合わせ鏡の魔術師 -2-
「師匠っ」
声と共に勢いよく部屋に入ってきたのは、一人の少女。
ポニーテールに纏めた金髪と、大きな翠色の瞳が印象的な、十四・五歳くらいの少女だった。
ヴァイは突然の侵入者に一瞥をくれると、わざとらしく、大きく溜息を吐いた。
「……部屋に入る時はノックをしろと、いつも言っているだろう、シュネイ」
これで何度目だ、と半ば諦めたように少女の行動を咎める。
一方、シュネイと呼ばれた少女は「あっ」と短く声を漏らし、
「す、すみません……! 私、またやっちゃいました……!」
素直に謝罪の言葉を口にした。
「……それで、何の用だ?」
しゅんとしたシュネイを気に留める様子もなく、ヴァイは話を本題に戻す。
シュネイはその言葉に思い出したように顔を上げ、
「あ、そうでした! ……さっき船長さんが言ってたんですが、この船、急にフーズムに寄ることになったみたいなんです」
今し方、甲板で聞いたという内容を告げた。
「――――フーズムに?」
ヴァイは眉を顰め、単語を反芻する。
フーズムとは、世界地図の中心に位置する島の港町だ。その島にはイリオス聖教の大聖堂がそびえ、大聖堂には最高位である法皇が君臨する。
いわば、聖教会の聖地である。
そのため巡礼者も多く、それほど大きくはない港町フーズムも、いつも多くの人で賑わっていた。
そしてこの船は、東の大陸と西の大陸を結ぶ定期船。
もちろんフーズムに寄港する定期船もあり、前述の理由からそちらの方が便数も多い。
が、今回ヴァイ達が乗船したのは、西の大陸への直行便だった。聖典の前に少しでもフォーゲルブルクの街を下見し、策を練る時間を確保したかったためだ。
更に言うと、フーズムに寄港する便は巡礼者が多く乗船するので、人混みが苦手なヴァイの気が進まない、という単純な理由もあったのだが。
どうあれ、フーズムに寄港するとなると、多少なりとも時間を無駄にすることは間違いない。
急遽決まったともなれば、決して良い理由ではないだろう。
「……理由は何も聞いていないのか?」
長い思慮を巡らせていると思っていたヴァイから突然訊ねられ、シュネイから「えっ」と情けない声が漏れたのも束の間、人差し指を口元に添えて何かを思い出す素振りを見せる。
「え……と、確か海賊がどうとかって……」
少女の言葉に、ヴァイは腕を組み左手を口元に当てる。
「海賊、か……」
聞いたことがあった。
西の海は、海賊が特に頻繁に出没すると。
更に、この辺りの海賊はタチが悪く、多くの犠牲者が出ているとも。
何度か討伐隊も送られたらしいが、海を知り尽くした海賊相手には分が悪く、思うようにいかなかったようだ。
そして、聖典が開催されるフォーゲルブルクも西の大陸にある。
海賊共の縄張りの、向こうに。
面倒だな、とヴァイが小さく口にした。
「恐らく、聖典に向かう金持ちを狙い、活発化しているのだろうが……」
船が止まるほどとはな、と感心したように続けた。
「師匠、どうするんですか? このままじゃ、間に合わなくなるかもしれないってことですよね……?」
不安そうにシュネイが訊ねる。
「……いや、それは心配ないだろう。聖典前に船が動かんとなると、騒ぎにも発展しかねん。何より海賊などに屈したともなれば、聖教会の求心力も少なからず低下する……奴等はそれをひどく嫌うからな。例え騎士団を動かしてでも航路を確保するだろう……」
ヴァイは捲し立てるような早口でシュネイの問いに答える。
一方のシュネイは、一気に頭の中に入ってきた情報の整理に時間が掛かっているようだ。
「えっと……、要は大丈夫ってことですよね……?」
「恐らくはな。……ただ、船の出航がいつになるかは分からん。場合によっては本当にギリギリになるかも知れん……」
ヴァイは自分の発言が恐ろしいまでに要約されていることなど、全く気にしていないようだ。
「……最終手段ではあるが、転移魔術を使えば……俺とお前一人くらいは運べるだろう」
「――――!」
ヴァイのその言葉に、シュネイの顔色が変わった。
「二人一緒に……ってことですか!? ……そんなことしたら師匠……!」
「仮に、の話だ。俺もできるならば使いたくはない手段だからな」
シュネイの抗議を、言葉で遮る。
「……でも……」
それでも納得のいかない様子のシュネイに、ヴァイは僅かに口の端を緩め、
「心配するな。まだ時間もある。どうにかなるだろう」
シュネイを安心させるように、言葉を掛ける。
それは普段のヴァイは絶対に口にしないであろう、楽観的な内容の言葉だった。
シュネイも渋々ながら、はい、と返事をする。ヴァイがそう言うのなら、信じるしかなかった。
その返事を聞き、続いてシュネイに指示を出す。
「夕刻にはフーズムに着くだろうから、それまでに荷物をまとめて準備をしておけ」
「はい! 了解です。私、それまで甲板に上がってますね」
そう言うと、シュネイは船室を後にした。
船に乗るたびに甲板から海を眺めているようだが、何が楽しいのか。そして、自分が今言った言葉の内容を理解しているのか。
幾つかの疑問を抱きながら、ヴァイは開放されたままの扉を見つめ、嘆息する。
その視線を窓の外へ向けると、小さく切り取られた海の彼方に、小さく島が見える。急遽寄港することとなった大聖堂のそびえる、聖地と呼ばれる島が。
……よりにもよって、一番行きたくない場所に……
心の内で悪態をつく。
こればかりは不可抗力だと思いつつも、決して歓迎できる状況ではなかった。
特に理由があるわけではない。
強いて理由を付けるのならば。
ヴァイが聖教会を快く思っていないから。
という、極めて私的なものになる。
今は高い位置で輝いている太陽。あれが水平線に沈む頃には、この船もフーズムに到着する。
陽光をキラキラと反射し美しく輝く波間とは対照的に、ヴァイの心はひどく暗鬱としていた。




