異教狩り -12-
「うん、向こうに知れたらどうなってたか分からなかっただろうね」
シュネイの言葉に、心なしかトーンの低い声で同意を示すフュンフ。その焦点は、彼方を見つめるかのように遠い。
恐らく今なお弾圧の続くハーフェンに住むフュンフにとって、聖教会の手口など想像に容易いのだろうと、シュネイにも分かった。
そしてふと、ヴァイとレーヴェの様子が気になり、シュネイは両者へと視線だけを向けてみる。
隣に座るヴァイは頬杖を突いて、考えの読めない氷のような無表情を保ったままだ。一方、正面のレーヴェは強く歯を食い縛り、激しい憎悪を無理に押さえ込んでいるような、そんな苦しげな表情をしていた。
「…………」
周囲の様子に、何と言葉を発したらいいのか分からず、シュネイは押し黙る。同時に『自分に過去があったら、向こうとこちら、どちら側で生きていたのだろう』そんな疑問が湧いてきて、しかしすぐに余計な考えを振り払うように、軽く頭を振った。そしてフュンフの話に再度耳を傾ける。
「物証となるようなモノが見つかればただじゃ済まないし、いくらハーフェンが反聖教会の風が強いからって、今も昔も信仰してる人がゼロってわけじゃないから、そういった人達の目からも逃れなきゃならない。だから残した本の類も、人知れずエルデンブルクの人間が保管してて、詳しいことは誰も知らないんだ。ヴァイがさっき言ったように“焚書の際に一部を残した”って伝えられてるのは事実だけど、本当にそんなモノがあるのか確認のしようはないんだよ」
自分の名前が出たことに反応したヴァイが、フュンフへと鋭い一瞥をくれる。だがフュンフは、普通ならば怯んでも不思議ではないその視線を受け流すかのように、話を続けた。
「で、要するに口伝でずっと伝えられてきてるんだけど、それも古くから街に住んでる、一部の者達の間に限られてるんだ。まぁ、それでも向こうが勘付いてるのは間違いないし、口伝であるがために、時の流れと共に、人々の記憶から薄れつつあるのも事実なんだけどね」
何とも言えない苦笑を浮かべ、フュンフは軽く肩を竦めてみせた。シュネイはその仕種に、どこか自嘲すら含まれている気がしてならなかった。
「でも、メイアの家のような、古い呪術師の家系は例外的な要素が強い。呪術師が呪物を作る時、素材となる物の特性をよく理解しておく必要があるのは知ってるよね。呪物には薬草を使うこともあるから、薬についての知識や技術も代々受け継がれてきてるんだ。だからメイアも簡単な調薬ができるってワケ。
……余談ではあるけど、大体はそれと一緒にさっきの話のような、歴史的背景も聞かされてる。それこそ“知ってる”ことを知られちゃマズイからね。多分メイアもさっき話してた内容くらいは知ってるんじゃないかな」
言いながら再びフュンフが店の奥へと視線を向けると、釣られるようにシュネイも視線で追ってしまう。 正直、自分とそう歳の変わらないメイアが、今聞かされたような話を受け継いでるという事実に、シュネイは純粋に驚いていた。
明るく振舞っていたその心の内には、聖教会の理不尽さに対する憤りや不信感、今なお変らぬ体制への諦観、そして聖教会に背いている自分への不安や恐怖……そういったものが渦巻いているのだろう。
そして同じような想いを抱きながら日々を送る人達が、ハーフェンには沢山いる。
聖教会を崇め、依存する人々。その姿はこの世の普遍の原理であって、疑う余地など存在しないと無意識に思い込んでいたシュネイにとっては、考えたこともなかった現実だった。
目醒めた時、一切の記憶と呼べるものを失っていたシュネイは、ヴァイから『聖教会には逆らうな』とだけ教わってきた。平穏な幸せを求めるなら、絶対に、と。
ただ、そう言っていたヴァイ自身は、聖教会に対して良い印象を抱いていない……はっきり言えば、聖教会を憎悪していることも確かだった。だから以前ヴァイは『俺は例外中の例外だ』とも言っていたのだろうと、当時はよく分からなかった言葉の内容がようやく繋がった気がした。
