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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第三章
50/71

異教狩り -29-

                  ◆


「<舞え、旋風>!」

 絶え間なく魔術を詠唱するオルクス。対するヴァイは小さく唇を動かして護りの魔術を展開する。柔らかな光がふわりとヴァイを包み込む。

 直後、魔術と魔術の衝突が起こった。

 四方からヴァイを切り刻まんと唸りをあげる風が、光とぶつかり次々と無効化されてゆく。微弱だが堅固な光の壁は、主に傷をつけることを赦しはしない。

 だがヴァイは視界を遮るように巻き上げられる砂塵のその向こうで、オルクスの目が細められたことに気が付いた。


 ――――これは……!


 吹き荒ぶ風は突如としてヴァイの魔術を破り、無数の刃となって襲い掛かった。ヴァイはほとんど反射的に、頭部を庇うようにして腕を交差させる。

 耳元を風が掠める音。次いで渦を巻く風刃に肉を薄く切り裂かれ、全身の痛覚が一斉に反応した。

 悪戯に方向を変えながら吹きつける風の中、ヴァイは早口で護りの魔術を詠んだ。

「――――まだ立っていますね。よかったよかった」

 強風が去り、視界が晴れた先に待っていたのは歪められた笑み。

「……随分と呪術にも通じているようだな」

 切れた頬から流れる血を拭いながら、ヴァイは鋭くオルクスを睨み付けた。

「嗜み程度ですよ。いくら貴方の魔力が強くても、これなら全て防ぎきるのは難しいでしょう?」

 悪意すら孕んだ言葉の後で、くくっ、とオルクスの喉が鳴るのが分かった。そして肩の高さまで片手を持ち上げると、ヴァイに向かって愉しげに叫ぶ。

「さあ、<瞑目までの輪舞を、閃風と共に>!」

 その言葉が終わる前に、ヴァイも詠唱に入った。足元に小さな緑色の魔法陣が出現する。次に魔導着の裾が風を孕んだかと思うと、ヴァイは強く大地を蹴った。

 魔術の力を借りて、横方向へ五メートル近い跳躍を見せる。そしてその軌道を追うように、目視できない風の刃が大地を深く抉った。

 ヴァイは間を置かずに着地点から飛び退く。しかしオルクスの指揮棒を操るような腕の動きに合わせ、風刃も方向を変えた。

 正面から迫る刃に、表情を一層険しくしつつ短い詠唱を囁く。すると、まだ着地していなかったヴァイが空を蹴って身を翻した。

 だが躱しきれていなかった風刃が腕を掠め、病的に白いヴァイの肌に新しい傷口を作る。

「くっ……」

 先までとは異なり、オルクスの意のまま、ヴァイにとっては不規則に襲い掛かる魔術に、回避すら思うようにいかない。

「そうやって逃げ回ったところで、いつまで保ちますかねぇ? それとも、腰の剣で僕と戦いますか?」

 オルクスの言葉に、不快げにヴァイの眉が寄った。呪術を併用するオルクスと比べ、魔術のみで対抗しているヴァイの方が消耗が大きいことを見越して言っているのだ。

「…………よく喋る」

「褒め言葉として受け取っておきますよ」

 そう言って口角を持ち上げると、オルクスは先の詠唱を再び口にした。

 ヴァイは今度はその場から動かずに、別の手段を講じる。

「<深淵の幻影>」

 詠唱と共に、ヴァイを中心として闇色の魔法陣が展開した。魔法陣からは、濃度を薄めただけの闇のような黒い霧が立ち籠める。

 黒霧はヴァイへと襲い掛かるひとつの風刃と接触すると、それを包み込むようにして消し去った。

 次の瞬間には同じ現象がヴァイの四囲で起き、魔法陣の中心にいるはずの主の姿を黒く遮る。

「…………」

 しかし連続した魔術の行使と左腕の深い傷が、着実にヴァイの体力を奪っていた。凝固しかけて粘性を増した血の嫌な感触を腕に感じながら、上がった息を落ち着かせるように一度大きく息を吐く。

