異教狩り -2-
市場で夕飯の買い出しを済ませたメイアは、帰宅の途についていた。
両手で抱えるようにして、買ったばかりの食材が詰め込まれた紙袋を持ち、その背にはふたつに分けて三つ編みにした、腰よりも長いダークブラウンの髪を揺らしている。
臙脂色をした、いかにも町娘といった風体の衣装は、この辺りの地域の民族衣装を普段から着用しやすいようにと、簡易に仕立てられたものだ。
そして若干重たそうに抱えられた紙袋。
量はメイア一人分なのだが、自宅兼店舗である呪物屋を一人で切り盛りしているため、なるべく数日分をまとめ買いしている結果だ。
普段と同じように買い物を済ませ、普段と同じように海からの風を感じながら、港から続いている道を通り抜ける。
と、その時。
「……?」
見馴れたはずの街の景色の中に、ほんの僅かな違和感が混じった。
メイアの足が止まる。
まだ夕焼け色に染まりきっていない、それでも確かなオレンジ色をした陽光の中、メイアがその違和感の正体に気付くのに多くの時間は必要ではなかった。
「あ……」
その視線が、一点に注がれる。
メイア自身の記憶とは異なった、しかし見紛うはずもない、後ろ姿。
そして同時に湧き上がる、その人物がここにいるはずがないという想い。
ほんの一瞬の、逡巡。
次に、メイアは弾かれたように駆け出していた。
確かめなきゃ……!
疑問よりも何よりも、その思いが強かった。
街ゆく人々の間を縫うように走る。背中では三つ編みにした髪が、激しく躍るのを感じながら。
そして。
足早に進むその後ろ姿へと、声を掛けた――――
◆ ◆ ◆
「帰るなら帰るって、手紙でもくれたらよかったのに……そうすれば私が迎えに行ったわ、兄さん」
台所で手際よく夕食の支度をしながら、メイアは言った。
若干責めるような台詞とは裏腹にその表情は嬉しそうで、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。
「……帰るつもりで寄ったわけじゃない」
やや長い間を空けて、口籠もるように、しかし正直にヴァイは答えた。もう少し気の利いた言葉を探したが、結局見つからなかったらしい。
メイアは「やっぱり」と小さく口にした。
「そう言うと思った。本当は顔も出さないつもりだったんでしょう?」
「…………」
ヴァイの眉間に皺が寄る。
メイアの言う通りだった。
彼女に会うつもりも、この家に戻るつもりも、ヴァイには毛頭なかった。だからこそ、家のある街の南側を避け、北側に宿を探すつもりだったのだ。
その沈黙が肯定だと汲み取ったメイアは、小さく息を吐き、
「もう三年……ううん、四年近くになるのかしら、兄さんが家を出て行ってから。それっきり連絡もくれないから、みんな心配してたのよ」
ヴァイには視線を向けず、昔を懐古するように、そして僅かに寂しそうに言葉を紡いだ。
「…………」
対するヴァイは、何も言えずに押し黙る。
あの後二人はメイアの家へと招かれていた。
招かれた、とは言ってもヴァイにとっては第二の故郷のような場所なので、しばらく振りに実家に帰って来た、という感覚に近かった。
だが彼女――――メイア=シュナイダーとヴァイは、血の繋がった実の兄妹ではない。
十年ほど前、戦争によって親も、帰る場所も失ったヴァイを引き取って育ててくれたのが、彼女の両親だったのだ。
メイアの両親は呪物屋を営んでおり、行商で度々ヴァイの住んでいた国を訪れていたので、ヴァイの両親と親しかった。当時幼かったメイアも一緒だったため、歳の近い二人は――――ヴァイの性格の影響で多少の時間は要しつつも――――必然的に仲良くなった。幼馴染みの関係だ。
やがて戦争が起き、全てを失い、肉体的にも精神的にも疲弊して、ただただ緩やかに死を待つだけとなっていたヴァイを、彼女の両親が何も言わずに引き取ってくれたのだ。
実の親子のように迎えられ、最初は戸惑いはしたものの、ヴァイもそれを受け入れた。ここで生活しているうちに、精神的にも落ち着きを取り戻し、家族四人で平穏な生活を送っていた。
――――ヴァイがそれを自ら放棄するまでは。
「……師匠、もしかして勝手に家を出たんですか?」
突然口を挟んだのは、シュネイだった。
ヴァイの右隣の椅子に座り、暇を持て余した結果、壁や棚に置かれた呪物を眺めていたようだが、話はしっかりと聞いていたらしい。
シュネイが手持ち無沙汰なのは、メイアの手伝いをすると言い出したのをヴァイが止めたからだ。
以前シュネイに料理を任せたことがあったのだが、はっきり言って酷いものだった。それ以来シュネイに料理をさせたことはなく、結果は火を見るよりも明らかなので、何とか理由を付けて納得させたのだ。
そしてヴァイの隣で二人の会話を聞いていたシュネイは、どこか居心地の悪そうな、よそよそしいヴァイの態度と、交わされる会話の内容から、そう結論したらしい。
台所に立ち、鍋の底が焦げ付かないように中身を掻き混ぜていたメイアはシュネイへと視線を向けて、複雑そうな笑顔を浮かべた。
「そうなの。ある日の朝、突然いなくなってたのよ? 信じられないでしょう?」
シュネイはちら、とヴァイを窺った。
「…………」
だが目が合うと眉間の皺を更に深くし、頬杖を突いて視線を外されてしまった。
その様子に苦笑を浮かべるシュネイ。
しかしその“信じられない”ことを平然と、当たり前のように行動に移すのがヴァイだと、どこかで納得している部分もあった。
メイアの言っていることも、もちろん理解できる。
だがヴァイと言う人物は、その範疇に留まることを厭っている節があった。自分のことを多くは語ろうとしないので、その理由は想像するしかないが、恐らくヴァイの心の根底に根付く何かがあるのだろう。
恐らくメイアもそれに気付いていて、けれどヴァイにも分かって欲しい。そう思っているのだろうと、顔を合わせて間もないシュネイにも容易く想像できた。
「でもこうして無事だって分かったし、ひとまず安心した……本当は父さんと母さんもいてくれたらよかったんだけど」
贅沢な希望ね、そう自嘲するように言った。
そしてここで一つの疑問がシュネイに浮かんだ。
「あの、メイアさんのご両親は今どこに……?」
訊ねてよいのか僅かに躊躇った様子のシュネイに、メイアはふふっ、と微笑を浮かべて、
「行商に出てるのよ。でも行商って言っても、各地でそこでしか採取できない鉱石や薬草を集めて回ることが主な目的だから、意外と長引いたりもするの。今回も二週間くらい前に出発したばかりだから、あと一ヶ月は戻らないかな……」
棚から三人分の食器を取り出しながら、そう応えた。
「そうなんですか……大変なんですね」
「大変と言えば、シュネイちゃんも大変でしょ?」
不意に返されて、何のことか察しきれずに首を傾げるシュネイ。
「だって兄さんと一緒に今まで旅をしてきたんでしょう? 昔から愛想もないし、素直じゃない人だから、色々困ったこともあったんじゃないかしら?」
言うメイアは、どこか申し訳なさそうだ。
「そんなことないですよ。師匠はすごく優しい人だと思います」
翠色の大きな瞳を細めて、シュネイは答える。
その言葉に一瞬だけ驚いたような表情をして、しかしすぐに嬉しそうに同意した。
「そうね」
隣では、ヴァイが不機嫌そうに溜息をひとつ、漏らした。




