過去の縛り、交錯 -10-
「貴様、いつまで呆けているつもりだ?」
はっとしたレーヴェが声の主へと振り返ると、冷ややかな紫のそれと視線が重なった。
胸の前にかざされたヴァイの左手は仄かな光を宿していて、飛来する魔法銃の光弾を全て的確に消し去ってゆく。
混じって強い風圧が船を揺らすため、魔術も同時に捌いていると知れる。
「さっさと片付けろ。いつまでやらせるつもりだ」
半ば呆れたようにヴァイが言う。
魔術を相殺する技術はレーヴェも幾度も見たことがあったが、魔法銃の弾を打ち消すなど前代未聞だ。しかし当の本人が涼しい顔で、どちらかと言うとただ煩わしげに対処している様子から察するに、造作もないことなのだろう。
「わ、悪りぃ……」
やはりこの魔術師だったのだろうか。そんな想いが脳裏を掠めたが、今は後回しだ。
レーヴェは最も近い、右端の海賊船へと狙いを定める。
こちらへ乗り込むために接近してきているので、既に弓の射程内。
その船からも光弾は発射されているが、半分は的を逸れ、残りも全てヴァイが消滅させている。
レーヴェはあらかじめ手にしていた三本の矢のうち、一本の矢筈を弓に番えた。残り二本は握ったまま弓を引き絞る。
「…………」
鋭く狙いを定め、矢を放った。
しゅっ、と風を切る音を残し、矢は海賊船へと一直線に飛ぶ。
「もういっちょ」
続けざまに、手にしていた二本も同じ船へと撃ち込んだ。
「ちっ、これだけ撃ってんのに当たんねぇって、どういうことだよ……」
海賊船の上では、男が苛立たしげに魔法銃の照準を合わせている。確実に命中した手応えはあるのだが、相手には被弾した気配が一切ない。
不自然さを感じている男の脇を掠め、
トスッ。
軽い音を立てて、甲板に矢が突き刺さった。
レーヴェが放った矢は、男の脇を僅かに右に逸れて着弾していた。
「下手くそが」
男はちらと床に刺さった矢を確認したが、すぐさま魔法銃を構え直す。
すると標的である船から、再度小さな点が男の方へと襲い掛かる。すぐに矢だと分かったが、矢は男を大きく外して、船首と船尾に一本ずつ命中した。
「……?」
男は、違和感を憶えた。
そして、直後に叫んでいた。
「矢を抜け! 早く!!」
叫んだ時には、手遅れだった。
男の台詞を合図としたかのように、着弾した全ての矢から、カッ、と眩い閃光が走る。
光に反応して咄嗟に腕で顔を覆ったが、そんなものが意味をなすはずもなく。
天を劈くような爆音と共に、船は激しく炎に包まれた。
「……呪物か、考えたな」
感心したようにヴァイが言った。
「オレだって傭兵だぜ? 戦法くらいは心得てるさ」
矢筒から、次の矢を取り出しながら答える。
“普通”の矢が爆発など起こせるはずはない。
今し方レーヴェが放った矢には、呪術が施されていたのだ。
呪術とは、≪呪縛≫と呼ばれる、力のある言葉によって生み出される魔法の一種であり、魔術と異なりエーテルを一切消費しない。故に魔術の才のない者も訓練次第で操ることが可能で、またエーテルの希薄な場所でも術を使用することができる。
しかし言葉に力を宿すという特性上、魔術の詠唱に当たる≪呪縛≫を省くことはできず、術の発動には時間が必要であり、また、言葉を正しく理解し組み合わせなければ効果も薄い。
そして、この呪術の力を宿した物を≪呪物≫と呼ぶ。
呪術も魔術のように、望んだ現象を具現化させて相手を攻撃することも可能だが、魔術と比較するとその威力は極端に落ちる。
そこで呪術を効果的に用いる手法として開発されたのが、物に力を宿す≪呪物≫だったのだ。
呪術にも魔術でいう属性のようなものがあり、属性を使い分けることで様々な効果が期待できる。
今のように武器に術を施し、広範囲を攻撃できるようにしたり、アクセサリーに防御効果のある呪術を施して、魔術を受けた時の被害を減少させることも可能。発動条件を満たした段階で効果が得られる。
発動条件は特定の行動であったり、呪物自体に衝撃を与えたりと様々。特定の言葉を鍵とする場合もあり、呪物屋に依頼することで好みの物を用意してもらえるのだ。
レーヴェは魔術の才を持たなかったため、依頼をこなす上でも呪物を用いる頻度は高い。戦術を広げるためであったり、魔術師に対抗するためであったり、また、弓という武器と呪術との相性が良いことも挙げられる。
「ではその調子で残りも終わらせてくれ」
多少の皮肉を込めて、ヴァイが言う。
シュネイはすでに二隻目を沈めているようだ。飛来する弾の数も一気に少なくなっている。
「分かってますって……」
再び三本の矢を取り出すと、それを番えようとしたところで、
「っ!」
ぐらり、と船が大きく揺れた。
合わせて海面は激しく波打ち始め、すぐに立っていられない領域に達した。大きな波は飛沫を上げ、今にも船を呑み込まんばかりに四方に揺らす。
こちらを応戦できない状態に追い込もうとしているようだ。
「大きな魔術で来たな……」
片膝をついて、ヴァイが苛立たしげに息を吐く。それでも光弾はこちらに襲い掛かっているため、左手は光を宿したままそれらを防いでいることを伝えていた。光が途絶えれば、こちらはものの数秒で蜂の巣と化してしまうだろう。
「これ、大丈夫なのか!?」
同じく膝をついた状態のレーヴェが慌てた様子で訊ねる。
「…………」
ヴァイは答えない。
隣ではシュネイが必死に揺れに耐えている。
「どうします? 師匠、ここは私が……」
「いや、問題ない」
名乗り出たシュネイの言葉を、ヴァイはすぐさま切り捨てる。
そして静かに立ち上がり、荒れ狂う海を鋭く、しかし無感情に、見据えた。




