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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第二章
16/71

過去の縛り、交錯 -7-

                  ◆


「……手が止まっていらっしゃいますよ、ルーウェント様」


 はっとして我に返ると、傍に控えるシャルフの無機的な横顔が目に入った。黄金色の双眸は閉じられていて、表情を覗き見ることはできない。

 ルーウェントが同じ注意を受けるのはすでに何度目かになる。手が止まるたびにシャルフは呆れるでも怒るでもなく、普段と変わらない事務的な口調で同じ台詞を口にする。

 これが自分の仕事だと言わんばかりに。

「すみません」

 微かに自嘲を含んだ笑みをシャルフへと向け、ルーウェントは再び手元の書類に目を落とした。

 法皇であるルーウェントは立場上、神事や儀式の時以外は表に出ることは少なく、勤めの多くはこうした書類の処理などの事務作業だ。

 今は嘆願書の処理に追われているのだが、内容も神官から寄せられたもの、信者から寄せられたものと多岐に渡る。各聖堂や教会から集まる嘆願書や報告書は、特に種類も枚数も多く一件一件目を通すだけでもかなりの時間を要する。

 多くは下の者に任せても問題のない内容ばかりなのだが、ルーウェントは法皇就任時に率先して自分がやると言い出したのだ。

 当時、猛反対したのがシャルフだった。

 理由は幾つか挙げられるが、法皇就任時に僅か十三歳という異例の若さであったルーウェントには、純粋に荷が重いと感じたからだ。

 聖教会を背負うには、まだ幼い。

 処理できる能力を持った者に任せるべきだと。

 しかし一度言い出したルーウェントは頑固そのものだった。

 今思えば、内部対立が陰で激化を始めていた当時、ルーウェントの周囲には全てを任せられるほど信頼できる相手がいなかったことも事実だろう。

 内部対立の犠牲者が、父である前法皇――――アーベントであったことも影響していたはずだ。

 結局、最終的に折れたのはシャルフの方だった。シャルフもただ譲ったわけではない。自分を説得する少年の姿に、アーベントの姿が重なったのだ。

 親子揃って似たようなことを言うものだと、その時は驚いた。

 そして今でもシャルフは、当時のルーウェントの言葉を忘れてはいない。


「失礼します」


 軽い二回のノックと共に声が掛かり、ドアが開いた。

 入って来たのはセアだ。左手のトレーには、ティーセットが乗っている。

「お茶を入れますので、ルーウェント様も少し休憩なさってください」

 言いながら中央のテーブルにトレーを置き、三人分のカップを並べていく。

「ありがとうございます」

 ルーウェントは執務席から立ち上がると、その正面のテーブルへと移動する。

 同じテーブルではセアが、並べたカップに均等にお茶を注いでいく。ハーブティーのよい香りが、ふわっと広がった。日頃からルーウェントが愛飲している、ペパーミントベースのハーブティーだ。

「どうぞ召し上がってください」

 セアがカップと、トレーに乗せていた焼き菓子を差し出す。ルーウェントは再度セアに礼を述べるとソファに腰を下ろした。

 次にセアは一つのカップをソーサーごと手に取ると、シャルフへと近付く。

「どうぞ」

 空色の目を細めて、シャルフへとカップを差し出した。

「ありがとうございます」

 やはり抑揚のない声で礼を述べ、カップを受け取る。シャルフにカップを渡すと、セアはルーウェントの向かい側のソファに腰を下ろした。

 毎日このようなティータイムを取るのだが、シャルフは決して同じテーブルに着こうとはしない。それが立場を気にしてのことだというのは明白だ。

 シャルフとしては、護衛である一介の騎士に茶を出す二人の方が変わっていると思っていた。

 傍から見ればただ突っ立っているだけに見えるのだろうが、これは立派な任務である。そもそも不測の事態に即座に対応しなければならない身としては、今この瞬間に襲撃を受けでもしたら……と想像してしまい、お茶を楽しむどころではない。

 前に一度このことをルーウェントに進言したのだが、

「確かに主従関係に当たるのでしょうが、僕にとってシャルフは兄であり父であるような、そんな存在ですから」

 と、よく分からない答えが返ってきた。

 ルーウェントといい、父であるアーベントといい、彼等は少し変わっている。

 そんなことを思いながら、シャルフはカップを口に運ぶ。


「下は、どんな様子でしたか?」

 ルーウェントはお茶で喉を潤してから、正面に座るセアに遠慮がちに訊ねた。

 かちゃ、とカップを置く音が小さく鳴る。

「午前中よりは落ち着いてきています。それでも不安がっている巡礼者の方は多いみたいで……神官や騎士に説明を求めている方も見掛けました」

「そうですか……」

 一昨日の出来事により急遽、昨日は大聖堂の封鎖を決定した。

 封鎖という前代未聞の事態に、巡礼者を始めとする民衆の混乱は避けられず、中には大聖堂の正門まで詰め掛けて来た者達もいた。

 今朝から大聖堂は普段通りに開放されてはいるが、昨日の今日だ。封鎖の詳細については依然として非公開であるため、信者達の不安は払拭できていない。

「早いうちに、皆が納得のいく説明の場を設けるべきでしょうね」

 小さく嘆息するルーウェントに対して、セアが思い出したように口を開いた。

「そのことについてですが、父が……大司教が対応を考えておられます。ですのでルーウェント様には、それまでお待ち頂きたいと申しておりました」

「……」

 セアの言葉に何故かルーウェントは表情を曇らせる。

「ルーウェント様?」

「大司教は恐らく、嘘の内容を作り上げて丸く収めるつもりなのでしょうが……僕はそういうやり方は好きではありません。民衆を騙すようなことは、避けるべきだと思いますから」

 今度はセアが言葉に詰まった。

 確かに大司教に一任してしまった方が、迅速且つ穏便に済むだろう。だが実のところセアも、父である大司教の執る手法はあまり好ましくないと思っていたのだ。


「では、事実をありのまま公表するのですか?」


 言葉を挟んだのは、シャルフだった。

 二人の視線が一斉にシャルフへと向けられる。

 鋭い光を宿した黄金の目が、真っすぐにルーウェントを捉えていた。

「……それは……」

 思わず口籠もる。

 ルーウェントも理解はしているのだ。真実を晒すことだけが、決して正しいものではないと。今回の件についても、事実を包み隠さず公表してしまえば、更に民衆の混乱を煽ることになるだろう。

 しかし、嘘偽りで体裁を保っている聖教会を危惧していることも事実だった。

「……僕から、大司教に話を聞きに行きます。それからです」

 顔を上げ、シャルフをしっかりと見据えて言う。

 ルーウェントのその様子に、シャルフはこれ以上何も言わなかった。ルーウェント自身に迷いがないのならば、それでいいのだ。行動の善し悪しではなく、主であるルーウェントの意志を一番に尊重したいとシャルフは日頃から思っていた。

 例えそれにより非難されようとも、シャルフにとっては小さなこと。己の誓いと役目を果たすことこそが、自分がここにいる理由なのだから。

 シャルフがそれ以上の追及を断念したことを確認し、ぬるくなったお茶を口に運んでからルーウェントは二人へと向き直った。

「それと……二人にお願いがあるのですが」

 改まった態度にシャルフは微かに眉を寄せ、セアは緊張したように姿勢を正した。

「はい」

「何でしょうか?」

 二人の返事を確認してから、そして更に数秒置いて、ルーウェントは大きな決意を表明するかのように息をつき、ゆっくりと言葉を紡いだ。





「あの夜に見たことは、秘密にしておいて欲しいのです」






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