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聖女は唄と結婚する

 流星が降り注ぐ 清きこの日

 万物は地に平伏し 許しを乞う

 数多の神を統べる 創造主よ

 明日も皆で笑えるよう どうか見守り給え

 その御心で わららを見守り給え

 自愛の創造主は 全てを許し給う


 神の愛を称える唄が、厳かに響き渡った。

 幼子たちの声は純粋で柔らかく、まだ拙いものの聴いていた者全てを魅了するだろう。


「本日の練習はここまでにしましょう。皆、上手になったわ。生誕祭に向け、頑張りましょうね」

「はいっ。聖女ガーベラ、ありがとうございました!」


 快活な声が聖堂に響き渡る中、穏やかにガーベラは微笑む。蜘蛛の子を散らすように去っていく子供たちを見送り、小さく手を振った。

 聖堂から出ていく子供たちを見届けると、控えていた男が静かに近寄る。


「聖女ガーベラ。ベルーガ元帥閣下より書簡が届いております」

「ありがとう」


 跪く男から丁重に筒を受け取り、羊皮紙を取り出す。彼の印が押されていることを確認し、目を落とした。

 相変わらず、嫌味なほど美しい字体だった。すらすらと読み終え、丸めると筒に戻す。

 火急の件ではなかったので、肩を竦める。ただ、彼なりに別の惑星からやって来た()を気遣っていることは分かった。

 マメな男である。


「書簡をお持ちいたします」

「いいえ、大丈夫よ」


 差し出された手を一瞥し、ガーベラはうっすらと微笑んだ。

 この程度は難なく持ち歩けるし、そもそも腕を使わないと筋力が衰えてしまう。絶対にやらせてもらえないが、かじかむ手に息を吹きかけ、冷たい水で洗濯をすることも厭わない。

 書簡を胸に抱き、何人もの神官に囲まれて自室へ戻った。

 ここから、食事の時間までは自由。深々と頭を下げて扉を閉める彼らに、感謝の意を込めて優しく微笑む。


「……ふぅ」


 ゴキッと肩を鳴らす。

 窮屈さから解放され、唇を尖らせた。


「はぁ」


 嘆息し、身体が冷えぬよう温められていた寝台に転がって高い天井を見上げた。豪華な部屋は分不相応で恐縮してしまうが、以前よりは慣れた気がした。

 生涯この場所で過ごすのだから、いい加減受け入れなければならない。

 横目で窓を見ると、一瞬星が煌めいた。


宇宙(そら)に浮かぶ星の一つが落下したら、私たちは滅ぶ」


 他人事のように呟き、瞳を閉じて大きく息を吸い込んだ。

 星を見ると凄惨な過去を思い出すのに、どうしても見上げてしまう。時折過呼吸になるほど胸が苦しくなるのに、止められない。

 勇者アサギが、()()したのは、今から五年ほど前になる。

 瞳に映った情報を脳は処理できず、その場で卒倒し、目が覚めた時には全て終わっていた。

 何もかも知って動いていたトビィからアサギについて聞かされ、当時はあまりに身勝手で無慈悲な行動に怒りすら覚えたものだ。

 いや、今も納得していない。


「本当に馬鹿な子。なんでも持っていたのに、手に入れられたのに、自ら手放した……。愚か者よ」


 次に会ったら引っ叩いてやりたいと思うくらいには、腸が煮えくり返った。

 しかし、もう二度と会うことはない。

 だから、涙が溢れて止まらなかった。

 そして、何故彼女がそれを選択したのかを理解し、受け入れるしかないと悟った。

 あの日、太陽系第三惑星チキュウでは『七夕』とされる日だったという。

 チキュウから召喚され、惑星クレオで勇者の要となり魔王と戦い世界を平和に導いたはずのアサギは、破壊の姫君と名乗る魔王となって人々を追い詰めた。

 しかし、現在『聖戦』と呼ばれているその戦いで、人間、魔族、天界人、幻獣は勿論、動物も、植物ですら、誰一人として命を落とすものはなかった。

 消えたのは、アサギだけ。

 敵味方問わず、名立たる武器を一斉に華奢な身に受け、薔薇の花弁を散らすように夜空に飛散した。

 その時に見せた極上の笑顔が、今でも忘れられない。

 嫌味でも、復讐でもない、純粋に幸福を得た笑顔に見えた。


『すまなかったな、ガーベラ』


 アサギに似た娘の声が耳元で聞こえたような気がしたのは、それから随分と経ってからのこと。思い出したのかもしれないし、罪の意識を相殺するための都合の良い幻聴かもしれない。

