合わせ鏡の魔術師 -3-
夕刻、太陽が水平線に半分ほど隠れた頃に、船はフーズムに到着した。
積荷を下ろす者や、この後出航する夜行便に乗り込む者がいたりと、日暮れが近いにも拘らず、港は多くの人で賑わっていた。
港町の、喧騒。
そしてそれを打ち消すかのように、遠くから鐘の音が鳴り響く。
この港からも見える、大聖堂の鐘の音だ。
大聖堂のあるこの島は小さく、町はここフーズムのみだ。そのため巡礼者も物資も全てフーズムを通過する。結果、以前は小さかったこの町は徐々に大きく発展してきた。
町から大聖堂までは、草原に通った道を馬車で二十分ほど。それなりの距離ではあるが、堂々と聳える巨大な聖堂は、少し高台に建てられていることも手伝って、町からも望むことができた。
夕陽に照らされたオフホワイトの建物は美しくオレンジ色に輝き、荘厳な鐘の音を響かせながら町を見下ろしている。
◆ ◆ ◆
同じ頃、港に停泊した一隻の船。
ほとんどの乗客が船を降りたその定期船の甲板で、船長らしい五十代くらいの男に、一人の若い男が食って掛かっていた。
「――――フーズムに寄るなんて聞いてないぞ!」
レーヴェは、紅蓮の瞳に苛立ちを滲ませ、今にも掴み掛からんばかりの勢いで船長を問い詰めた。
無造作に伸ばした漆黒の髪と、額に結ばれた赤いバンダナが潮風に遊ばれている。背には矢筒を負い、腰のベルトには数本のナイフを装備した、一目で傭兵だと分かる出立ちだ。
「どういうことなんだよ? エアハルトのおっさん! 今までこんなこと一度もなかっただろ……!」
見知った相手に、更に詰め寄る。
対するエアハルトと呼ばれた船長は、困ったように目を逸らした。
「そうは言っても、こちらとて仕方なく決定したことなんだよ……」
申し訳なさそうに答えるエアハルト。
彼もレーヴェのことはよく知っていた。彼の指揮する定期船は、レーヴェの住むハーフェンという港街を拠点としているからで、傭兵業で各地へ赴くレーヴェを度々運んだことがあった。
「仕方なくって……こっちは急いでるんだ! こんなとこに寄られちゃ困るんだって……!」
レーヴェの苛立ちは更に強まる。エアハルトも、レーヴェがこれほどまで問い詰めてくるとは、よほど大切な依頼があるのだろうと、察した。
この若い傭兵の責任感と正義感の強さは、よく知っている。
それが原因で他者と衝突することもあるようだが、彼なりの信念や正義を明確に持ったその生き方は、共感できると思っていた。また、傭兵という、金で雇われる立場の人間が信用されるには必要な要素であるとも。
レーヴェの場合は、裏表のない、はっきりとした性格も相俟って、依頼者からの評価も高いらしい。
だが、その性格が故に悪巧みを看過できず、依頼者を伸してしまい、問題となったこともあると聞く。
その血気盛んな若い傭兵を見据え、エアハルトは口を開く。
「お前にも事情があるのは分かる。しかし、そう簡単にいかんから寄港を決めたのだ」
一拍置いて、続ける。
「海賊が暴れているらしい。……それも、かなりの数でな」
「海賊?」
訝しげに眉を寄せる。
レーヴェは港街ハーフェンにある名高いギルド【シュヴァルツケルツェ】に所属する傭兵であり、海賊退治の依頼も幾度か受けたことがあった。
そもそも、海賊などいつ現れても不思議ではないと理解しているし、そんなことで逐一船を止めていては海路は麻痺してしまう。
「……逆に言えば、船を止めざるを得ないってワケか……ふざけやがって」
ぼそりと呟いた。
「だったら、オレが片付けてやる。このままじゃ遅かれ早かれギルドが動くことになるだろうし……」
そう提案するが、エアハルトは静かに首を横に振った。
「……お前の腕がいいことは十分知っている。だが、今は他の傭兵仲間もおらんのだろう? 海賊どもは頭数が多い上に、魔術師もいる。魔術も使えんお前一人では、限界があるだろう」
「…………」
エアハルトの言葉に、反論できずに押し黙る。彼の指摘は、的確だった。
魔術が一切使えないレーヴェ一人では、相手を捌くにも限界がある。弓での遠距離からの戦法を得意としていても一人ずつ捌いていては間に合うはずがない。
「お前が何を急いでいるかは知らんが、そこまで言うのなら大事な用だというのは分かる。……しかし、私も乗客と船員の命を預かる立場なのだ。
お前の頼みを聞いてやりたいのは山々だが、今回ばかりは少し待ってくれ……」
すまんな、最後にそう言うとエアハルトは仕事へと戻っていった。
「……くそ……!」
残されたレーヴェは、悪態をついた。
「このままじゃ……また……」
呟いた言葉は、波の音に呑まれて消えた。
握った拳に力が入る。
それとほぼ同時に、船室から甲板へと続く扉が不意に開いた。
気配を感じたレーヴェは、ちらりと扉へと視線だけを向ける。
扉の向こうから現れたのは、魔術師風の青年と、その後ろにちょこんとついて来ている金髪の少女。
黒の魔導着を纏ったその青年と視線がぶつかったが、レーヴェは興味もなさそうにすぐに視線を外す。
いや、外そうとして、戻しかけた視線を再び青年へと向けた。
それに気付いた青年は、レーヴェの行動が気に入らなかったらしく、酷く不機嫌に眉を寄せ、紫の目を細めた。そして後ろの少女に一言声を掛けると、船から降りてゆく。
その後ろ姿を、レーヴェは見つめていた。
――――銀色の髪の、魔術師。
随分昔に忘れ去った記憶が、甦る。
記憶の隅に追いやられていた、過去の探し人の記憶が。
……そんなはずは……
青年の後ろ姿を見つめたまま、思考が巡る。
が、ふと違和感を覚えた。
「……?」
一見魔術師だと見受けられるのに、青年の右腰には一振りの剣が提げられていたのだ。
無論、剣にも魔術にも精通する者も、少なからず存在する。だがそういった者は、剣を振るいやすい格好をしているものだ。
青年の纏う魔導着を見る限りでは、レーヴェには決してそうは思えなかった。その上剣を振るうには、青年は華奢な印象だった。
……飾り、なのだろうか?
昔探していたのは、魔術師だと聞かされた人物だ。
更によく考えれば、あの青年はレーヴェよりも年下のように見えた。仮に魔術師だとしても、その探し人である可能性は非常に低い。
そして、何よりもレーヴェはその人物を探すことを、とうに諦めていたのだ。
今更、逢えたところで……
レーヴェは青年に声を掛けて確かめることもできず、人混みの中に見えなくなるまで、その後ろ姿を見つめていた。




