異教狩り -26-
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「まだ戦いますか? 今なら極刑は避けられるかもしれませんよ?」
ヴァイの腕から滴る赤を恍惚と眺めながら、唄うようにオルクスが言う。音色だけ聞いたならば、慈悲深き神の御使いの言葉かと錯覚すら起こしそうだ。
「どの道、ここから生かして帰すつもりなどないのだろう」
ヴァイの目に映り込むのは、御使いの顔に張り付いた歪んだ笑み。それを聞くなり、邪悪なる御使いは満足げに鼻を鳴らした。
「おや。よく分かりましたねぇ」
大袈裟に抑揚のついた台詞が、ヴァイの苛立ちと嫌悪を募らせる。そして舞台に立つ役者のように、オルクスが両手を広げた。
白い外套が、風を孕んで音を立てた。
それを合図としたように騎士が二人、抜き身の刀身を鈍く光らせつつ左右から駆ける。
ヴァイは魔術を行使する時にいつもそうするように、左手を胸の前に構えた。決して大きくはない動作だが、深々と肉が裂開した腕からは真新しい血が飛散する。しかし本人が気に留める様子は一切ない。
左手に魔力を集束させつつ、騎士達を引きつける。
二人が同時に魔術の範囲に入るまで、あと数メートル。
引き結ばれた唇がうっすらと開かれた時、別の声が緊迫した空気を破った。
「<風槍、我が敵を貫け>!」
詠唱と共にオルクスが右手を突き出す。腕に纏った風は言葉通り一柄の槍となり、接してさえいない大地を抉りながらヴァイを目掛けて唸りを上げた。
「<断絶せよ>」
ヴァイは咄嗟に攻撃から防御へと転身する。緑に光る魔法陣がヴァイの正面に出現した直後、風槍はそこに激突した。
二つの魔術が激突して生じる、耳を塞ぎたくなる凄絶な爆音。強烈な衝撃で、腕の傷が痺れるように痛んだ。
――――重い……!
予想を上回る強力な魔術。真正面からそれを受け止めたヴァイは、勢いに圧されてずるずると後退した。進路を阻まれ行き場を失った風が渦を巻いてヴァイから流れる血を攫い、顔に魔導着に次々と赤い斑点を落とした。
だが魔術を防いでいる間にも、二人の騎士がヴァイを間合いに捉えようとしている。悠長に態勢を立て直している時間はない。
「くっ……」
どの道この状況では、初撃を躱せたとしてもそれまでだ。その場で素早く応戦すべく、ヴァイは再び左手を構えた。
「<堅牢なる地爪>」
剣先が届くよりも早く、大地はヴァイの声に応えた。たちまちヴァイと騎士達との間隙を縫って、高々と大地が隆起する。極めて一時的な防御だが、壁が両者を隔てている間にヴァイは立て続けに魔術を詠んだ。
「<深淵の眷属、応えよ>」
刹那、全身の毛が逆立つような異質な寒気が肌を撫でた。ヴァイを中心とした周辺の温度が、一気に低下する。
一拍の沈黙。その直後。
もぞ、
月光が作り出すヴァイの暗影が、蠢く。
「<行け>」
主の命に従うようにそこから出現したのは、暗闇を凝縮させた巨大な龍。龍は音のない咆哮を上げて空気を震わせると、長い胴をくねらせオルクスへと襲い掛かった。
「これは……」
一瞬だけ瞠目したオルクスだったが、すぐに楽しげに目を細めて見せた。
「<守護者たる御霊の目醒め、賜るは其の祝福>」
詠唱を開始したオルクス。それをひと呑みにしようと、龍の口が大きく開かれる。
「<崇高なる神風の抱擁、此処へ>!」
滑らかな声が紡ぐ言葉。それに呼応した白緑色の光が、オルクスを優しく包み込んだ。
だがオルクスの眼前には、深淵を覗かせる龍の口腔が間近に迫っていた。龍は勢いを殺さないままオルクスに襲い掛かる。そのまま流れ込むようにしてオルクスを守る光に接触すると、龍は驚くほどに呆気なく霧散した。
「……何!?」
あまりの手応えのなさに、オルクスは愕然とした。
闇色の霧が晴れた先。そこに見たのは同じ闇色の龍に呑まれる二人の騎士の姿だった。
二頭の龍は獲物を捕食すると、一度ヴァイの頭上を旋回して主の影へと戻って行った。
「……僕の方は囮でしたか。なるほど」
優秀な子供を褒めるような感嘆を滲ませた台詞。騎士が二人死んだと言うのに、その目は未だ楽しげに笑っていた。
「久々に、楽しめそうですね」
返り血など気に留める素振りもなく、シュネイは自分の方へと倒れ込む騎士の亡骸を避けた。それをふた目と見ることなく、長髪の騎士へと狙いをつける。
銃口を向けられた騎士も、刃先を下に身構えた。
シュネイは二丁の魔法銃を地面と水平に構え、それぞれ二回ずつ引き金を引いた。光弾は目にも留まらぬ速度で、的確に標的へと吸い込まれる。
「…………」
だが騎士は弾を避けようともせず、再び回すようにして剣を二振りした。それだけの動作で、騎士に穴を開けるはずだった四発の光弾は見事に全て弾かれた。
