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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第三章
42/71

異教狩り -21-

 馬車から降り立ったのは、一人の若い魔術師だった。

「せめて返事くらいしてはどうです?」

 さらり、と音の聞こえてきそうな長髪を遊ばせながら、魔術師。レーヴェに向けられた言葉は唄うようでいて、咎めると言うよりは楽しんでいるように聞こえた。

 強い自信を漂わせながら、魔術師は真っすぐにレーヴェを捉える。


「あの男……まずい」

 幌の薄闇の中で、ヴァイが口走った。心なしか焦燥の浮かんだ目に、魔術師の白緑の髪が映り込む。剣の柄に触れていた手に、力が入った。

 ヴァイのその様子に、シュネイも何かを察したのだろう。口元を引き結び右手をホルスターに伸ばす。


 突然横槍を入れてきた魔術師を、警戒と敵対心を顕に睨み付けるレーヴェ。しかし当の魔術師はそれを意にも介さず、傍で何か言いかけた部隊長の言葉すら遮った。

「隊長さん、いちいち面倒なことをせずとも彼……いや、“彼等”が何のためにここにいるのか、証明する方法がありますよ」

 口元を笑みの形に歪め、得意げに。その眼は、馬車の中に身を潜めたままのヴァイを見透かすように細められた。

「……何? どういうことだ、オルクス」

 怪訝そうに訊き返す部隊長。

 しかしオルクスと呼ばれた魔術師は問いには応えず、部隊長の脇を通り前へと歩み出た。さらり、と白緑の長髪が背中で揺れる。

 警鐘が、レーヴェの頭の中で鳴り響く。この魔術師が何をするつもりなのかは分からないが、何故か強い危険を感じたのだ。それは魔力などではなく、もっと本質的な何か。レーヴェが魔力を感じ取ることができないことも、その答えが正しいと告げている。

 やがて数歩前に出たところで、オルクスは足を止めた。顔に張り付いたような、自信に満ちた笑みがレーヴェへと向けられる。

「……っ」

 どことなくうそ寒い感覚がレーヴェを襲う。目の前の、少年のような魔術師から感じるのは、息の詰まるような威圧的な圧迫感。

 反射的に弓を構えようとしたところで、それを馬車に置いてきたことに気付く。致命的な判断ミスに内心で舌打ちしつつ、レーヴェはただオルクスを睨み返した。

 それを知ってか知らずか、オルクスの顔に刻まれた笑みが深くなる。

「……さて。<来たれ、盟友。応えよ、冥悠>」

 空気を撫でるような、なめらかな声が詩のような言葉を紡ぐ。

 オルクスの存在に気後れしていたレーヴェにはこの言葉が何なのか、すぐには理解できなかった。

「<哮風、我が声を運べ。光風、我が命を放て>」

 風が、動く。

 いや、風自体は何ら異質に感じられるわけではない。しかし、確かに風は “動いて” いる。視覚では捉えられないのに、それはオルクスを包み込むように収束してゆくのが分かった。


 しまった、詠唱か……!


 レーヴェがそう思った時には、オルクスは半分以上の詩を読み上げていた。至近距離での詠唱だが、今から仕掛けても阻止できるか分からない。詠唱が完全に終わってしまえば魔術は術者から独立し、効果を消し去ることはできないのだ。

 運が良くても刺し違えか。

 どちらにせよ、このままでは直撃は免れない。

 そして。

「<吹き荒べ、風印>!」

 オルクスの口から紡ぎ出された、最後の詩。

 同時に放たれる、緑色の閃光。

「!?」

 思わずレーヴェは身体を捻った。何故なら、閃光がレーヴェから放たれていたからだ。正確には、レーヴェの腰に据えられた、一本のナイフから。

 何が起きているのか全く理解できていないレーヴェを余所に、オルクスは楽しげに目を細めた。

 くくっ、

 と、勝ち誇ったような笑いが笑みの形のままの唇から漏れた。

「な、何だ?」

 同じく状況を把握できずにいる部隊長が、オルクスに問う。問われたオルクスは、自身よりもはるかに背の高い相手を横目で見下ろすようにして言った。

「何って、ただの呪術ですよ。前に邪魔された時に、目印として掛けておいたんです」

 さして面白くもなさそうに、淡白に答える。そして視線を正面に戻すと、

「まさか今日まで気付かれずに残っているとは、流石に思っていませんでしたけどねぇ」

 嘲りを含んだ声を、レーヴェに向けた。

「てめぇ……!」

 やっと全てが繋がったレーヴェは、低く唸る。あの詩は魔術の詠唱ではなく、呪術を発動させるための≪呪縛(スペル)≫だったのだ。

「では……!」

「そう、彼です。聖教会に楯突いた愚か者は!」

 冷たい汗が、レーヴェの頬を伝った。


 ………………




          ◆       ◆       ◆




 土の匂いを孕んだ風に、木々がざわめく。

 空を仰げば枝葉の隙間から覗く、満月に近い月。さわさわと音を立てる枝葉と共鳴するように、月光は形を変える。

 それらに歓迎されているのか、あるいは拒絶されているのか。死者のように白い肌を更に青白く透かしながら、ザインは目を細めた。

 寂々とした、虚ろな目に映るのは、十年前と変わらぬ風景。

 いや、変わってはいる。

 この場所も、時の流れと共に少しずつ変化しているのだ。ザイン自身がそうであるように。

 それでも変わっていないと感じてしまうのは、頻繁に訪れるためか、それとも――――ザインの中の時があの時のまま止まってしまったのか。

 ザインは、小さく(わら)った。どちらにせよ大した問題ではないし、自分の中の何かが変化するとは思っていない。

 それにもし、変化が訪れるとするなら――――

「…………」

 無駄な考えを振り払うように、ザインは深く息を吐いた。つまらないことだ、そう自分に囁く。

 そして落としていた視線を正面に戻すと、


 さく、


 一歩目を踏み出した。

 だがそれは心なしか足早で、何かから逃げているようにすら感じられる。


 さく、

 さく、


 下草を踏みつける音が、森の闇に生まれて、消える。

 歩調を落とさないままいくらか進むと、やがて闇に浮かぶようにして佇む、一つの石碑が現れた。

 石碑は自然のままに生い茂る下草を従えるように、しかし、人々の記憶から置き去りにされたように、ひっそりと存在していた。


 さく、


 石碑の前で、ザインの足が止まった。

 それを見下ろす表情は、どこか柔らかい。石碑の前には、枯れて間もない一輪の花。

 人工的に切り出されたその石は、墓標だった。

 直方体だが全体的に作りの粗さを感じさせるそれは、頭を起こすようにして地面に斜めに横たわっていた。表面には埋葬された主の名が彫られているが、掠れてしまって読み取れない。長い間、この場所で風雨に曝されてきたためだろう。

「…………」

 右手を胸に当て、ザインは静かに目を閉じた。






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