異教狩り -16-
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「明日、上手くいくかな」
延々と続いていた静謐を破るように、唐突に言葉を発したのはレーヴェだった。
誰に言うでもなく、独り言のように呟かれた言葉。
その不安の垣間見える声色に、ヴァイは無意識のうちに口を開く。
「上手くいくように、最善を尽くすのだろう」
赤いバンダナの揺れる背に向かって、呆れたように。
床に胡坐をかいて座り込んでいたレーヴェが、途端に振り返る。何故か驚きを孕んだ表情に、ヴァイは頬杖を突いたまま、面白くなさそうに視線だけを向けた。
居間には、ヴァイとレーヴェ二人だけ。
夕食の片付けまで手際よく済ませたメイアは、家の一番奥にある工房にいる。レーヴェから依頼された呪物を制作しているのだ。
シュネイもそこに同行している。呪物が作られる過程に興味を持ったらしく、見学を申し出たのだ。メイアもシュネイが興味を示したことが嬉しかったようで、そのまま二人で工房に籠もっている。
そしてこの時間になってもレーヴェがここにいるのは、今夜は泊まってはどうかとメイアが提案したからだった。両親の部屋も空いているし、そうした方が都合が良いだろうと、気を利かせたようだ。
最初は当然のごとく露骨に不快感を示したヴァイだったが、反対する理由も存在しないので結局は何も言わなかった。シュネイも一つ返事で了承し、決定した。
やがて工房に二人が籠もってから、必然と言わんばかりに会話は途絶えた。
ヴァイは普段通り本を読み耽り、邪魔をすると何を言われるか分からないレーヴェは、自前の武器類の整備を始めたのだった。
こうして、一言も言葉を交わすことのない異様な雰囲気のまま、そろそろ時計の短針が二つ動こうとしていた。
自分を振り返ったレーヴェに、つまらなさそうにヴァイが鼻を鳴らす。
「少なくとも俺は、しくじるつもりは無いが」
自信ありげに言うヴァイは暗に、貴様はどうなんだ、そう問うような口振りだ。
「オレだってそのつもりだぜ。けど……」
咄嗟にレーヴェが切り返す。だが言葉尻を濁して台詞が区切られた。ヴァイは何も言わず、視線だけで続きを促す。
「けど、聖堂騎士相手じゃ簡単にはいかねぇって言ったの、お前だろ?」
窺うような、レーヴェの言葉。恐らくヴァイが不機嫌になるだけだろうと予想していたらしいが、どうやら杞憂だったらしく、
「ああ」
ヴァイはあっさりと肯定した。
「確かに言ったし、それは事実だ」
二人は夕方に、シュネイも含めて作戦会議のようなものを開いていた。
その時に、ヴァイはこう言ったのだ。
「誤魔化しても仕方がないのではっきり言うが、騎士どもを完璧に押さえ込む自信はない」
この台詞にレーヴェは喫驚を隠せず、目を丸くした。
船上での一戦で、あれだけの魔術を披露して見せたのがヴァイだ。それゆえに、今回も派手にやってくれるのではないかという期待が、どこかにあったのだ。
しかしヴァイに言わせて見れば、ならず者の集団と騎士では個々の戦闘能力以上に、こちらの魔術への対応力が違うらしい。
「騎士の装備には強力な魔法障壁が施されている上、魔術師が厄介だ。確実に相殺されて、ただでさえ障壁で致命傷になりにくい術の威力が更に落ちる」
忌々しげに、ヴァイはそう説明した。
「魔法銃でも弾が貫通しにくくなりますしねぇ……」
その隣ではシュネイが顎に指を当てて、うーんと唸っている。
少女らしい、可愛らしい仕種と口調だが、それらと一致しようのない言葉の内容。レーヴェが背中にうそ寒いものを感じたのは、悪意のなさゆえだろうか。
二人の台詞に、当然一気に不安に駆られたレーヴェ。表情からそれを察したらしく、ヴァイが大きく溜息を吐いた。