 ゆえに、美化する気もないし、誰かに話すこともない。指摘されたら甘んじて受け入れる覚悟はあるが。


「貴女は本当に幸せなの? いいえ、違う。幸せだと思い込んでいるだけなのよ、呪いは続いている」


 窓から見える星々を睨み、小さく呟いた。

 あの宇宙の何処かに、()()()()()()がいるという。姿は見えないらしい、そういう超次元のものらしいのだ。

 それはすなわち、宇宙の傍観者。

 絶大な能力を持ちつつも、支配者でも統治者でも調停者でもない、謎の存在。

 本来ならば、宇宙の“マリーゴールド”と呼ばれる場所で、大人しく鎮座しているはずだった。

 地上に降りてしまったのは、()()()()()()()()()から。創造主は、自分が見守る宇宙に生誕した命に漠然と憧れたのだ。

 どうにかその男に認めてもらおうとした宇宙の創造主は、彼と同じ生命体になるため数多の転生を繰り返し、奮闘したという。

 ただ、彼女の願いは、その男と生涯をともにすることではなかった。

 もしかしたら、最初はそう願っていたのかもしれない。

 だが、転生を繰り返すたびに、当初の願いを諦め、忘れ、別のことを願うようになってしまったと。

 そうトビィに教えられ、ガーベラにも思い当たる節があった。


「馬鹿な子。()()()()()と相思相愛だったのに」


 現在、ガーベラには唄えば人々の心も身体も癒すことが出来る不思議な能力がある。アサギが消えた今も、その能力は健在だ。

 てっきりアサギが付与してくれた能力だと思っていたが、彼女曰く、眠っていた過去の能力を引き出すきっかけを与えただけという。

 おぼろげだが、前世で光の精霊という種族だった時、同等の能力を身に着けていた。その時代でも、アサギを羨んだ記憶がある。

 それほどまでに、どんな時でも眩い存在だった。

 そして、誰もが羨む能力を持っていた。

 ただ、本人には不要だったらしい。


『人間は、その小さな身体に宿す能力をほぼ使用せず生涯の幕を閉じる。愚かで哀れだが、生命力に溢れる愛おしい存在』


 アサギに似た娘がそう繰り返していたのを、トビィは黙って聞いていたらしい。

 アサギが最終的に願ったのは、『とある男の幸せ』だった。

 そのために自分が出来ることは『未練を捨て、潔く宇宙に還ること』と結論付けたという。

 その際、()()()()()()()()通り、『目の前で消滅すること』を望み、実行した。

 ガーベラが思っていた通り、なにもかも茶番だったのだ。

 全ては、トランシスに自分が消えるところを見せるため。そうすれば彼が喜び、安心すると思ったらしい。

 良い機会なので、人間、魔族、天界人などすべての種族を一致団結させるために、アサギはあえて破壊の姫君という新たな魔王を名乗ったとも聞いた。

 人々を恐怖に陥れるフリをして、種族の垣根を越えて今後も上手くやっていけるようお膳立てをしたのだ。確執を取り払い、手を取り合えるように。

 鼻で笑い、瞳を閉じた。


「一切合切の行動が、馬鹿。貴女なら、世界が滅んでも彼を愛し、共に生きることだってできるでしょうに。それにね、平和なんてその場限りよ。誰もが知っているわ、生きて感情がある生物が多々存在する以上、争いは避けられない。楽園は、想像上のもの。差別も、貧困も、戦争も、不条理なものはこの世から消えたりしない。生きるってそういうことなのよ、アサギ」


 誰しもが気づいている。

 聖戦直後の今は、宇宙の創造主が残した意思を胸に刻んでいるだろう。だが、時が経つにつれて安穏な生活への願望は薄れていく。

 それこそが、生命の欲にして業、生きる糧。

 この世界を見守る強大な存在があれども、すぐに悪の芽が顔を出して蔦を伸ばし、花を咲かせる。

 ただ、抗うことは出来るのも確か。

 

