異教狩り -1-
水平線と太陽が重なり合う前に、船はハーフェンに到着した。
広い港の埠頭に、ヴァイ達を乗せた小さな定期船が接岸されている。
船長に軽く、そしてやはり愛想のない挨拶を済ませると、ヴァイはシュネイと共に足早に船を後にする。
そして若干幅の狭い渡しを降りると、港をぐるりと見回した。
ここハーフェンは、同じ港町でもフーズムとは規模が異なる。人も、船舶も、捌かれている積荷も圧倒的に多い。港、いや街そのものの広さが違うのだ。
というのも、このハーフェンという街は古くから交易の要所として栄えてきた。ハーフェンの位置する西の大陸は世界で一番大きな大陸ではあるが、その海岸線は切り立った崖となっている場所が多く、港を作ることができる土地が限られていたのだ。
その限られた条件の中で、なおかつ大陸の中心へと平野が続くこの場所に作られた街は容易に発展した。同大陸の主要都市へも街道が整備され、この大陸の玄関口となったのは数百年も前の話だ。
「…………」
仄かにオレンジ色へと変化を始めた太陽に照らされているその港街の、活気に溢れ騒々しくもある様相に、ヴァイは小さく嘆息した。どうやら人混みを前にすると、無意識に漏らしてしまうらしい。
しかし隣に並んでいるシュネイは、その仕種に僅かだが違和感を憶えていた。
普段のヴァイならば、このように日常の様々な喧騒が夾雑したような場所では、少なからずの苛立ちや嫌悪感を窺わせる。だが今はそれが感じられず、心なしか表情が穏やかにさえ見えたのだ。
シュネイが不思議に思っていると、やがて背後から渡しを降りる靴音が聞えた。
振り返ると、赤いバンダナを翻しながら、レーヴェが二人の下へと駆け寄って来た。
「悪りぃ、遅くなった」
「…………」
その言葉に、ヴァイが露骨に不快感を示し眉を寄せる。
待っていた、と勘違いされたことが気に障ったらしい。
睨むようにレーヴェに向けた視線を正面に戻すと、背を向けてさっさと歩き出してしまった。置いて行かれそうになるシュネイは早足で続き、不機嫌の理由を量りかねているレーヴェもやや不満そうに二人の跡を追った。
雑踏を抜け、三人は港と街を繋ぐ大きな門をくぐる。
門とは言っても、特に頑丈な門扉があるわけでもない。言うなれば港と街とを区切る、単なる目印のようなものだ。
その門をくぐったところで、不意にヴァイが足を止めた。
一度小さく息を吐き、漫然と街を見回す。
視線の先には広場があり、市場のテントが軒を連ねていて、しかし夕暮れが迫っているために店じまいを始めているようだった。その更に向こうには木組みの家々が建ち並び、中心部では聖堂の時計塔が静かに街を見下ろしている。
風に運ばれてくる潮の香りも、フーズムとはどこか異なった。
そんな街並みにそこはかとなく哀愁を感じてしまうのは、夕陽のせいなのか、あるいは全く別の理由なのか、今のヴァイには判断がつかなかった。
一方シュネイは初めて訪れる街に興味があるのか、物珍しそうに周囲を見回している。
そんな両者に、レーヴェは声を掛けた。
「んじゃ、オレはギルドに戻るわ」
二人の視線が、同時にレーヴェへと注がれる。腰に手を当てて言うその表情は、若干の名残惜しさを浮かべていた。
「今日はホント助かった。二人とも、ありがとな」
その言葉に、ヴァイは無言のまま小さく頷いた。
「ご一緒できて楽しかったです。また会えたらいいですね」
「そうだな。ギルドに来たらいつでも歓迎するぜ」
言うシュネイに、最初はあれだけ怖がってたのにな、と内心で思いながらレーヴェは応える。
だがすぐに横から言葉が被せられた。
