過去の縛り、交錯 -11-
上下に大きく揺れる船上で、ヴァイは無表情に正面を見据えた。
何故かシュネイは少しばかり不安そうに、一方のレーヴェは明らかに緊張した面持ちで、固唾を飲んで状況を見守っている。
ヴァイはおもむろに目を閉じた。
かざした左手が、より強い光を纏う。同時に足元に魔法陣が現れ始めた。青白い光が、意志を宿したかの如く陣を刻んでゆく。
瞬きをする間にも陣は完成し、中心に立つヴァイを神秘的に青く包んだ。
魔法陣から何かが解き放たれたかのように辻風が生じ、魔導着を閃かせる。
刹那。
風が、波が、ぴたりと止んだ。
突然訪れた凛とした静けさに、耳が痛む。
何が起きているのか把握しきれていないレーヴェは、喫驚しつつ周囲を見渡している。海は先程までの荒波が嘘のように静まり返っていた。
波は、ない。
不自然なほどに。
シルクの布をぴんと張ったような海面が、滑らかに陽光を反射している。
そこに浮かぶ残りの四隻を、見下ろすように、しかし無感情に睨み、ヴァイは口を開く。
「<冷酷なる僕よ>」
氷の囁きが、静寂を破った。
短い詠唱と共に、周囲の空気が変質する。
冷たく肌に触れる空気。鋭利な刃のように張り詰めたそれは、ヴァイの意思に従い姿を現す。
「……」
ヴァイは胸の前にかざしていた左手を、正面へ突き出した。
同時に強烈な破壊音が鼓膜を襲う。
ヴァイの動作を合図とし、四隻の海賊船から何かが出現した。
それは巨大な氷だった。細長い氷槍が、きらきらと太陽の光を受けながら海賊船を貫いていた。異なる角度からそれぞれの船の中心を目掛けて、巨大な氷槍が次々と穿つ。
木製の甲板を貫き、船底を貫き、海中へ抜けるものがあれば、また別のものは海中から船底を抉り、機関部を破壊しながら、天へと向かう。
四隻の船が氷のオブジェと化すまでに、時間は必要ではなかった。
「<散れ>」
今までの戦闘が嘘のように、何事もなかったかのように静かな海。
だが海面には海賊船の残骸と氷片が、確かに波間に揺れている。全ては現実だった、そう訴え掛けているかのように。
それらの破片を受入れる海面は優しく、それでいて無慈悲なようにヴァイは感じていた。微塵に砕けた氷槍の一部が、太陽の下で美しく燦めいている。
伏せられたヴァイの目には、仄かに悲哀の色が湛えられていた。
残骸の浮かぶ海を無言で見つめていたヴァイが、突然興味を失ったかのように踵を返す。その背中にレーヴェが声を掛けた。
「どこ行くんだ?」
「もう俺に用はないだろう。好きにさせて貰う。予想以上に時間を使ったしな」
訊ねるレーヴェを振り向きもせず、わざとらしく肩を竦め嘆息してみせる。いちいち訊くな、ヴァイの顔にそう書いてあるのだが、レーヴェからはもちろん見えない。
恐らく、いや間違いなく貴様のせいだと暗に言われたレーヴェの視線が泳ぐ。
「悪かったな……」
扉の向こうへと消えていくヴァイを見送ると、今度はレーヴェが小さく息を吐いた。
傍にいたシュネイは心配そうにヴァイの背を見つめていたが、扉の閉まる音で我に返った。
シュネイに気付いたレーヴェと目が合うと、
「何とかなってよかったですね」
魔法銃をホルスターに戻しながら、シュネイが微笑を作って言う。戦闘時に見せていた厳しさは残らず消え、普段と同じ年相応の少女の表情がそこにあった。
「そうだな」
レーヴェも同意する。
次に、結局のところ何も役に立たなかった自分に対する、苛立ちと嫌悪が湧き上がった。
二人で十分だったという現実は、傭兵としてのレーヴェに予想以上にダメージを与えていた。その内の一人は、今こうしてレーヴェにあどけない笑顔を向けている少女なのだ。
レーヴェは手にしていた矢を、背中の矢筒に戻すと訊ねた。
「さっきのは何だったんだ?」
さっきの、とは敵の魔術によって引き起こされた荒波が突然収まったことだ。ヴァイが何かしらの干渉を行ったことは間違いないと思ったが、魔力を持たないレーヴェには詳しく知ることができないのだ。
そんなことを自分に訊かれるとは思いもしていなかったシュネイは、大きな翠の目に困惑を覗かせる。
「えっと……要は、魔術を殺したんです」
「魔術を殺す?」
続いて眉を顰めたのは、レーヴェの方だった。
「相殺とは違うのか?」
シュネイは一度頷いて肯定した。
「相殺っていうのは、魔術に魔術をぶつけて効果を打ち消してしまうことなんですが、さっきみたいに魔術の規模や範囲が大きいと、相殺しにくいんです。そういう時は魔術に使われているエーテルに直接働きかけて、魔術自体を殺すんですよ」
説明を聞いてもいまいち飲み込めていない様子のレーヴェに、シュネイが困ったように笑う。
「う~ん……師匠ならもっと上手く説明できると思うんですが。エーテルって、より魔力の強い魔術師に従うんです。命令を強制的に上書きしていると理解してもらえれば大丈夫だと思います。さっきの師匠はこの辺り一帯のエーテルを従えていたみたいですけど……」
魔法銃まで止んでましたから、とシュネイが付け加える。
関心したようにレーヴェが唸る。
「便利なことができるんだな」
「でもかなりの精神力が必要になります……便利なものは勝手が悪いって師匠が言ってました」
そう言って、船室へ続く扉へと視線を向けた。
◆ ◆ ◆
ヴァイは急ぎ足で自身が借りている部屋へと向かう。
表情は、心なしか険しい。
普段のヴァイからは想像できないような乱暴な動作でドアノブを回し開けると、後ろ手で扉を閉め、全身から力が抜けたかのように膝を折った。
小刻みに震える左手を、睨むように見つめる。
「あの程度の魔術でさえこれか……随分とガタがきたな」
詠唱まで用いたというのに。
自嘲するように、忌々しそうに、呟いた。
震えているのは手だけではない。全身が小さく震え、ただでさえ死人のように白い肌は青褪め、色の薄い唇からも血の気が引いている。額には薄らと冷や汗が滲んでいた。
ヴァイは自身を抱くようにして肩を掴む。
震えを堪えるように。
自身を宥めるように。
そして――――何かに、怯えているように。
肩を掴む青白く細い指に、力が入る。
「もう少し……もう少しだけ、保ってくれ……」
願いの言葉が、虚空に溶けた。




