異教狩り -27-
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「これでどうです? <舞い飛べ、風刃>!」
「……<断絶>」
今や何度目かも分からなくなった魔術の応酬。二人の間で発生した衝撃波が、波紋となって周囲に広がる。
「なるほど……中々のものですね。ここで消すには惜しいですよ、その力」
肩に掛かった髪を背中へと流しながら、オルクスが笑う。
その余裕と饒舌さにうんざりとしつつも、ヴァイは抱えていた疑問を投げ掛けた。
「偽の情報を流したのは、貴様だな」
断定的なヴァイの言葉に、ほんの一瞬オルクスが小さく目を見開いた。だがすぐに口元がうっすらとした笑みの形に戻る。
「やはり勘付いていましたか。だから今ここにいるのでしょうけれど」
一度言葉を区切ると、オルクスは深く息を吐いた。そしてヴァイに戻された視線、その目にはほんのりと喜色が滲んでいた。
「何故分かったのか、訊いても?」
楽しげに訊ねてくるオルクスに、躊躇しつつもヴァイは重い口を開いた。
「……強いて言えば、最初から。情報屋が、聖教会の……特に裏の情報をあれほど正確に入手していることに不審を抱いた。そして、その情報屋もすでに疑いを持っていた。これがひとつ」
「…………」
オルクスは何も言わずにヴァイの話に耳を傾けている。
視線に促されるまま、ヴァイは続ける。
「もうひとつ。今回の≪異教狩り≫の標的がクースであれば、動くのは間違いなく距離が近く部隊規模の大きいフォーゲルブルクの騎士団。それを聖典を目前に控えたこの時期に、警備を手薄にしてまで駆り出す理由が“それくらい”しか思い当たらなかった」
ヴァイがそう言い終わると、オルクスは満足げに深く頷いた。
「ご明察。貴方の推測通りです。本来ならば早々にクースを焼いて、そのあと偽の情報に踊らされて来た連中を始末する予定でした」
片手を差し出すようにして、オルクス。
「大方、人質でも取っておくつもりだったのだろう」
それを鋭く睨む、ヴァイ。
こうする間にも左腕からは出血が続き、徐々に体温を奪われ始めているのを感じていた。
「……全ては以前我々の邪魔をした者を誘き出すため。逃がしたままでは面目が保てませんからね」
だがオルクスはヴァイの問いには答えず、優雅な動作で差し出していた手を持ち上げる。白い外套が夜闇を透かすようにして、はためく。
「……もし現れなければ、クースの住民を?」
「察しが良いですね。仰る通り、反逆者の身代わりとして二、三引っ張って、聖典の前後にでも公開処刑にする手筈でした。さすがに手ぶらでは帰れませんから」
「…………」
そうは言っているが、情報を流しておけば高い確率で餌に食いついて来る確信があったのだろうとヴァイは思う。
「でも、ですね」
ぽつり、とオルクスが漏らした。
「こうして御託を並べていれば“らしく”聞こえるのかもしれませんが、一番の理由は、許せなかったからです。この僕から逃げ果せた人間が、ね」
くくっ、とその喉が鳴る。
「…………」
「けれど罠だと理解した上でこうしてやって来てくれた貴方がたには、敬意を示さなければなりません。だから――――」
指揮棒を操るようにして、オルクスはおもむろに腕を高く持ち上げる。
そして邪悪な笑みを顔に張り付かせて、舞台の開幕を告げた。
「簡単には殺しませんよ!」
視界が完全に奪われた中、まだ機能を保っている聴覚を襲うのは闇が蠢くねっとりとくぐもった音。それは徐々に平衡感覚をも奪い、シュネイはまだ自分が同じ場所に立っているのか、それともすでに暗闇へと引き擦り込まれてしまったのか判断がつかなくなっていた。
「――――っ」
言葉を発してみても残らず闇に吸収され、自身の耳にも届かない。肌に纏わりつくのは、全身を小さな蟲が這いずり回っているかのような、おぞましい感覚。