「まさかとは思っていたが……【シュヴァルツケルツェ】の所属だったのか? 大した魔術の知識もない貴様がよく入れたものだな」
口を挟んだヴァイは、涼やかな表情に一瞬だけ驚きを滲ませた。そして皮肉ではなく、率直な感想として述べられた台詞は、それ故にレーヴェにとって打撃となったようだった。
「……放っとけ。どーせ筆記はギリでした」
「当然か。せいぜい死なないように努力することだな」
吐き捨てるように言うレーヴェに、鼻で笑うように傲然と言葉を返すヴァイ。
だがヴァイの疑問はもっともと言えた。【シュヴァルツケルツェ】は世界でも一、二位を争うほどに名の知れた、有能な傭兵の多いギルドなのだ。
口元を僅かに挑発的に歪めたヴァイは、更に追い討ちを掛ける。
「必要ならば手解きしてやらんでもないが」
「いや、遠慮する! 昨日のご高説を肝に銘じておきます!」
面倒な話はもう勘弁してくれとばかりに、すぐさま苦い顔で辞退の意を示す。やはりレーヴェという傭兵は勉強というものが嫌いらしい。
が、直後に表情が一変し、
「……どの道、次を乗り切れたらになりそうだけどな」
誰に言うでもなく、独り言のように口走った。
「え?」
「…………」
ぼそりと呟かれたその言葉を、二人は聞き逃さなかった。
次にはっとしたのはレーヴェの方で、
「あー……仕事の話だよ。ちょっと危ない仕事が入っててさ……その、急いでたのもそいつの下準備のためだったんだ」
聊かばつが悪そうに、目を逸らせて弁明した。
「そういうわけだからもう行くわ。確認もあるし。今回はマジでありがとな」
再度感謝の言葉を口にすると、軽く手を挙げて踵を返す。
どこか逃げるようなその態度に不審を抱きつつも、ヴァイは追及しようとはしなかった。
そもそもヴァイは、自身に直接関係がないであろう事象には深入りしない。厄介事の累が及ぶのを厭っているというのもあるが、人と関わることが怖いのが本音だった。
手を振ってレーヴェを見送るシュネイを余所に、ヴァイは何を考えているのか読めない無表情で、同じ後ろ姿を見送っていた。
「……行っちゃいましたね」
言うシュネイの口調には、寂しさが見て取れる。
「そうだな」
「また会えたらいいですね」
さすがにこの台詞には同意しかねたヴァイだが、否定すればシュネイは二度とレーヴェと会おうとしなくなる気がして逡巡した。この少女を可能な限り自由にさせてやりたいという自身の想いに反するからだ。
未だ三年前にヴァイが助けたことに対して恩を感じているのか、それとも記憶が曖昧なせいか、シュネイは異様に従順な部分があった。それは決して悪いことではないのだが、ヴァイが僅かながらも不安を憶えるほどで、性格なのだろうと思いつつも、完全には違和感を拭えずにいた。
故に言葉を選んで、言う。
「この街のギルドの所属だと分かったんだ。会いたければ会いに行くといい」
「はい……!」
シュネイは翠色の大きな目を細めて、嬉しそうに返事をした。
「俺達も行くぞ。宿を探さねばならんからな」
その返事を確認すると、ヴァイは街の北側へと続く石畳の道に一歩踏み出した。シュネイも並んで歩き始める。
徐々にオレンジ色を濃くする夕陽が、細く長い影を石畳に映している。時間と共に市場が順番に閉まり人の流れも遠退いていた。
その流れに沿うように、ヴァイ達も港から街へと向かう。
ハーフェンは人の往来が多いため、宿の数も多い。北側の大通りから少し脇に入ったところにも小さな宿があったはずだと思い、ブーツの底が石畳を叩く音を聞きながら進む。
やがてひとつ目の角を曲がろうとしたところで、唐突に背後から声が掛かった。
「――――兄さん?」