「本当に、馬鹿、馬鹿、馬鹿!」


 無邪気に微笑み近寄ってきたアサギを思い出すだけで、胸がいっぱいになる。

 正直今思い出しても、完璧な良い子ちゃんで好きではない。だが、決して嫌いではない。だから思い出すだけで、こんなにも胸が締め付けられるのだ。

 沈思していると、遠くで扉を叩く音がした。

 滲んだ涙を拭い「はい」と声をかけると、落ち着き払った神官の声が届く。


「失礼いたします、ガーベラ様。ベルーガ元帥閣下とトビィ様が到着されました」

「……は?」


 夢でも見ているのかと頬を抓ると、痛い。現実だと気づき、慌てて先程の書簡を再び手にする。

 しかし、来訪することは記載されていなかった。


「い、今参ります」


 飛び起きて乱れていた髪を直し、涙を拭き、鏡を見て笑顔を浮かべる練習をする。あの二人は心を見透かし抉ってくるので、相応の準備が必要なのだ。

 目の下の化粧が落ちていたので塗り直し、どうにか取り繕う。


「平常心平常心平常心……」


 心中は嵐だというのに、穏やかな笑みを浮かべて自室を出たガーベラは、神官に頭を下げた。

 二人が待つ迎賓館へ向かうが、寒さと緊張で足が震えている。室内は温かいが、廊下は極寒。しかも、迎賓館へ行くには渡り廊下を通過せねばならない。

 相変わらず煌めく星をこっそり見つめ、幾度目かの溜息を吐いた。


 二人の待つ室内へ足を踏み入れると、鋭利な四つの瞳に一瞬気圧された。しかし、自室で練習した通りの笑みを浮かべる。


「お久しぶりですね、ベルーガ元帥閣下。お会いしたくて、毎晩枕で涙を濡らしておりましたの。しかも、トビィを連れ立ってだなんて、私は大変嬉しく思います」

「これはこれは聖女ガーベラ、ご機嫌麗しゅう。今宵もまた、随分とお美しい」


 言葉に棘を含んで告げると、トビィが他人行儀な挨拶を返してきた。苛立ってしまい、頬がピクピクと小刻みに痙攣する。


「トビィに言われると、気色悪いわ」

「この程度の世辞、聞き流せるだろ」

「貴方に言われると寒気がするのよ、以前と同じように喋って」

「とはいえ、皆が羨む聖女様ですから。そういうわけにはまいりません」

「あぁもうっ、トビィってどこまでも意地悪ねっ。昔馴染みでしょっ」


 声を荒立てると、控えていた神官が目を点にしていた。これがガーベラの素だが、今まで見たことがなかったらしい。重い空気の中でぎこちなく微笑むが、もう遅い。

 咳ばらいをすると用意されていた席に着き、黙っているベルーガを見つめた。

 目の前にいる男が、ガーベラの夫。惑星フォンダーヌで勢力を伸ばしている帝国の第二皇子にして、元帥。三十五歳になるが、精悍な面構えは出会った時から変わらない。

 見たのは片手で数えられる程度だが、衣服の下には見事な筋肉を隠し持っている。娼婦時代の自分であれば、上客だと惚れ惚れする身体だ。


「不自由はないか」


 感情が読み取れない瞳と、抑揚のない夫の声に我に返る。ガーベラは一呼吸おき、開口した。


「あるとしたら、こうして突然元帥閣下とトビィが揃ってやって来ることくらいです」


 作り笑顔で返答すると、トビィが吹き出した。


「そうか、すまなかった」

「それで、何用ですか?」

