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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第三章
43/71

異教狩り -22-

 どれくらい、そうしていただろう。

 森を満たす濃い闇と静寂。訪れるたびに同じように迎えてくれるこの場所に、いくらかの安穏とさえする心地良さを感じながら、ザインはゆっくりと目を開いた。

 ここに来ると決まって湧き上がる感情。哀悼と悔悟が入り混じったような、けれどももっと複雑なそれを圧殺しながら墓碑を見つめる。

 そして今度は左手を胸の高さに持ち上げた。そのまま捧げるように腕を正面に伸ばす。

 手には、莟の状態の、一本の花。

 次の瞬間、


 茫、


 闇から切り離されるように、莟が光に包まれた。そして見る見るうちに莟が膨らみ、柔らかな花弁がふわりと開き――――ほどなくしてそれは一輪の花となった。

 掌に収まるほどの大きさの花は、待ち望んでいたかのように青白い月光を浴び、自身の蒼をさらに濃く落とす。

 ケンタウレア。

 昔、時期がくると庭に競うようにこの蒼が咲き乱れていたのを、ザインも“憶えて”いる。今は失きこの祖国の地で、短い夏を告げていた花だ。

「…………」

 ザインは片膝をつき、花を墓碑の前にそっと置いた。束ねた髪が背中で不安定に揺れているのを感じながら、ザインはぽつり、と話し掛ける。

「僕には、以前よりも空白が多くなってきたみたい……近いのかもしれないね」

 そう呟くザインに浮かぶ、空虚な笑み。諦観とも絶望とも、狂喜とも取れる微笑は、森の闇とよく似ていた。自身の姿を闇に隠して、誰かが迷うのを待っているそれと。

 けれどいつか――――この森に暁が訪れるように、自身を導く光が現れる時をザインはどこかで期待している。ここに足を運ぶのも、きっとそれが理由だ。

「でも僕はまだ、信じて待ってみたいいんだ。ラウルも、そう思うでしょう? ヴァイなら――――」

 不意に、ザインの表情が鋭さを帯びた。唐突に耳元を通り過ぎた風に言いかけた言葉を呑み込むと、再度空を見上げる。

 ざわめき始めた風が舞い上げた木葉は、大きな月を蝕むように黒い翳を落としている。

 それを見たザインの瞳が、ほんの一瞬、細められた。

「……さっきから嫌に騒いでる」

 束ねた髪をさらうように、時折強く吹く風。それは別段変わった様子はなく、冷たい森と土の匂いを運んでいる。

 しかしザインは、その中に作為的な不自然さを感じていた。恐らく“普通”の人間には決して分からないであろう、極めて自然的な異質さを。

「あまり乱されるようなら、止めなきゃならなくなりそうだ」

 微かに憐憫の色を浮かべながらそう言うと、僕が手を出すべきではないのだろうけど、最後にそう付け加えた。そしてもう一度墓碑に視線を向ける。

「……ちょっと、行って来るよ」

 短い挨拶を済ませて身を翻す。羽織った外套がたっぷりと風を孕んで音を立てた。

 そして墓碑から数歩離れると。

 ザインの姿は、闇に溶けるように霧散した。


 ………………




          ◆       ◆       ◆




 「<哮風、我が声を運べ>」

 魔術師の言葉が呪縛≪スペル≫であると、すぐさまヴァイは理解した。

 しかし何故魔術ではなく呪術なのか。より重要であるその理由に至るほど、長い時間は許されていなかった。

「<光風、我が命を放て>」

 ヴァイが疑問符を浮かべている短い時間にも綴られる、魔術師オルクスの旋律。

 こちらに攻撃を仕掛けてくるのであれば、魔術の方が絶対的に効率が良い。しかも、あの魔術師の持つ魔力であれば尚更。ここが一番腑に落ちない。

 では何故なのか。

 魔術ではなく呪術を必要とする理由は。

「!」

 ようやくヴァイはひとつの可能性に辿り着いた。脳裏に浮かぶ、レーヴェのナイフに刻まれた文様。


 ――――そういうことか……!


 ナイフの文様はただの装飾などではない。呪術を付加されたことによって生じたものだったのだ。偶然にしろ術が装飾のあるナイフに掛けられたことで、一目では判断し辛くなっていたようだ。

 ヴァイは思わず舌打ちする。あの時気付けなかった自分の失態を、この状況で清算しなければならなくなってしまったのだから。

「<吹き荒べ、風印>!」

 歯噛みするヴァイを余所に、オルクスの≪呪縛(スペル)≫が放たれる。

 同時に、馬車の外には目映いほどの閃光が走った。

「し、師匠……」

 何も言わずに控えていたシュネイが、不安げにヴァイを呼んだ。だがこれは単に指示を仰いでいるだけだと、過去の経験からヴァイは熟知していた。

 そう、悔いている時間などない。騎士団を破り、≪異教狩り≫を阻止しなければならないのだ。

 だが先手を取り損ねたこともあり、予定よりも明らかに不利な状況になりつつある。けれどもこの程度は大した問題ではなく、ヴァイの計算の範疇だった。

 騎士団を挟めない状況ではあちらの魔術師が厄介になるのだが、それだけだ。望ましくはない。しかしヴァイには対処する自信も十分にあった。

 ヴァイは布の隙間から馭者台を一瞥すると、視線も向けないままに言う。

「俺がまずできる限り動きを止める。恐らくすぐに邪魔されるだろうが、その間に一人でも多く仕留めろ。その後はお前に任せる」

「了解です」

 端的なヴァイの言葉に、シュネイが短く返した。背後で銃が抜かれる気配を感じながら、ヴァイは身を低く屈める。


「彼です。聖教会に楯突いた愚か者は!」


 オルクスの言葉が、周囲に響いた。

 外の空気が緊張に張り詰める。

 少し遅れた部隊長の声を合図に、正十字のシンボルが描かれた馬車から騎士達が続々と姿を現し始めた。

 それを確認したヴァイが、動く。

「――――行くぞ」

 ヴァイは思い切り幌の布を払い除け、馭者台のそれを掴む。そして、物々しい空気を破り、叫んだ。


「レーヴェ!」


 突然の乱入に、レーヴェを含めた全員の視線が一点に注がれる。

 名を呼ばれ振り返ったレーヴェは、自らに向かって放り投げられたものを反射的に受け取った。

 手に馴染む感触。それが自身の弓であると、頭よりも先に感覚が理解した。

「!?」

 驚いたレーヴェが、ヴァイを見上げる。

 弓を放った本人は馭者台の上に仁王立ちになり、闇と同じ色の魔導着を大きくはためかせていた。鋭い眼光は正面の騎士団を捉えており、左手はすでに胸の前で構えられている。

 一瞬だがヴァイに気を取られた騎士達は、それぞれ咄嗟に剣を抜く。だがヴァイは、それ以上の行動を許さなかった。






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