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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第三章
39/71

異教狩り -18-

                  ◆


 ぱたっ

 ぱたたっ


 大粒の雨が地面を叩くような音。

 しかしそれは空からではなく、眼前の人物から零れ落ちていた。


 ぱたっ


 また一つ、廊下に敷かれた白い絨毯に真新しい染みを穿つ。

 少年の目の前で、青い騎士は躯をくの字に折り、大きく目を見開いていた。

 剣を握っていない方の手が、引っ掻くように胸元を押さえる。白かった手袋が見る見るうちに真っ赤に染め上げられてゆく。

 騎士が小さく呻くと、口の端からつう、と一筋の赤い線が伝った。細く喘ぐような吐息が、苦しげに空気を震わせる。

 そして騎士の命が今まさに蝕まれているその光景を、少年は戦慄の表情で見上げていた。

 溢れる、赤。

 滴り落ちる、血。

 撃たれたのだ、騎士は。主君である少年を護るために。

 騎士の纏う淡い青色をした制服が、胸元を中心にじわじわと赤く変色してゆく。長い上着の裾からは血が珠となって膨らみ、やがて重力に負けて床に落ちた。そして瞬く間に絨毯に溶け込む。こうしていつの間にか、騎士の足元では赤黒い水溜りがぽっかりと口を開けていた。

 小さな主君は何が起きたのか、未だに理解できずにいた。いや、理解しようとしなかった。目の前の光景に五感は極限まで遠ざかり、周囲の音も何も届いていない。

 青い騎士とそこから生まれる赤だけが、周囲から切り取られたかのように、静止しかけた思考に辛うじて入り込んでいる。

 血の赤が、青いはずの騎士をじわじわと蝕んでゆく。滑るように落ちた血が、誰のものでもなく絨毯の上に花開いた。

 大きく見開かれた少年の目には、単純にそれだけが映っている。


 ――――え?


 呆然と見つめる光景は、霞みがかった夢のように現実味がない。

 騎士に何が起きたのか。それを理解しようとするほどに少年の心が強い拒絶を生んだ。

 認めたくない。認めてはいけない。拒んだところで現実は一切変わらないというのに、心が強く警鐘を鳴らす。

 しかし、その拒絶こそが最短距離で一つの答えを導き出すこととなった。


 ――――死ぬ……?


 停止した思考の淵に唐突に、漠然と湧いた言葉は、しかしそれ故に核心を突いていた。

 死。

 その一文字が頭を掠めた刹那、少年の顔から一瞬にして血の気が引いた。

 騎士から流れる大量の鮮血。思い出したように嗅覚を襲う、濃い血の匂い。理解を拒絶していた理性が、嫌がる感情を無視して否応なしに現実を突きつける。


「――――――――っ!」


 声にすらならない叫びが喉から溢れた。大きく見開かれた目から、途端に涙が零れる。拒絶と恐怖と後悔と、それ以上に激しい絶望が入り混じって、怒涛のごとく渦巻いていた。


 何で? どうして?


 錯乱した頭の中で、答えのない問いが意思とは関係なく反芻した。


 どうして。

 どうしてどうしてどうして。


 流れ出る感情はもはや止まることを知らず、内側から少年を喰らい尽す。

 やがて、束ねた長髪を残しながら騎士の身体が傾いだ時、少年の意識は爆発を起こしたかのように真っ白になった。


 ………………




          ◆       ◆       ◆




 夜の闇を切り裂く轟音。

 茶色の土肌を晒した道を、一台の馬車が駆け抜ける。


「それ、本当なんだろうな!?」


 部分的に荒い道で跳ねた車輪が地面を叩くと同時に、レーヴェが叫んだ。切羽詰った表情で後方を振り返る。しかし手綱を握っているため、視線だけが肩より後ろを向いた程度だった。

「恐らくな。この方が色々と納得がいく」

 一枚の布で隔てられた小さな荷台から、静かな返答がくる。レーヴェに聞かせる気があるのかないのか、ヴァイの言葉のほとんどは馬の蹄と車輪の音に掻き消された。

 しかしレーヴェも最初から答えの分かっていた問いだったため、ヴァイの雰囲気で期待通りの返事だと察したようだ。

 ヴァイに指摘されるまで気付かなかった自分自身に舌打ちすると、レーヴェは前方に集中した。


 三人が向かう先は、クース。今回、≪異教狩り≫の標的となった村だ。

 クースは、ハーフェンから北西に馬車で二時間ほど走った、少し森に入った場所にある。

 レーヴェが捌いている馬車は、ギルドから傭兵向けに貸し出されている、使い込まれた――――悪く言えば古くなってあちこちが傷んだ――――小さな馬車だった。

 最初にレーヴェは「転移魔術で行けないか」と訊ねたのだが、半ば呆れ顔をしたヴァイから「三人も運べば、俺が戦力外になるぞ」と溜息と共に返された。

 仕方がないので、次にギルドから馬を借りようとしたのだが、

「乗ったこともない」

 あっさりとヴァイに一蹴され、今に至る。

 空には満月になろうかという大きな月が、晧々と輝きを放っている。時折車輪が小石を噛むほかは何の障害物もない、平地に延びる道を行くには十分な灯火だ。

 少し前に大きな街道から脇の小道に入って道幅が狭くなったが、レーヴェは馴れた手つきで馬を操る。

 クースまでの折り返し地点はとうに過ぎたはずだ。しかし、近付くほどに焦燥が募る。

 まだ無事なのか。

 まだ間に合うのか。

 ひょっとすると、もう――――

「…………くっ!」

 最後に浮かんだ考えを振り払うように、レーヴェは鞭を振った。そして少しでも早くクースに辿り着きたいもどかしさを抑えながら、手綱を握り続けていた。






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