「用事はない。ただ、トビィの顔が見たいだろうと思って連れてきた」

「まぁお優しいこと! ですが、お気遣いなく。トビィを見ると()を思い出すので、出来れば会いたくないのです」

「そうか、やはり本人に逢いたいか」

「そんなことは一言も申しておりません。何か勘違いをしていらしゃるようですが、トランシスには二度と会いたくないです」


 笑いを堪えて震えているトビィを一瞬睨みつけ、会話の嚙み合わないベルーガに視線を送る。届けられた酒を煽り、不機嫌そのもので顔を逸らした。


「そうはいっても、君は彼を愛しているだろう」

「いいえ、愛していません。それは昔のことです、若気の至りですわ。女は殿方と違い、切り替えが早いのです」


 二人に微笑み、ガーベラはしれっと告げた。

 しかし、ベルーガに意図は伝わらない。


「だが、神官から彼に似た子を贔屓していると報告が上がっていて……」


 失笑するトビィに、みるみるうちにガーベラの顔が真っ赤に染まっていく。

 そんなつもりはなかったが、確かに目をかけている子供がいた。母性本能をくすぐる瞳に絆され、何かと世話を焼いている。言われてみれば、雰囲気がトランシスに似ているかもしれない。


「ち、違います。それに、愛らしいあの子と、あのどうしようもない馬鹿屑男を同一視するなんて失礼です」

「ふむ」


 顎を擦って瞳を細めるベルーガの前で、ガーベラは唇を噛んだ。

 一応彼は夫だが、夫婦間に愛はない。そこにあるのは、利害の一致だった。

 アサギが消滅してから、その正体を知った者たちは恐怖に恐れ慄いた。何しろ相手は、宇宙の創造主である。機嫌を損ねたら滅ぼされると思い込み、多くの者が肝を冷やした。

 そこから、ガーベラを責める天界人が現れた。面と向かって口にしないが、態度がどこか余所余所しい。まるで、祟りを恐れるように。

 あんなにも聖女と褒められ、求められたのに、潮が引くように離れていった。何しろ、宇宙の創造主の愛した男を寝取り、短剣で刺した女だ。

 唄うことが出来ればよいのでどう思われようと気にしなかったが、トビィの提案でベルーガとの結婚を勧められたのは、それから三年経った頃。

 

『いい話がある』


 にこやかに微笑んでやって来たトビィを胡散臭く思い、持ち掛けられた話にもげんなりしたが、結局受け入れた。新たな風を身体に取り込みたかったのかもしれない。

 ベルーガが愛しているのは、アサギただ一人。

 だが、全てを承知の上で帝国の第二皇子の妻が務まる女を探していた。


『私が君を愛することはない。しかし、君のことは全力で護る』


 初対面で、ガーベラはそう告げられた。

 歯に衣着せぬ物言いに、開いた口が塞がらなかった。とても、結婚を願い出る言葉ではない。

 しかし、そこが潔くて好感が持てた。つまり、最初から調子のよかったトランシスよりマシに思えたのだ。

 今思えば、感覚が狂っていたのかもしれないが。

 

『結婚はするが、互いに愛そうとする努力はしないこと。つまり、胸中に秘めた相手を愛したままで問題ない』


 断固として否定はしたが、ガーベラはトランシスを愛したままでいいと言われた。傍から見たら未練がましい女らしく、事実を知ってとても悔しい。

 

