■謎の美少女
どうして故郷の惑星には、ロクな男がいないのか。惑星クレオでは、一度も危険な目に遭っていないというのに。
自分の運の無さを呪いつつ、ガーベラは鞘から小剣を抜いた。
アリナやアーサー、そして市長の娘グランディーナが街の発展に尽力しても、こういう輩は消えないらしい。
「人違いよ。私は女たちに読み書きを教えている非常勤教師で、娼婦ではない」
ニヤニヤと小馬鹿にした笑みを浮かべ、にじり寄ってくる男を睨む。
幾ら強がっても、暗い穴から無数の腕が伸び、拘束されそうな恐怖を味わった。しかし、以前の自分とは違うのだからと叱咤し、懸命に両足を踏ん張る。
「いいねぇ、女教師か。余計に燃える」
「強制性交罪って、ご存知かしら? 王都から派遣された賢者アーサー様と、市長の娘グランディーナによって定められた刑法よ。このままだと貴方は裁かれる、今なら見逃してあげるから去りなさいっ」
凄んで告げるが、目の前の男には効果がなかった。
「なぁに、アンタが口外しなきゃいいのさ。女教師の身でありながら、行き摺りの男とどうこうあったなど知られたくないだろぅ? 愉しもうぜ」
「残念ね、私は屈しない。ありのままを彼らに話し、地の果てまで貴方を追いつめるわ。他の女性が被害に遭わないようにね」
ここまで言っても、男は怯まなかった。ただの馬鹿なのか、今までも捕まらなかったから自信があるのか。どちらにしろ、他にも多くの女性がこの男の犠牲になったような気がして、怒りが沸々と沸いてくる。
どうやら抵抗するしか道はないと、腹を括った。しかし、手にした小剣はずっしりと重く、これで身を守らねばと思うのに手が震える。
護身術とはいえ、出来れば同じ人間に傷を負わせたくないのが本音だ。
誰だって傷は、痛いのだから。
「アンタが綺麗な女でなければ……見逃したのに。お前が悪いんだよ」
「は?」
綺麗な女だから悪いだなどという身勝手な発言に、ガーベラの瞳が怒りに燃える。
「責任転嫁するな、悪いのはお前だ」
反論しようとすると、鈴を転がしたような声が代弁してくれた。
聞き覚えのある声に、胸がドクンと跳ね上がる。
闇の中から現れた美しい娘に呆気にとられ、ガーベラは思わず小剣を落とした。
「アサギ……?」
黄緑色の明るい髪が、風になびいて揺れていた。幼い顔立ちだが、均整のとれた身体には楚々とした艶やかさがある。身体の線をくっきりと浮かび上がらせる薄布をまとい、真顔で男を見ている。
「なんだぁ、娼婦仲間か? 男を誘うような服を着やがって、それじゃあ犯されても文句は言えな」
「『見目がよいから、娼婦だから、肌を露出しているから、抵抗しなさそうだから』……それらは犯してもよい理由にはならぬ。お前とて身をもって知っているだろう、理不尽だと泣いていたではないか。弱者相手に罪を繰り返す、憐れなモノよ」
アサギにしては口調が淡々としており、冷酷だ。しかも、強い響きに促され、全てを受け入れてしまいそうな危険さがある。
圧迫感に胸を押さえたガーベラは、男ではなく間に入ってくれた女を見つめた。
「うるせぇっ! 女の分際で説教するなっ」
癪に障ったらしく、吼えた男が殴りかかってきた。しかし、突き出した拳は女の手前で止まる。
「どうした、ダニエル。弱者を甚振り、忌まわしい過去を忘れたいのだろう? ならばそうするがよい、私はここから動かぬ」
挑発する女に、ダニエルと呼ばれた男は青筋を浮かべている。顔見知りだったのかと狼狽するガーベラは、どうすることも出来ず双方を見やった。
涼しい顔をしているアサギに似た女は、微動だせずに突っ立っている。
反して、ダニエルは顔から脂汗を滴らせていた。どう見ても、蛇に睨まれた蛙そのもの。
何が起きているのか分からず目を凝らしたガーベラは喉の奥で悲鳴を上げ、腰を抜かして座り込んだ。
