■茶番劇
心臓が口から飛び出しそうなほど、身体が圧迫されている。
震える両手を握り締めて走っていると、近くで悲鳴が上がった。
壁の一部が吹き飛び、飛散した瓦礫が身体にぶつかる。慌てて腕で顔を隠し、立ち込める砂煙を見やった。
瞳に埃が入り、痛い。
異物を流すための涙が湧き出て、視界が滲む。
「御逃げください、聖女ガーベラ!」
そんな中、切羽詰まった声が耳に届いた。
逃げろと言われても、何から。そして、何処へ行けと。焦ったガーベラは、後退って様子を窺った。
「あぁ、いた」
鈴の音を転がすような声と共に、煙が雲のように湧き上がる。
四方から一斉に水をかけられたような陰鬱さに、ガーベラの全身が痛いほど粟立った。
「捜したよ、聖女ガーベラ」
「貴女……!」
煙が一気に消し飛び、黄緑色の髪を揺らしながら娘が現れる。
惑星チュザーレで出遭った、アサギに似た美しい娘だ。
ただ近寄ってくるだけなのに、威圧感に耐えかね膝から崩れ落ちる。全身を小刻みに震わせ、ガーベラは目の前の娘を睨みつけた。
「ガーベラ様!」
「みんな、ガーベラ様を御守しろっ!」
天界人たちが武器を構えて近寄ってくるが、まるで綿毛のように吹き飛ばされる。アサギに似た娘は、微動だしていないというのに。
悲鳴を上げて地面に叩きつけられた彼らを見るガーベラの顔は、死人のように青白い。どう足搔いても、勝てるわけがないと悟っていた。
「よかったな、願いが叶って」
「……え?」
溜息交じりにそう告げられ、ガーベラは顔を上げた。憐憫のまなざしを送られていることに気づき、狼狽える。
『願いが叶って』
彼女が言わんとすることが分からず、瞳を泳がせる。ジャリジャリと小石を踏みつける音が響き渡り、着実に近づく華奢な脚を見やった。
「ガーベラ様! 御逃げください!」
「おのれ、ガーベラ様に手を出すな!」
満身創痍ながらも、天界人たちはこちらに駆けつけようと必死だった。腹ばいになり、じわじわと向かっている。
しかし、どうにもならないのだ。力の差は歴然としている。
娘は鬼のような形相をしている天界人を一瞥し、ガーベラに視線を戻した。
「よかったな、アサギと立場が逆転して。憧れていただろう? 私は知っている」
無感情の声が、余計恐ろしい。馬鹿にするでも憐れむでもなく淡々と告げられ、固唾を飲む。
ガーベラは、娘の言いたいことにようやく気づいた。
気づいたが、怖々と首を横に振って否定する。
「ち、ちが、私は」
「違う? 望んでいただろう、アサギに成り代わりたいと。お前はずっと、アサギを羨望していた。ほら、見えるだろう」
巨体の男に思える強い力で腕を掴まれ、炯々とした瞳でこちらに向かっている天界人たちと対面させられる。
「あぁ、ガーベラ様っ!」
「ガーベラ様、今行きますっ!」
「おのれ、破壊の姫君めっ。か弱き聖女を狙うとは、なんたる外道」
彼らが敵視しているのは、元勇者。
彼らが守ろうとしているのは、元娼婦。
「現実を理解したか? 『アサギは誰からも愛され、守られている。それなのに、私は独りきり。羨ましい、妬ましい、どうして私だけ』……お前はいつもそう言っていたが、どうだ? 皆に愛され守られ、満足したか」
平坦な声だが、ガーベラの心を抉るには十分だった。
数年前、確かに何もかも持っている恵まれたアサギに嫉妬していた。
しかし、それは過去のことなのだ。
若さゆえの過ちで片づけられないかもしれないが、そんな劣等感は消えた。アサギにしてしまったことは反省しているし、以前のように会話したいと思っている。
今は微塵も思っていない。
「……貴女、顏は綺麗だけど意地悪ね」
精一杯の皮肉を込めて告げると、娘が若干嗤った気がした。どのみち殺されるのならば反論してやろうと、開き直って見上げる。
「これはな、アサギからの餞別だ。素直に受け取ってやれ」
硝子細工のような瞳と視線が交差し、ガーベラは委縮した。言葉の意味を考えたくても、上手くまとまらない。