痛みよりも激しい嫌悪感をもよおしながら、シュネイの五感の全ては闇によって支配されてゆく。
――――死ぬって、こんな感覚なんだ……
ぞわぞわと自分を呑み込もうとする闇の中で、シュネイは思った。
思った直後に、理性は意外にも冷静なことに気付いてうっすらと笑みが浮かぶ。それを怺えるかのようにゆっくりと瞼を閉じるが、微かな光さえ遮断された中では見える景色は変わらなかった。
――――師匠、すみません……
そして言いつけを守れなかった子供がそうするように、謝罪を述べた。
「……さて」
長髪の騎士は、まだ蠢いている闇の塊に背を向けた。隣では魔術師が、闇がシュネイを完全に連れ去る瞬間を待っている。
その様子を横目で流し見ると、剣を回転させて玩びながら次の標的を絞る。
「随分やられちゃったけど、ここまでにしてもらおうか」
独り言を呟くと、離れた場所にいるヴァイを視界に捉えた。
手の中で遊ばせていた剣の柄を、音を立てながら強く握り直す。そしてそれを逆袈裟に振り上げようとした時だった。
「な……どうなっている……!?」
隣から魔術師の慌てた声が耳に届いた。
「どうした?」
騎士は訊ねながら肩越しに振り返った。魔術師の視線の先には、シュネイと共にゆっくりと終息を迎えつつある闇の塊があるだけ。
そのはずだった。
「分からない……だが術が分解されている」
「……分解?」
「それが正しい表現なのかも分からない。だが、今までに感じたことのない感覚だ」
魔術師の言葉に、長髪の騎士は思い切り眉を顰めた。
「何それ……? 相殺されるのなら分かるんだけど……」
騎士は魔術の気配を探った。確かに外的な干渉を受け、効果が弱まっているようだ。
そして徐々に闇は晴れ、本来ならば虚空だけが残っているはずの場所。二人の視線が注がれる先では、目を閉じたシュネイが俯いて静かに佇んでいた。その身体には、傷ひとつ与えられていない。
「…………」
ただごとではないと感じ、首を動かして振り向いていただけの騎士は身体を正面に向けた。無言のまま、先程よりも鋭い表情を浮かべて剣を回す。慣れた動作で操られる刀身から、風が生まれた。
狙う先はもちろん、顔を伏せたまま一歩も動こうとしないシュネイ。風刃は一直線にシュネイを目掛けて空気を斬った。
疾風の刃が目標に到達するまで、ほんの一瞬だった。
しかしそれは目標を切り裂くどころか、シュネイを目前にして溶けるようにして消滅する。
「何……!?」
騎士の目が驚きに見開かれる。しかしすぐに剣を構え直すと、今度は手首だけでなく全身を使って刃を振り下げた。先よりも勢いを増した風刃が作り出される。
騎士の隣にいた魔術師も、術の詠唱を始めた。言葉に操られ、魔法陣がシュネイの足元に発生する。
二つが同時にシュネイに襲い掛かるも、結果は同じだった。溶けるように、吸い込まれるように、シュネイに触れては消滅した。
「……まさか」
何かに気付いたような魔術師が、思わず声を漏らす。微かな呟きが届いていた騎士は、
「何か知ってるのか?」
そう訊ねるが、冷静さを欠いた魔術師には聞こえていない。
「<天に叛きし至愚なる者よ>」
俯いたままのシュネイの口から、詠唱の言葉が紡がれる。頭上から重くのしかかるような、少女とは思えぬ低い声に騎士の額に冷や汗が伝った。
「おい……!」
危機を感じて魔術師に呼びかけるが、顔を蒼白に変えた魔術師は少しの反応も示さない。代わりにぱくぱくと意味もなく口が動いている。
「いや……まさか……あの時、全滅させられたはず……」
騎士は譫言を口走る魔術師に舌打ちすると、鞘に下げていたアクセサリを引きちぎるようにして手に取った。そして小さく何か囁くと、アクセサリは魔法障壁を発生させた。
「<断罪の儀は大いなる祝福の下、汝を裁くは雷帝の槌>!」
空気を裂いて響く霹靂。
天を二つに分かちながら、紫電の光が大地を穿った。