『夜の営みはなくて構わない。ただ、求められたら応じてもよい』


 求められたら応じろと言われていると勘違いし、あからさまに不機嫌な顔になったが、よくよく聞いたら逆だった。


『トビィが……君は性欲が強いと話していたので』


 真顔で告げられ、顔から火が出そうなほど恥ずかしかったことをたまに思い出す。

 夫婦の営みはなくていいが、他の男と不貞を働くのは避けて欲しいので、その時は身体を貸すということだった。

 元娼婦だとベルーガが知っているのかはいまだに謎だが、トビィのことなので話していないだろうと思っている。そのあたりは信用していた。


『君は子が出来ない身体だと聞いた。そのほうが都合がよいので、助けて欲しい』


 現皇帝には、五歳の息子がいるという。次期皇帝に彼を望んでおり、自分の子が争いの種になることを避けたいとのことだった。


『何より君は、聖女だ。その唄声で、傷を癒せると聞いた』


 惑星フォンダーヌは、魔法が一般的ではなかった。扱える者はごく僅かで、この帝国だと皇帝に近しい血縁者のみにその能力が宿るという。

 ゆえに、ガーベラの存在は貴重であり、人々が“聖女”と認識するのに時間はかからなかった。

 何より、ここは以前アサギが滞在していた場所。その神憑り的な能力から、今は“聖母神”と呼ばれている。


『君は聖母神アサギが遣わした、聖女ガーベラ。ゆえに、無理に私と初夜を迎える必要はない。聖女は純潔だと皆知っている』


 純潔などとうに捨てたので結局人々を騙しているのだが、要は使えるものは使うということだった。

 大きくなりすぎた帝国は、些細な綻びが出来やすい。強固に見えるが、細かなところまで目が行き届かず、ゆえに隙をつかれると存外脆い。

 早い話、熟した木の実はいづれ落ちるという、危うい状況にある。

 ベルーガの帝国及び皇帝を支えたい気持ちは、少なからず理解した。しかし、ガーベラはただの平民。貴族の生活など何一つ知らなかったので、当初は二の足を踏んだ。

 だが、異界から遣わされた聖女として、今も何人もの教育係から勉強や貴族の風習を教わっている。おかげで読み書きは出来るようになったし、令嬢のように振舞うことも覚えた。


『堂々としていればいい。君がやってみたいことがあれば、力になる』


 無理を承知で頼んでいると理解しているベルーガは、ガーベラの意見をきちんと聞いた。

 唄うこと以外にガーベラが出来ることといえば、炊き出し。以前教会で子供たちの世話をしていたことを話し、戦争孤児を引き取ってはどうかと相談した。

 学校を作り、無償で学ばせ、将来帝国を護る有能な若者を大勢排出すればいいと助言したのだ。生きるために、一般教養と善悪、そして愛を教える。

 その場所で、子供らに唄を教えたいとも告げた。

 この活動は聖女の名のもとに行われたが、結果ベルーガの株も上がっている。帝国民からの支持は勿論上がり、話を聞いた亡命者も増えていた。

 また、聖女ガーベラの噂を故意に広め、鉄壁の護りが帝国に存在すると知らしめた。

 それこそが、聖歌隊。聖女ガーベラの教えと愛を受けた子供たちの歌声にも、不思議な能力が宿っていると広まっている。

 実際はただの唄で、なんの効果もない。平たく言うと、他国を牽制し、戦争を避けることが出来ればいいのである。

 こんな子供だましは、いつまでも続かないとベルーガにも分かっていた。だが、争いを嫌うアサギを想い、自分が生きている間だけでも戦争が起きないよう動き回っている。

 トビィから見たら奇妙な夫婦だが、ベルーガとガーベラは上手くいっていた。ただ、夫婦というよりも利益が一致した仕事仲間に見える。


「まぁいい、彼に逢いたい時は遠慮なく言ってくれ」

「だからっ、結構ですっ」

「そうか。……アサギの言った通り、ガーベラは立派だ。助かっているよ」


 無関心に見えるが、これでもベルーガはガーベラを気に掛けている。

 見つめ合う二人を見やり、トビィは意外そうに肩を竦めた。


「風向きが変わっている気がする」


 ぼそりと、呟いて。

 