闇の中で蠢く謎の物体が、ダニエルの身体を縛りつけている。半透明のそれは海に漂うクラゲのようで、それでいて植物の蔦を連想させる。
「娼婦だった母が客との間にもうけてしまった、忌み子。夜な夜な相手を探し、僅かな金と引き換えに身体を売っていた母は、食事すら与えてくれなかった。物心ついたお前は『女であれば客をとらせ、金稼ぎの道具にできたのに』と幾度も罵られた」
抑揚のない声で話す女に、ダニエルは大きく顔を歪める。
ガーベラは震えながら、固唾を飲んで二人を見守ることしか出来なかった。彼女が話しているのは、ダニエルの過去らしい。彼に比べたら自分は恵まれていたのだと、改めて実感する。
「ある日、家とは呼べぬ場所で蹲っていると、母の客がやって来た。それは最近母と良い雰囲気の、たまに菓子を与えてくれる感じの良い男だった。しかし、母が不在と分かると、容赦なくお前を犯した。酔っていた男は、お前を母の代わりにしたのだ」
当時を思い出したダニエルが絶叫すると同時に、彼に絡まっていた触手が蠢く。
「男であれ、幼ければ身体は女のように華奢で、顔立ちも愛らしい。お前は母の好い男に、性欲のはけ口にされた。男は悦んでいたな、最初からお前狙いだったかもしれぬ」
触手がダニエルの身体を蹂躙する様子に、ガーベラは何が起きているのか分からず混乱する。ただ、男が泣き叫んでいて気の毒だと思った。
「犯されている最中に母は帰宅したが、息子のお前を助けるどころか、自分の男に色目を使ったと殴りかかってきた。母に絶望したお前は、傷ついた心と身体で命からがら逃げ出した。そうして、どうにかここまで生きてきた。……さて、この触手はお前のように体格の良い男が好物だ。細身であれば見逃したが、育ってしまったお前が悪いな」
平坦な声が、逆に恐怖を掻き立てる。
男は必死にやめてくれと泣き叫んでいるが、女は瞳を細めて見つめるだけだった。
「この世は不条理に満ちている。か弱い女を犯そうとしたお前が悪いのか、育てられぬと分かっていて産んだ母が悪いのか、子供に手を出した男が悪いのか。ダニエル、お前は誰が悪いと思う? こうなったのは、誰のせいだと思う? 言うてみよ」
触手によって逆さ吊りにされているダニエルは、泡を吹いている。地獄に落とされ拷問を受けているような光景に耐えられず、ガーベラは立ち上がった。
「やめて、アサギ! 流石にこれはやり過ぎよっ」
「……? アサギ?」
にこりともせずにこちらを見た女に、ガーベラが蒼褪める。確かにアサギに似ているが、何かが違う。発せられる威圧に負け、恐怖から数歩後退した。
「ガーベラ、お前には私がアサギに見えるか?」
名を呼ばれたが、背筋が凍りついた。アサギに似た声だが、やはり何かが違うと直感する。
「貴女はアサギに似ているけれどっ! アサギはそんなことをしない、その男は強姦魔かもしれないけれど、彼女であれば優しく説き伏せる」
恐怖を感じ、どもりながらも本心を叫んだ。
「だろうな、アサギは人間に甘いから。しかし、知っているか? アサギは私より凶悪だ、気をつけろ」
女が気怠く髪をかき上げ視線を流すと、宙に浮いていたダニエルが地面に降りてきた。
芋虫のように蠢いている彼に駆け寄ったガーベラは、子供のように怯えている姿に思わず手を握り締める。
「ガーベラ、甘い。その男がお前を襲わぬ保証はないぞ」
「で、でも。気の毒だわ、こんなに震え、泣いている……」
自分は聖者ではないので、これは偽善かもしれないし、低俗な同情だろう。それでもガーベラは、背中を擦ってやった。
黙って見ていた女は、先程と同じように感情が見えない声で問う。
「なぁ、ガーベラはどう思う? この男の分岐点は、何処だったと思う?」
「え?」
近づいてきた女を訝り、ガーベラは見上げた。全てを悟った顔つきで不思議なことを問われ、狼狽する。
「娼婦だった母の腹に宿った時点で、この男の運命は決まっていたのだろうか」