異教狩り -24-
「く……嘗めた真似を……!」
白い魔導着を土で汚しながら、オルクスが唸った。色濃く憤激を滲ませた目でヴァイを睨み付ける。
そして、ぎり、と強く奥歯を噛み締めたかと思うと、迷わず両手を地面に突いた。瞬間、オルクスを中心に魔法陣の展開が始まる。
「<万有の牢獄、大憂の慟哭、永久の受難は終焉を迎えん>」
先刻の悠然さがすっかり影を潜めた声色は、獣の咆哮にさえもほど近い。その、火の点いた憎悪に押されるように、魔法陣はすらすらと古代文字を刻んでゆく。
「<訪れし彩光の刻、願わくは我を照らす標となれ>!」
裂帛の叫び。
同時に放たれる、瞼を貫くような閃光。
魔法陣が巻き起こす辻風が、祈りを捧げるようにひざまずいたオルクスの纏う魔導着を逆立てた。
そしてオルクスの聲に応えるように、大地の震えが収束してゆく。
「…………」
魔術の半分以上を相殺されたヴァイは、おもむろに左手を下げた。そして足場にしていた馭者台から飛び降りると、無表情にオルクスを見遣る。
ヴァイの魔術をたった一人で相殺してきた魔術師は、両手を突いた体勢のまま肩で息をしている。予想以上に容易く術を止められたヴァイは、感心したように目を細めていた。
その背後から、矢筒の中で矢がぶつかり合う音が耳に届く。
「あんまり減らせなかったな」
視界の端に、赤いバンダナが流れた。
「あと十だ」
そう返す口調は淡々としているが、どこか険阻だ。
「多いな……」
背中から、苦い声に混じって矢を取り出す気配が伝わる。レーヴェがそれを番える前に、ヴァイは囁くように警告を口にした。
「分かっているとは思うが、あの魔術師には注意しておけ」
言われたレーヴェが、真っすぐに一点へ向けられた視線を追う。そこには、ゆらり、と立ち上がり臨戦態勢に入ったオルクスの姿。
「あの髪色……恐らく相当な魔力の持ち主だ」
「……どういうことだ?」
怪訝そうにレーヴェの眉が寄った。
だがヴァイは振り向きもせず、片足を引き姿勢を低く身構える。
「魔力のない貴様は知っていて損はないだろうから、教えておく。魔術を扱う人間は生まれながら体内のエーテルに偏りがあり、それは色素として外部に顕れる。その色素により属性に呼応する色へと変化しやすい部位が、髪なんだ。そして――――」
ヴァイの左手が、指揮でも執るかのごとくしなやかに振り上げられた。
生じる、爆音と烈風。
破裂した空気が、一瞬息ができないほど強く肺を押さえつける。
「――――っ!」
思わずレーヴェは腕で顔を覆った。舞い上げられた砂利が、露出している肌を容赦なく叩く。
やがて突風は勢いを失い、恐る恐るレーヴェが目を開いた。視線の先では、重苦しい空気の中で二人の魔術師が睨み合っている。
ヴァイはオルクスから目を逸らさぬまま、先の言葉の続きを投げる。
「そして色素が薄いほど、魔力が高い傾向にある」
魔導着の裾を大きくばたつかせながら、低い声で。
「ほう……」
対して、感嘆の声を漏らしたのはレーヴェではなくオルクスだった。白緑の髪を遊ばせながら、実に愉快そうに口の端を持ち上げる。
「よくご存知ですね。今や、一部の古い魔術師の系譜しか知らないはずですが」
皮肉なのか称賛なのか、どちらとも取れる口調に、またしても余裕が覗く。
「生憎、俺もその古い魔術師の家系の生まれらしい」
頭の先からつま先までを、まるで値踏みでもされているかのような視線を向けられ、ヴァイは不快感も顕わに睥睨した。
しかしオルクスは怯むどころか、貌に張り付いた笑みの形を更に濃くする。
「なるほど……仰るように、貴方は随分珍しい魔力をお持ちのようだ」
肩に掛かった長髪を後方に払いながら、言う。
「しかしブリーゼン家である僕が知らないのですから、高名な血統ではないようですね」
微かにヴァイの眉が動いた。
「……そういうことにしておく」
言いながら、ヴァイの視線が脇へと走る。
そこには、術から解放されヴァイへ迫る騎士が一人。
レイピアの間合いに入るまであと数歩という状況だが、ヴァイは動じた風でもなく冷ややかな視線を向けつつ魔術を詠んだ。
「<来たれ>」
短い詠唱と共に、騎士の足元にぽっかりと深淵が口を開いた。
「なに……!?」
騎士の膝下までを、蠢く闇が覆い尽くす。咄嗟に足を引き抜こうと力を込めるが、捕縛された足はびくともしない。闇を払おうとした左手も、そこへ呑まれてゆく。
すぐに脱出は不可能だと判断したらしく、鋭く敵意に満ちた目がヴァイを捉える。騎士の握ったレイピアの切っ先が、ヴァイの左胸を正確に狙う。
「ぐ……」
刃先はすんでのところで標的を射抜くには至らなかった。
レイピアを持つ騎士の右腕は、生物のように絶え間なく蠢く闇で覆われていた。それでもあと数ミリの距離を詰めようと、震える手に全身の力を必死で注ぐ。しかし暗闇よりも濃い色をした、人の手にしては極めて歪なそれは、足元の闇から次々と伸びては騎士の腰に、腕に、首に絡みつく。
闇色の手が触れた部分はぞくりと冷気を感じたかと思うと、痛みというよりは爆発的な熱に浮かされ、すぐに一切の感覚を失ってゆく。それは“自分の肉体である”という感覚でさえも例外ではなく、まるで最初からそんなものはなかったのだと言わんばかりに騎士から肉体と正気を奪い去る。
今までに感じたことのない絶対的な恐怖に騎士は、表情を引き攣らせたまま肺に溜まった空気を一気に吐き出した。
「うあ――――――――!」
たまらず漏れた絶叫は、顔に伸びた一本の手により容赦なく遮られた。次に。見開かれた目が同じように闇に消えた。
隙間から髪の毛一本見えなくなるまで、僅か数瞬の出来事だった。
そして辛うじて人の形を残した闇の塊を呑む込むと、深淵へと続く入口は溶けるように消滅した。
「…………!」
だがそれも束の間、ひと息つく暇もなく刃が弾き合う硬質な音が耳に届いた。
振り返ると距離を詰められたレーヴェが、ナイフで応戦している。身を隠す場所もなく、相手の方が数でも勝っているために、一度接近を許してしまえば弓を使える状況では確実になくなる。
「…………」
その様子を見ていたヴァイが、左手を胸の前に構えた。足元から柱状に辻風が起こり、魔導着の裾を大きく膨らませる。
そして色素の薄い唇が詠唱の言葉を紡ぐために、うっすらと開かれる。
「<切り裂け>」
「――――!」
ヴァイが一言を発するよりも早かった。
咄嗟にサイドステップを踏むが、風刃は残っていたヴァイの左腕を掠める。袖が裂け、真新しい血が皮膚を滑った。
「僕を相手に余所見とは、随分と余裕ですねぇ」
「…………」
鮮血が指先を伝い、ぽつぽつと地面を穿つ。それを無言で見つめていたヴァイは、自身に傷を負わせた魔術師へとおもむろに視線を持ち上げた。
その先では口角を更に吊り上げたオルクスが、不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。