「俺達にどれほど大きな期待をしていたのだ? 俺一人でどうにかなるようなら、そもそも作戦など必要ないだろう」
横目にレーヴェを捉え、呆れたように言う。レーヴェはぐっ、と言葉を喉に詰まらせた。
どれほどかと問われれば、かなり、というのが正直なところだった。二人がいれば、騎士の十人くらい何とかなるだろうと考えていたのだ。
「……だよな。ちょっと頼り切ってた」
楽観しすぎていた自分に、今更ながら嫌悪と羞恥が湧いてくる。がっくりと肩を落としたのは、そんな自分自身に対してだ。
「あちらの魔術師の数と能力次第だがな。善処はする」
ヴァイはさしてレーヴェの様子を気に留めた風でもなく、普段通りの落ち着いた口調で言う。
気休めのような台詞だが、ヴァイがそういうタイプではないとレーヴェも認識している。恐らく、実際にそれが鍵になるのだろう。
ヴァイも言うように、戦力的にはこちらが圧倒的に不利なのだ。
レーヴェは思考を切り替え、良い案がないか考える。
「……そういや、前に言ってた法陣とかいうのは使えねぇのか?」
ふと思いついたことを、正面の魔術師に訊ねた。以前、法陣は罠によく用いられるという主旨の説明を聞いたのを思い出したのだ。
すると明らかにむっとした表情で、ヴァイがその双眸を細める。そして、
「誰に訊いている? 使えないわけがないだろう」
愚問だと一蹴した。
しかし直後にヴァイは不機嫌な目を一度伏せると、若干険しさを帯びた表情で言う。
「だが恐らく今回は無理だ。聖教会の魔術師クラスになると、事前に法陣に勘付く可能性が高い。それでは魔力の浪費にしかならん」
法陣も魔術の一種であるので、エーテルを必要とする。魔術に使用されたエーテルは人為的な変化を生じるため、エーテルに対して過敏な魔術師は、すぐに異変に気付くということだった。
こうしてレーヴェの提案は、簡単に切り捨てられた。
この後も幾つかの案が挙げられたが、最後まで作戦らしい作戦は決まらなかった。
結果採用されたのは、森で待ち伏せし前後から挟み込んで退路を塞ぐ、という方針だった。
前方でヴァイが一人で注意を引き付け、後方で二人が退路を塞ぎつつ叩くのだ。
当然リスクは高いが、こちらの情報を持ち帰られると後々厄介だからだ。同時に、情報を遮断しておけば襲撃が起きたことが伝わるまでの時間も稼げる。
そして、攻撃の際は相手のペアを優先して崩すこと。騎士は二人一組で連携を取り、庇い合うような戦術を得意とするためだ。少しでも戦局を有利に運ぶには、狙って損はないだろうということになった。
「もはや作戦でも何でもないな」
自嘲気味にヴァイが言った。
………………
そんな少し前の会話を思い出しながら、ヴァイはレーヴェの動きを目で追っていた。整備を終えたナイフが、革のケースに戻される。
「お前って良くも悪くも正直だよな」
作業をしながら、レーヴェが口を開いた。最後のナイフがその手に持ち上げられる。
「虚勢を張って危機を招くよりはいいと思うが」
柄の部分に刻まれた紋様が遠目にも目につく。だがそれ以外はどこにでもあるようなデザインだ。そのナイフがケースに吸い込まれる様子を漠然と眺めながら、ヴァイは淡々とそう答えた。
「そうだけどさ」
ぱちっ、と留め具が固定される乾いた音が、作業の終わりを告げた。
「…………」
やがて顔を上げたレーヴェと、頬杖を突いたまま作業を眺めていたヴァイの視線がぶつかる。
すぐに逸らされるだろうと思っていたヴァイだったが、結論だけいうとそれは外れた。いつになく真剣な顔つきで、レーヴェはこちらを見上げている。
思わず眉を顰めたヴァイに、投げ掛けられたのはレーヴェの低い声。
「一つ、訊いてもいいか?」