 そして魔術を詠もうと身構えた直後、僅かにヴァイの目が見開かれた。

「……!?」

 そのまま慌てた様子で振り返った先には、稲妻による半球状の空間が形成されていた。

「しまったか……!」

 瞬時に全てを悟ったヴァイに浮かぶ、焦慮と自責の入り混じった表情。完全にオルクスに気を取られすぎていた。

 だがオルクスは後悔する時間すら与えてはくれない。

「……!」

 ヴァイは敏感に魔術の気配を察知して後方に飛び退いた。その眼前すれすれの場所を、風の塊が通過してゆくのが分かった。

「よそ見する暇などないと言ったでしょう?」

 見たのは、まるで弱った獲物を更に弄ぶような、狂喜に溢れた笑み。

 オルクスが優雅な動作で腕を振ると、風は大地の表面を削り取りながら標的へと猛進する。

 それに対抗するために短く紡ぎ出されるヴァイの言葉に反応し、消滅しかけていた闇色の魔法陣が再び光を取り戻した。覚醒した魔法陣からは黒霧が溢れ、それは風刃を中に取り込むと混じり合うようにして消滅した。

 束の間の静寂が、両者の間に訪れた。

 ヴァイの冷然とした無表情と、オルクスの狂気さえ覗かせる笑み。それらは埋まることのない温度差を感じさせた。

 一触即発の空気が張り詰める。

 そこへ。


 ぬっ、


 と、唐突に月光が翳った。

 不自然さに気付いたオルクスが反射的に空を見上げる。

「!?」

 そこにあったのは奈落へと続く口をぱっくりと開いた、闇色の巨大な龍の姿。

「な……っ!?」

 咄嗟にその場から避けようとするが、地面へと垂直に降下する龍はオルクスの纏う白い外套を半分ほど食い千切り、片足を掠めた。僅かな傷から駆け上がる不相応な痛みに笑みは消え、その顔が顰められる。

 龍が大地に吸いこまれるようにして去った後、オルクスのものとは思えない愕然とした表情がヴァイへと向けられた。

「…………」

 それが自身に傷を負わせたことに対するものなどではないと理解しているヴァイも、無言のままに睨み返す。

 その態度こそが肯定であり、秘するつもりもないのだとオルクスは解釈したらしい。

「驚きました。理論上では可能だと聞いていましたが……」

 外套の留め具を外しながら言う。大きく欠損して軽くなったそれを指先で摘むように持つと、肩の高さからはらりと落とした。

「まさか本当に詠唱を使わずに魔術を行使する者がいようとは」

「…………」

 ヴァイは何も言わない。

「やはり、ただ者ではないようですね」

 細められたオルクスの目に、今までにない敵意が光った。





 シュネイは魔術で大きく表面の荒れた大地をしばらく眺めていたが、はっとして顔を上げた。そして「しまった」とでも言うように口元に両手を当てて見せる。

 それは子供が悪意のない失態を犯してしまい、親に叱られるのを想像する姿にも似ていた。

 シュネイが困惑したように目線を走らせていると、やがて円形に窪んだ大地のその向こう側に倒れている人物が目に入った。

 見慣れた人物のあってはならない姿に、シュネイは表情を引き攣らせる。

「レーヴェさん!」

 そう叫ぶや否や、シュネイは駆け出した。幾度か荒れた地面に足を取られそうになりながら、レーヴェの元へと走る。

「レーヴェさん大丈夫ですか……!?」

 傍へと駆け寄ったシュネイは、その隣に膝を折った。

 レーヴェは片手を後ろ手に突き、反対の手で自身を貫く刀身の付け根を隠すように押さえていた。繰り返される、浅い呼吸。

 じわじわと流れ出すどす黒い血と、深々と切り裂かれた掌から溢れる鮮血が交じり合い、腹部を真っ赤に染め上げていた。

 その出血の量を見るなり、シュネイの顔から血の気が引いた。出しかけていた言葉も喉元で止まり、息が詰まるのを感じた。

 その気配に気付いたのか、ぐったりと首を垂れていたレーヴェが視線だけをシュネイに向けた。

 そして、

「大丈夫……と言いたいけど、無理っぽいわ」

 ははっ、と自嘲を含んだ乾いた笑みを浮かべた。






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