「こいつが言ったように、今でも反聖教会の意志を持つ者の多いハーフェンでは、特に治療関係の代価が高い」
シュネイが考え込んでいると、今まで無表情に頬杖を突いていたヴァイが、沈黙を破った。
「薬ですら手が届きにくい上に、治癒術に至っては数ヶ月分の所得に値することも珍しくない。汚いやり口だが、人々が得た富を回収するには、効率的な方法だった」
相変わらずの、静かで淡白な口調。しかしその裏には、少なからずの嫌悪と敵意を、確実に孕んでいた。
ヴァイの言葉に、シュネイが「あっ」と小さく声を漏らす。
「全部聖教会が独占しているからですね? ……もしかして、ハーフェンの皆さんは、自分達を守るためにも、それらを残したのでしょうか」
そして思ったことを口に出してはみたものの、自信がないのか最後の方は口籠もる結果となった。しかしフュンフが首を縦に振るのを見ると、ほっとしたような表情になる。
「あんな高いお布施はゴメンだからね。俺達の生活なんてすぐ成り立たなくなってしまうよ」
軽く肩を竦め、掌を上に向けて両手を広げてみせる。
そして言うか悩んだのか、次の言葉まで少しの間があった。
「……俺は聖教会もイリオス神も信じちゃいないけど、もし、万が一にも神サマがいるなら、俺達のような力のない人間を救う基準が何なのか、ぜひ聞いてみたいね」
そう、冗談めいた口調で毒突くフュンフ。非難めいたその言葉からは、怒りと言うよりは諦めが覗いていた。
「それにこれは、聖教会なんかに頼らずに生きていこうっていう、ハーフェンに住む者達の意志と団結の表れでもあった。周りの国々が正しい歴史を忘れて、盲目的に全てを受け入れていく中で、ハーフェンはその道を拒んだんだ。ま、結果、今もこうして奴等から睨まれ続けてるわけなんだけど……それでもハーフェンの人間は、後悔なんてしちゃいないのさ」
力強くそう言ってのけるフュンフは、どこか誇らしげだった。
◆ ◆ ◆
少年の記憶は、赤くて、そして――――白かった。
「お兄ちゃんには、死んで欲しくないの……だから……」
少女は大きな瞳に涙を湛え、しかし普段と変わらない無垢な笑顔でそう言った。
だが少年には、その言葉の意味が分からなかった。いや、分かりたくなかったのだ。
少女の背後では、騎士の手に握られた剣が、冷たく鋭利な輝きを放っている。それは間もなく訪れるであろう死のイメージとはほど遠い、澄みきった美しい輝きだった。
「最期の別れは済んだか?」
何の感情も宿らない、機械的な口調で騎士が問う。だがそれは、執行の鐘の音に等しく。
このまま大人しく殺されてなるものかと、少年は強く打ちつけた身体を何とか動かそうと足掻いた。が、それを止めるかのように、少女の口から言葉が紡がれる。
「お兄ちゃん……さよなら……」
「!?」
決して聞きたくなどない言葉だった。
何かを言おうとした少年だったが、それよりも先に、少女の躯から淡い光が溢れ始める。光はすぐに少年を包み込むように広がり、ふわり、と身体が宙に浮いたような錯覚をもたらした。
「駄目だ! ミスト――――!!」
慌てて少女の名を叫ぶ。
しかし、少年に止める術など存在しない。
少女の背後では、焦りの滲んだ表情の騎士が、剣を振り上げている。
「やめろ!!」
喉が潰れるほどに叫んだが、それすら光に吸い込まれ、自身の耳にすら届くことはなかった。そうする間にも少年を覆う光は一際強くなり、それは視界をも奪ってゆく。
駄目だ、違う!
白く霞んでゆく世界。
その中で、何もできない自分。
振り下ろされる刃が、閃く。
オレじゃない! 助かるのは――――!
少年は懸命に叫ぶが、音にはならなかった。だが少女は少年の言おうとした言葉を察したのか、嬉しそうに、寂しそうに笑ってみせた。
少年が見た、最期の少女の姿だった。
直後、視界は真白に遮断され、少年の意識も、ここで途絶えた。
白に、深紅の飛沫を散らしたところで。
………………