「あれは、甘い。お前がしたことに対し、文句一つ言わなかった。お前を心から尊敬し、信頼していたからな。だから、代わりに私が糾弾してやろう」
丁寧ながら尖った声に、ガーベラの身体が強張る。
「最初に断っておくが、アサギと違い、私はお前が好きではない。恋人がいる男を寝取るのは自由だが、少々やり方が汚かったな。素直に伝えればよかったのだ。『アサギを愛していることは知っている。けれども、貴方を愛してしまった』、それだけのことだったろう?」
「ッ」
過去のことを蒸し返され、身体中に針が突き刺さったように痛い。
後悔したところで、覆せない事実。しかし、ガーベラには不思議な安堵感に満たされていた。
アサギに似た声と顔の娘に失態を指摘されたことで、罪が軽くなった気がしたのだ。本人に責めて欲しいのに、彼女は微笑んで許すばかりだった。悪いのはこちらなのに、結局大人しく身を引いた。
それが理解出来なくて、苦しんだ時もあった。
「……そうね、貴女の言うことは何も間違っていない、正しいわ。あの時はどうかしていた」
素直に認めると、娘が鼻で嗤う。
「そうだな、どうかしていたのだろう。私はそれを知っているとも。劣等感に押し潰され、肯定する声に唆され、アサギを陥れることで自分を持ち上げた。お前は知っていたからな、そうでもしなければあの馬鹿男を奪えないことを。実に賢い」
反論出来ず、地面に爪を立てる。悔しさから、唇を噛んだ。
それ程までにあの男に狂い、執着し、欲していた。今となっては、愛という言葉が合っていたのかも分からないが。
「とはいえ、強欲なお前が嫌いではない。それこそ、人間が生きるための力。理解されなくても、否定的でも、人間は強い感情を持つからこそ生に執着出来る。素晴らしい事だと思う」
沈思していると、飄々と告げる娘の言葉に目が飛び出るほど驚いた。とはいえ、理解していると言わんばかりの口ぶりに嫌悪感を示す。
「……生き汚い女で悪かったわね」
「そう言うな、強かでいいじゃないか。その点はアサギより好きだが」
ガーベラは大きく顔を顰めた。
一体、この娘は何なのか。
アサギではない、そして、アサギの味方でもないような気がする。彼女の口ぶりが、どうにも謎なのだ。
「おや、なかなか頑張るな。余程聖女ガーベラがお気に召したらしい」
のっぺりとした声につられて見やると、天界人たちが諦めずにこちらに向かっている。本気で助けようとしているのだ。
「私は大丈夫だから、来ないで!」
それは、ガーベラの本心だった。
この娘が何者か分からないが、自分を傷つけることはしないと勘づいた。殺したいのならば、とっくに殺しているだろう。
この娘には、その力がある。
「なんと健気な……!」
「ガーベラ様、少々お待ちください!」
とはいえ、娘へ怒りの矛先を向けている天界人には分かってもらえない。これ以上被害を拡大したくないのだが、真意は届かない。
「アサギより、余程慕われている。あやつらを懐柔するとは見事」
時折言葉に毒が含まれている気がするが、攻撃的でもない。意を決し、ガーベラは問い詰めることにした。
「人聞きの悪いことを言わないで。単に唄を気に入ってもらえただけよ。……それより、貴女は一体何なの? 何がしたいの? 世界を壊したいのなら、すぐに出来るでしょう? だから、目的は別にあるのよね」
精一杯凄んで告げると、娘はようやく愉快そうに笑った。
足の震えが治まってきたので、トビィから受け取った小剣を杖代わりにして立ち上がる。よろけながら睨みつけると、また笑った。
娘の視線は、小剣に注がれている。
「きちんと所持していたようだな、利口だ」
「茶化さないで」
声を張り上げると、娘の顔から笑みが消えた。そして、片手を横に振るう。
刃のような風が発生し、伏せっていた天界人たちに直撃した。ぽーんと宙に投げ出された彼らは、鈍い音と共に地面に沈む。
「あぁっ! な、なんてことをっ!」
悲鳴と苦痛の叫びが一帯を埋め尽くし、唖然とする。
だが、この状況下でガーベラは無我夢中で唄った。唄には癒しの効果があるので、彼らを救いたい一心だった。自分に出来ることは、それしかない。