それを見ていたシュネイの表情が険しさを帯びる。長髪の騎士の斜め後方では、魔術師が再び詠唱を開始した。
詠唱に反応したシュネイはすぐさま銃口を魔術師へと向け、
「……」
躊躇いなく引き金を絞った。
魔術師は、動かない。
一瞬で到達するはずの光弾。それと魔術師との間に黒い影が割って入った。
「!?」
それは長髪の騎士だった。銃口と魔術師とを結ぶ直線を断ち切るように、騎士の操る鈍色の閃きが光弾を弾く。
僅かにシュネイの目が見開かれた。その表情の変化に気付いた長髪の騎士は、口の端を僅かに持ち上げ、
「急所しか狙わないなら、軌道予測が簡単なんだよね」
言いながら、またもや風刃を飛ばす。
シュネイは右へサイドステップを踏み、軽やかに躱した。そして着地する、その足首を。
「え……!?」
何かが、強い力で縫い止めた。
驚いたシュネイが足元に目をやると、闇色の鎖のようなものが両足に螺旋状に巻きついている。すぐに脱出を試みて両足に力を込めるが、鎖はびくともしない。
捕縛用の魔術だったとは。回避に専念しすぎた自分に悪態を突いた。
だがこういった類の魔術は、術者を討ち取れば効果が消滅する。シュネイは迷わず魔術師へと銃を向けた。
――――いや、向けようとして、たちまち両腕までも絡め取られてしまった。
その手から、魔法銃が滑り落ちる。
「…………」
完全に自由を奪われたシュネイは、無言で正面の二人を見据えた。その目に少女らしい恐怖や悲愴は欠片ほども映っていない。
魔術師はそれを諦観だと悟ったのか、再び詠唱を始めた。シュネイを中心として地面に魔法陣が浮かび上がる。
「<滅せよ>!」
魔術師の最後の言葉と共に、円形の魔法陣の縁から等間隔に十ほどの闇色の柱が現れた。柱は外側へ膨らむような曲線を描きながらシュネイの身長の倍ほどの高さで一瞬だけ静止すると、一気に加速して目標へ打ち付けるように集束した。
「は……っ」
爆発により腹部から上下二つに分離した魔術師を視界の端に捉えながら、レーヴェは乱れた呼吸を整える。
しかし死に際の魔術はすでに発現した後で、部隊長の足元にはくっきりと白い魔法陣が現れていた。色と形から、一目でそれが治癒術だと分かる。
その証拠に、部隊長の太腿からの出血は見る見るうちに勢いを失い、やがてべっとりと血を吸った聖堂騎士の制服が張り付いているだけとなった。
「ち……」
忌々しげにレーヴェは舌打ちした。
あの白ローブの魔術師は、攻撃魔術を仕掛けては来なかった。その段階で治癒術師だと気付いておくべきだったのだ。
体力と呪物の消耗で、若干の焦りを自覚し始めるレーヴェ。その心境を知ってか知らずか、塞がったばかりの傷口を確認するように地面を踏み締めながら、部隊長が口を開いた。
「ただのならず者かと思って、甘く見ていたようだな」
剣の切っ先をレーヴェに向けて、続ける。
「何故、我々に刃向かう?」
唐突な問いに、思わずレーヴェの眉根が寄った。
「何故だ? そんなの、気に入らねぇからに決まってんだろ。聖教会の全てがな!」
それ以外に何がある、下らない質問だ。憎悪と共に吐き捨てられた言葉は、裏でそう語っている。
対して部隊長はほんの一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに敵へと向けるそれに戻った。
「愚かな……それだけの理由で救いの道を拒むと言うのか」
それだけ。
よくもそのような言葉が吐けるものだと、レーヴェは思った。
「そういうあんた等こそ、そんなもんに縋っていれば救われると本気で思ってんのか? 第一、救いをもたらすそのあんた等が≪異教狩り≫なんざやってて、おかしいと思わねぇのかよ……!」
恐ろしい勢いで湧き上がる憎悪を圧殺しながら、レーヴェは言う。そうしなければ今すぐに感情が爆発して、後先考えず暴れてしまいそうだったからだ。
「何がおかしいと言うのだ? 聖教会に害をなす異端者など、排除されて当然ではないか」
ナイフを握るレーヴェの手に、力が入る。
恐らく、物心ついた時にはそう教えられてきたのだ。この男も、その親も、そのまた親も。そしてそれを疑うことなく今を生きている。決して珍しいことではない。彼等の言う“異端”であるのは、レーヴェの方なのだから。
「それが間違いだったらどうするんだって訊いてる」
腰のホルダーから新たなナイフを取り出しながら、レーヴェが問う。だが正面の男に答えを期待しているわけではなかった。
「聖教会こそ世界の真理であり、大司教の仰ることは絶対だ。そこに間違いなどあろうはずがない!」
「そうかよ……!」
二人は同時に地面を蹴った。




