様相に、ほんの一瞬ヴァイの注意が逸れた。

「<冥界の風、彼の者を(いざな)え>!」

 その隙を突くように、オルクスが魔術を詠んだ。

 しかしそれが具現化するより僅かに早く、ヴァイは再び自身の暗影から闇色の龍を喚び出した。

 姿を与えられた闇はヴァイに迫る術をいとも容易く消滅させると、その勢いのままオルクスを猛襲する。

 すぐにオルクスが魔術を詠むが間に合わず、しかし不完全に発現した魔術が龍の軌道を曲げた。龍はオルクスの左肩を抉るように掠め、するりと主の影へ還ってゆく。

「っ!」

 真っ白な魔導着に、真っ赤な染みが花開いた。

 オルクスは庇うように傷口を押さえると、殺意の覗く目でヴァイを睨み付ける。

「…………」

 ヴァイは冷ややかな、それでいてどこか複雑そうな表情を浮かべながら左手を構えた。

 その仕種とエーテルの流動に鋭敏に反応したオルクスは、何かを決意したように凛とした、それでいてヴァイへの憎悪をはっきりと浮かべながら両手を正面に差し出した。

 掌を天に向け、神聖な儀式のように。

「――――<我捧ぐ崇敬の頌歌>」

 滑らかな詠唱の言葉が、風に乗った。

 これまでとは比にならない巨大な魔法陣が形成され始める。

「<其が齎すは稀覯(きこう)なる冥加>」

 魔法陣と比例するかのごとく膨大な量のエーテルが、陣の中心に立つオルクスへと集まる。

 ほんの僅かに、ヴァイの眉が動いた。

 稀に見る高位魔術だった。

 ヴァイは唱えようとしていた魔術を、より強力なものへと切り替えた。

 しかし、これだけの魔術を討ち合えば双方ともただでは済まされない。オルクスもそれを理解していないはずがない。

 差し違えすら覚悟しているのではないかと、ヴァイは感じた。

「<久遠の盟約、今こそ果たされん>!」

 痛烈で凄絶な叫びと共に、オルクスの描いた魔法陣が翠緑に閃く。

 同時に、ヴァイの足元の魔法陣が闇を纏った。

 二つの魔法陣から喚び出された魔術が、空を覆わんとばかりに膨張する。

 もやは止める術を失った二つの魔術は、一切の躊躇なくぶつかるだけ。互いを呑み込もうとするように闇と風が混じり合い、あっと言う間に視界を奪った。

 黒緑の、霧と表現するには明らかに濃いそれは、意思を持ったかのように形を変えながら蠢く。

 霧の中で何が起きているのか、外から確認することはできない。絶え間なく聞こえる強い衝突音が、幾重もの衝撃波を撒き散らした。

 しばらくそれが続いたが、やがて夜風に流されるようにして徐々に視界が晴れた。

「…………」

 先と同じ場所に、同じ表情のままのヴァイが佇んでいた。

 主との別れを惜しむのか、それとも最後の抵抗か、薄く残った黒緑の霧がヴァイの頬をそっと撫でて消えた。

 そのヴァイが無言で見下ろす先には、地面にうつ伏せに倒れているオルクスの姿。

「う……かはっ」

 小さく咳き込めば、吐き出された血がまばらに地面を汚す。身体の下には、広がり始めた血溜まり。

 オルクスは上体を少しだけ浮かせながら、ヴァイを見上げた。

「この僕が、こんな奴に……?」

 そして全く理解できないと言うように口走った。

「一体何者なんだ、お前は……!?」

「…………」

 ヴァイは表情を変えず、硝子のような目にただただオルクスの姿を映していた。

 そこに何を見たのだろう、ヴァイの目の中でオルクスが(わら)った。

「……そうか。そういうことか」

 くくっ、とその喉が鳴る。

「あははっ、それなら全て納得がいく。今に至るまで僕が気付かなかったことも、全て!」

 声をあげて哄笑したオルクスが再び咳き込む。口元を手で覆いはするが、大量の吐血の受け皿には不十分だった。ぱたぱたと垂れる血にどろりとした塊の混ざったものが地面に撒かれた。

「僕は、とんだ茶番だったわけですね」

 オルクスは褐色がかった血で汚れた手を見つめて言った。その表情はどこか虚ろで、強い自嘲を孕んでいた。

「…………」

 ヴァイは数歩オルクスへと近付くと、酷薄にその様子を見下ろす。視線が短く交錯すると、オルクスは瞼を閉ざして俯いた。

 何も言わず、ヴァイは左手を胸の前に構える。

 その気配に気付いたのか、地面に突いたオルクスの手に力が込められた。

「だけど、僕はまだ死ぬわけにはいかない……ブリーゼンに再び栄光を取り戻すまで、僕は……」

 血で汚れた大地に、翠緑の魔法陣が現れ始める。

 噛み付くように顔を上げたオルクスは、ヴァイが微かに憐憫を湛えていたことに気付かない。

「僕は――――!」

 そして風は、闇に溶けた。






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