 どのくらいの時間が経過したのだろう。

 下戸のベルーガは紅茶をすすり、トビィとガーベラはワインを呑み交わす。ぽつりぽつりと近況を語る三人は、ここにいない男を思い浮かべた。

 だが、誰も彼の現状を口にしない。

 ガーベラが尋ねたら、トビィは口を開いただろうに。


「未来を諦めるな、活路を開け」


 酒豪のトビィは素面の状態で淡々と呟き、天井を見やる。

 これは、アサギに似た娘が最期にトビィに告げた言葉だ。この言葉だけが、彼の支えになっていた。

 消えた、いや、創造主に戻ったアサギを追うために、トビィは今も尽力している。 

 アサギに似た娘の正体は、アサギ自身が生み出した形而上(けいじじょう)の精神体。皆に迷惑をかけぬよう眠っている間、身体を動かすための存在だったという。

 ゆえに、身体はもちろん、名前もない。

 その精神体は何もかも全てを知っていた。だが、アサギに生み出されたので指示された通りにしか行動することしか出来なかった。

 例えアサギの選択が間違っていると知っていても、止めることは出来なかったのだ。

 凄惨な運命を知っているのに的確に立ち回ることが出来ず、虚しい日々を送っていたのだろう。


「…………」


 精神体の話をする時、決まってトビィの瞳は大きく揺れる。

 アサギ以外のことで滅多に動揺を見せない彼にしては珍しいので、二人の間に何かあったのだとガーベラは思っていた。

 だが、勘繰るのは下種の極。

 トビィが愛しているのは、今も昔もこれからもアサギだろうが。

 そのアサギが愛する男は、トランシスだと分かっていても。


「それにしても、二人とも不毛ね。私のように心から愛しい存在と結婚できるといいのに」


 おもむろに立ち上がり、ガーベラは二人を見比べる。強健な男がきょとんとして互いに顔を合わせている姿は、茶目っ気があって可愛いと思った。

 訝る二人を尻目に、控えていた神官に告げてある物を部屋に取り寄せる。

 

「私が結婚したのはベルーガ元帥閣下ではないのよ。形式上は貴方だけれど、私の結婚相手は……」


 届けられた竪琴を受け取り、嫣然と微笑んで鳴らす。

 その竪琴は、木製。

 聖歌隊に必要だとベルーガに告げ、作って貰った一品だ。

 遠い昔、吟遊詩人のルクルーゼが所持していた竪琴よりも小ぶりで、ガーベラの手に馴染んでいる。

 瞳を閉じ、長い指で弦を震わす。

 素朴な音を響かせると、音は室内を水のように漂った。


「唄」


 にやりと微笑み、呆けている二人に片目を瞑る。


「私は唄と結婚して永遠を誓ったの。だから満足している」


 獣のような瞳を見せ、ガーベラは声を張り上げた。


「私が求めたのは運命の恋人 そして手に入れたのは唄

 気づいたときには傍にあった 私の大事な相棒

 

 私は手に入れたのよ 愛しいものを

 あなたたちはまだなのかしら 早く見つけておあげなさい


 運命の恋人同士は 何があっても離れることはない

 私は壊れない運命の恋人たちを ずっとずっと見ていたい


 だから唄うわ 私の声が届くように

 例えあなたたちが離れてしまっても 声を頼りに再会できるように

 闇夜を照らす灯台の光のように 道しるべになりましょう


 何もなき宇宙の果てで 貴女が泣いている

 向こうで彼が叫び 悲しみの旋律が夜空に広がる

 悪夢の中で溺れ続けても 闇の中で光る湖畔を見つけた

 けれど 緑の杭に繋がれ瞳を塞いだ貴女には 現実が見えない

 深淵に堕ち 全てが消えた

 ねぇ 私の声を聞いて 目覚めて頂戴

 貴女は真実を知るべきよ 愛を知らない創造主では 私たちを救えないから

 そこに待つのは 君に咲く極上の花

 花開くように瞳を開き こちらを見て


 万物は地に平伏し 許しを乞う

 数多の神を統べる 創造主よ

 明日も皆で笑えるよう どうか見守り給え

 その御心で わららを見守り給え

 自愛の創造主は 全てを許し給う


 貴女もまた 貴女を許しなさい

 貴女自身を 愛しなさい

 貴女が愛した彼を 信じなさい」


 ゆったりとした旋律が、正確に駆ける。音も唄も惚れ惚れするほどで、その場にいた全員が酔いしれた。

 そして、窓から夜空を見上げる。

 息を切らせ、挑発するように睨みつけたガーベラは、知らず零れていた涙を拭った。


「……私は唄い続けるわよ。アサギに届くように」

「あぁ、そうだな」


 小さく手を叩くベルーガは、唇を真横に結んでいるトビィを盗み見た。


「未来を諦めるな、活路を開け」


 三人が、同時に開口する。そこには、明確な闘争心が宿っていた。


「私たちの敵は、()()。……いつかきっと、アサギは返してもらうわよ」


 唄は勿論、会話も聞いているであろうモノたちを、ガーベラは挑発する。

 圧倒的な相手は目の前の人間を無視するだろう。

 視界に入らない、いや、存在を認めていないのかもしれない。

 人間は塵ひとひらよりも無力だ。

 アサギに似た娘がトビィに語った真相は、俄かに信じがたいものだった。

 しかし、嘘ではないと心が叫んでいた。

 ほぼ全員、身に覚えがあったのだから。


『アサギの精神を惑わし蝕むモノたちが存在する。創造主を容易く手のひらで転がすことが出来るのだから、お前たち人間など赤子の手をひねるようなもの。アサギを救いたいのであれば、奴らの呪縛から解き放たねばならない。私にはできなかった、だが、そなたらに賭けてみようと思う。……未来を諦めるな、活路を開け』


