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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第三章
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異教狩り -19-

 発端はレーヴェの何気ない一言だった。


「――――他は、フュンフが何か言ってたくらいかな」


 きっかけのようなものがあったわけでもなく、話の途中にふと湧いて出ただけの言葉だった。シュネイとメイアがまだ工房から戻らず、残されている二人が途切れ途切れの会話を辛うじて成立させていた過程での一齣に過ぎない。

 それを他の幾つかの言葉と同じように聞き流しかけたらしいヴァイだったが、すいと顔を上げると、

「何か、とは?」

 言葉少なに訊ねた。

 ほとんど意識せずに発した内容を訊き返されるとは思っていなかったレーヴェは、僅かにはっとする。

「え? ああ……確か、何かが妙だった、とか……」

 ひとまず歯切れ悪く答えたものの、即座に出てこずにレーヴェが唸る。

 一方のヴァイは無言のまま返答を待っているようだ。その“何か”が大切なのだから、当然今の答えで満足するはずがない。だが静かに待つだけで、催促はしない主義らしい。

 その態度が逆に焦らせることを分かっているのだろうかと思いつつ、昼のフュンフとの会話を思い出してみる。

 やがて、普段のフュンフを知る者ならば間違いなく不安に駆られるような低く潜められた声が、レーヴェの脳裏に甦る。

 確か、フュンフはこう言っていた。


『気をつけろよ。今回の、何か変だ』

『上手く言えないけど、情報の出所に違和感があるって言うか……』


「そうだ、情報の出所が気になった……とか、そんな内容だった」

 幾らかの空白の後に、レーヴェが顔を上げた。最後に、フュンフが勘だって言ってたけど、そう付け加えながら。

 それを聞いた途端に、ヴァイの表情が思案深げなものに変化した。

「…………」

 一切の興味を失ったかのようにレーヴェに向けていた視線を外し、腕を組んで左手が口元に添えられる。二人の会話以外には音という音のない静謐な室内に、動作に合わせて布擦れの音が生じた。

 考えごとをする時はいつも同じ格好なんだな、と無為な感想がレーヴェの頭の端に浮かんだ。もっともその癖にヴァイ本人が気付いているかは分からないが。

 しばらく無言だったヴァイが、何かを口走った。

「まさか……いや、もしそうだとしても、何故……」

 誰かに聞かせるわけでもなさそうな呟き。口元に添えられた手のせいもあり、元々声量の大きくない声はレーヴェが聞き取れるほどではなかった。

「何ぶつぶつ言ってるんだ?」

 気になったレーヴェが訊ねる。この時レーヴェは、思いも寄らないヴァイの反応に、嫌な戸惑いを憶えていた。

「…………」

 しかし返事は来ず、視線すらこちらに向けられることはなかった。恐らく意図的に黙殺しているのではないのだろうが、レーヴェはどことなく居心地の悪さを感じてしまう。


 ――――フュンフの一言はそれほど大切な内容だったのだろうか?


 未だに言葉の真意を呑み込めずにいるレーヴェは首を傾げた。

 もしかすると良くないことの前兆なのかもしれないとは思う。曲解して受け取れば、嘘の情報を掴まされたという可能性もあるだろう。だがそれならば喜ばしいことのはず。

 考えてみても、もっともらしい理由に辿り着かない。そうするうちに刺すような視線を感じ、意識が現実へと一気に引き戻された。

「…………」

 気付くと、睨むような眼差しがこちらに向けられていた。苛立っているか、敵を捉えているか、そのどちらかだと思いたくなる鋭い紫色の瞳は、思わず怯んでしまいそうになる。

 だがレーヴェは、そのせいでヴァイの瞳に探りの色が混じっていることに気付かなかった。

「な、なんだよ?」

 幾度か見たことのあるヴァイの表情に、邪魔をしたことを咎められるのかと思ったレーヴェは僅かに身体を硬くし身構えてしまる。

 しかし次にヴァイの口から出た言葉は、予想とは全く異なるものだった。


 ………………




          ◆       ◆       ◆




「本当に現れるんですかねぇ」

 窓の外を見つめながら、一人の若い聖堂騎士が独り言のように口を開いた。外から聞こえる規則正しい馬蹄の音と、下半身から全身へと伝わる、車輪が地面を踏み締めて生じる振動の二つが騎士の思考回路の大半を占めていた。

 しかし、今騎士達が赴こうとしている任務を考慮すると聊か呑気とも思えるその台詞に、隣に座っていた騎士が横目に若い騎士を捉えた。

「さあな。こればっかりは俺にも分からん」

 三十代半ばほどと思われる騎士が、溜息と共に言った。左腕には今回特別に編成されたこの部隊の部隊長であることを示す腕章が取り付けられている。

「ですよねぇ。でも、おれ達聖堂騎士……もとい、聖教会に楯突く輩がいるなんて正直信じられないですよ」

 若い騎士は少しだけ首を捻りながら素直な感想を述べた。

「うむ……」

 部隊長も同意する部分があるのか、僅かに眉を寄せる。そして斜向かいに座っている魔術師を盗み見るように一瞥した。白緑色をした長髪が印象に残る男魔術師は、瞑想でもしているかのように目を閉じている。

「しかし先日、北の大陸での≪異教狩り≫に邪魔が入ったのは事実なのだ。とは言え、今回どうなるかは分からん。とにかく油断だけはするなよ」

 諭すような部隊長の言葉に、若い騎士は背筋を伸ばした。

「了解です」


 ――――コンコン。


 返事とほぼ同時に、前方にある小窓が軽く叩かれる硬質な音が響いた。

 長時間の馬車での移動に、休むを通り越して疲労を覚えつつあった騎士達の間に、ほんの一瞬緊張が走った。若い騎士と部隊長、そしてその他の騎士全員が一斉に顔を上げ、その小窓に視線を集中させる。

 そして部隊長が立ち上がると小窓を開け、向こうにいる馭者に訊ねた。

「どうした?」

「あの、隊長。後方から一台、馬車が向かってきています」

 半分ほど振り返りながら、馭者を務めている騎士が言った。

「何……?」

 途端に、その場にいた全員の表情が険しさを帯びた。






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