共に戦う覚悟を決めた時から、立場を理解している。泣く暇など、ないのだ。
全員の耳に届くよう、喉が裂けるほど声を張り上げた。
「ガーベラ様、我らのことは気にせずっ」
「御逃げくださいっ」
この一部始終を傍観していた娘は、口角を上げて唄に耳を澄ませている。
剣を胸に抱き唄うガーベラは、確信したので専念していた。
この娘の目的は、やはり殺戮ではないと。歌い手の命を奪えば全滅は容易いだろうに、しないのだから。
観客のように、唄に聴き入っている。
「おお、流石聖女様! 傷が塞がって……!」
嬉々として立ち上がる天界人らを見やり、ガーベラは胸を撫で下ろした。自分の能力が想像以上に高いことを知り、自信がついた気がする。
「……ふっ」
曇りなく笑った娘は、すっかり油断していたガーベラに近寄った。その手には、いつの間にやら鞭が握られている。
所々に薔薇の花が咲いている、不思議な武器だった。
その姿が瞳に入ると、ガーベラの喉が鳴る。
先程と打って変わり、娘の全身は鋭利な刃物のように刺々しい。それが殺意だと気づき、慌てて小剣を引き抜いた。
しかし、恐れもせずに娘は近寄る。
小剣の扱いなど知らないガーベラは、震える手で剣先を娘に向けていた。
「聖女の力、あまりにも疎ましい! ガーベラよ、そなたを真っ先に始末することにする」
「ガーベラ様!」
まるでこの場を括目せよと叫ぶ娘に、天界人らが絶望の悲鳴を上げた。
ガーベラも、殺されると覚悟した。それほどまでに、娘は怒りに満ちている。
「こ、来ないでっ」
娘の真意を読み違えたと落胆したガーベラが、唖然と掠れた声を漏らした。
「……ぇ?」
トスンと音がして、娘の心臓に小剣が突き刺さった。
遅れて、生温かい鮮血が、剣を伝って手に辿り着く。
ぬるりとした感覚に、身の毛がよだつ。
刺してしまった、しかし、刺したのではない。
娘は、剣先目掛けて自ら飛び込んで来たのだ。
しかし、天界人たちにはそれが見えなかった。
「聖女様!」
「聖女様が仕留めたぞ!」
傍から見たら、そうなるだろう。
「ち、ちが、ちがぅ」
舌を噛みながら震えるガーベラは、娘を見た。
血が流れている。
同じ、赤い血だ。
これは、人間の血なのだ。
「な、なに、やって……な、な、なんなの」
「へっきです、痛くないから。ガーベラは優しいですね」
聞こえた声に、皮膚が引き攣る。
甘ったるい声は、紛れもなくアサギの声だった。人を刺してしまった恐ろしさで脳が麻痺しているが、瞳には見知った少女が映っている。
朗らかに微笑む姿は、眩いアサギで間違いない。
「アサギ……! アサギなのね!?」
掠れた声で叫ぶと、娘の瞳が氷のように煌めく。気づいた時には、もう見知らぬ娘に戻っていた。
華奢な身体が離れ、鮮血が飛散する。地面に沁み込む血を見つめながら、ガーベラは立ち尽くした。
「まさかここまでの力を蓄えていたとは、聖女ガーベラ許すまじ。一旦去るが、次は許さぬ。全員揃って息の根を止めてやろう、そなたらの戦力を集結させておくがいいよ」
心臓を押さえながらも、真顔の娘は宙に浮いた。
「まって」
絞り出した声が届いたのか分からないまま、アサギかもしれない娘は消えた。
小剣には、血が滴っている。
心臓を刺してしまった。
アサギかもしれない娘の身体に。
力が抜けて崩れ落ちるガーベラを、全快した天界人が優しく支えた。
「聖女ガーベラの清白さは、破壊の姫君に通用するぞ!」
「聖女ガーベラ、万歳!」
「勝てる、勝てる!」
湧き立つ天界人を尻目に、ガーベラはずっと震えていた。
違うと言っているのに、か細い声は掻き消される。
アサギは、わざと攻撃を受けたのだ。
そして、それを皆に見せつけて引いたのだ。
あたかも、ガーベラが偉業を成し遂げたように仕組んで。
芝居がかった台詞も含め、これは茶番だったと気づいた。
嫌な予感は、ずっとガーベラの胸に渦巻いている。
そして、言葉通り娘は戻ってきた。
二日後、こちらの戦力を一カ所に集めた状態で。