 その正体は、宇宙に浮かぶ数多の惑星。

 今、この足元にある天体も、敵だ。

 天体がなければ、人間は存在できない。それほどまでに強大な相手と対峙することになる。

 惑星(まどわすもの)は宇宙の創造主であるアサギを取り戻すために、人間の精神を揺さぶって傀儡として動かし、彼女を追い詰めたという。

 どうあっても人間には混ざれない異物だと、信じ込ませたのだ。

 

『魔が差した』


 という言葉がある。

 その魔が指すものこそ、惑星。

 それは悪意あるもの、つまりは悪神。

 トランシスの誘惑を決意した際、ガーベラの耳元で聞こえた声の正体が、それだ。冷静になればそれは非道徳的だと気づける思考も、自分に似た声が肯定するのでつい甘えて動いてしまった。

 それこそ、惑星たちの思う壺。

 心が弱い者に付け入り揺さぶるという汚い常套手段で、アサギに関わる存在を翻弄し、いつの時代でも追い詰めた。

 ミシアが狂ったのも、惑星が原因だという。

 その証拠に、アサギが消えてからミシアは自我を取り戻した。今は過去の自分の行いを恥じ、償いのためアリナと共に動いている。

 そして無論、トランシスの言動が二転三転していたのも惑星の影響だという。アサギが宇宙を去ることになった元凶ゆえ常に張り付き、彼の心を侵食していたらしい。

 だが、ミシアと違ってトランシスは精神を病んだままだ。彼の場合、アサギを失った衝撃から心を壊しているとも考えられる。

 近況を聞いてしまうと駆け付けたい衝動に襲われるので、ガーベラは極力耳に入れないようにしていた。愛しているのではない、憐れだから情けをかけているのだと言い聞かせて。

 

「アサギの願いは、トランシスが幸せであること。トランシスの幸せは、アサギと共にいること! 気づきなさい、アサギ。貴女は愛する男を不幸のどん底に突き落としたのよっ」


 勢いで弦を弾くと、数本が切れた。

 まるでアサギに届けさせまいと惑星が邪魔をしているように思え、ガーベラの顔が引きつる。


「修理に出して頂戴。私は毎日唄うわ、アサギのために。そのために唄と結婚したのよ」


 わなわなと震えながら息巻いて、神官に竪琴を渡す。

 

「私は強欲だから。唄と結婚して終わりの人生なんて、望んでいない」

「強かで美しい女になったな、アサギの次の次の次くらいに」


 揶揄うようにトビィに言われたが、瞳は笑っていなかった。


「アサギが話していた通り、君の背には明るい大輪の花が咲いているようだ」


 ベルーガが多きく頷き、珍しく穏やかな笑みを見せた。


「誰にだって、花は咲いている。種類は違うけれど、みんな素敵な花よ」


 朗らかに笑うガーベラは、成り行きとはいえ娼婦から歌姫と呼ばれ聖女になった自分を誇っている。


「いいこと、アサギ。人間はね、生を謳歌し楽しんだもの勝ちなのよ。知らない貴女に教えてあげたい。だからまた、逢いましょう」


 宇宙の創造主であるアサギを受け入れる覚悟が、ガーベラにはあった。それは、他者を慈しむことができる尊い感情だ。

 何より、どんな逆境においても柔軟に対応できた彼女だからこそ、アサギは惹かれたのかもしれない。


 これにて、ガーベラの物語は閉幕。

 聖女として不慣れながらも敢闘する彼女は、この先も困難に立ち向かっていく。

 ただ、傍には仮初とはいえ夫のベルーガや、悪友のようなトビィ、親友のアリナを始め、多くの仲間たちがいる。

 だから、唄い続け、皆の心に花を咲かせた。

 一人ではないのだ。

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