勇者たちの、今
『それは、生きているの?』
危うく口走りそうになったので、手で塞いだ。
身体中の骨が軋むほど震えていたガーベラは、血走った瞳でアサギを凝視する。自分のことを『人間ではない』と言い切った彼女を思い出し、喉を鳴らした。
確かに今の彼女は、人間に思えなかった。
生気がない、その言葉が妙にしっくりくる。人形と言われたら納得し、畏怖するほど美しい。
トランシスの嗚咽を聞きながら、茫然と眺め続ける。頭の中が痺れていて、目の前の現実が認識出来なかった。
それからのことは、あまり憶えていない。
アリナやトビィにアサギのことを訊ねても、悲しそうに首を横に振るだけで何も分からなかった。
トランシスは自分の惑星に帰ったらしく、もうずっと姿を見ていない。
そして、勇者たちの姿も館から消えた。
まるで、彼らは最初からいなかったような雰囲気だった。
館は常に静まり返っており、すぐに蜘蛛が巣を張ってしまう。ガーベラ以外に、人の出入りがほぼないのだ。
ガランとした場所だが、解体されることも、用途が変わることもなく佇んでいる。
まるで、彼らを忘れまいとするように。
『魔王を倒し、世界に平和をもたらした幼い勇者たち』
ガーベラですら、子供が喜ぶ物語の中に入り込んでいた気さえしていた。
しかし、彼らと話したことは現実で、きちんと記憶している。
だから、覚えた文字を使って彼らの童話を書くことにした。
絵は描けなかったが、それを読んでくれた教会に通う少女が挿絵をつけてくれた。
唄同様、物珍しさから童話の人気も徐々に広まっていった。
「ガーベラ様、勇者様のお話を聞かせて」
教会に来る子供たちにせがまれ、ガーベラは自作の話を語る。
「昔昔、あるところに。お姫様のように愛らしいのに、とても強い勇者の女の子がいました」
「えー、変なの! 勇者様は、男だよ? 女じゃ勇者になれないよ」
「いいえ、その勇者は女の子でした。勇者とは『勇気ある者』のこと。男女関係ないの、それを忘れないで」
「そうなんだー、僕もなれるかな?」
「勿論よ、いつでも勇気を忘れないでね。……その勇者はとても優しいので、いつも怪我をした人を治すために世界中を旅していました」
「違うよ、勇者様は魔物を倒す人のことだよ」
「いいえ、魔物を倒すだけが勇者ではないのよ。困っている人に救いの手を差し伸べ、その人が生きていけるように力を貸す、立派な人でもあるのです。だからみんなも、助け合って生きていきましょうね」
「そうなんだー! 勇者様は凄い人だね」
「えぇ、そうね。……優しい勇者様のおかげで、世界は平和になりました。勇者の女の子に感謝をしましたが、彼女はもういませんでした。別の場所で泣いている人々を救うために、旅立ったのです」
「勇者様は、ずっと旅をしているの?」
「えぇ。みんなが笑顔で居られる世界のために、今日も何処かで頑張っている。旅は終わらないのよ」
「そうなんだー。じゃあ、この世界に勇者様はいないんだね! 僕たちは楽しく暮らせているから」
「……そうね」
桃色の毬が転がっているような花畑を遠くから見やり、ガーベラは溜息を吐く。
賑やかな子供たちの笑い声が響き、世界は平和そのものだった。
しかし、胸に巣食う不気味な予感がぬぐえない。
世界を喰ってしまいそうなほど巨大な影が近くで息を潜めており、常にこちらを見ているように思うのだ。油断をすると、いつでも襲い掛かってくるような。
そんな時、目の前の平和が酷く空虚なものに思えてしまう。
だから、足元をすくわれそうで怖くもあった。
月光に照らされた海を一瞥し、ガーベラは大きく息を吸い込んだ。
「何もなき宇宙の果て 何かを思い起こさせる……」
海面には、捕まったような天空の星々が光り輝いていた。
こうしてみると、空と海は似ている。どちらも、吸い込まれそうなほど美しく、果てがなくて怖い。
先程まで、アリナと酒を呑んでいた。故郷の元娼婦たちに読み書きを教える授業の補佐をしているのを聞きつけ、立ち寄ってくれたのだ。
アリナは暇を見つけては、女たちに護身術を教えていた。同じ命だというのに、どの世界でも男尊女卑は存在するそうだ。性別で軽視されるなど、あってはならぬこと。しかし、悲しいことにその思想は消えてくれない。だから、女を舐めるなと牙を隠し持つことを勧めている。
「……他人を傷つけるのではなく、護る武器ばかりであればいいのに」
衣服の下から小剣を取り出したガーベラは、そっと鞘から引き抜く。
月の光を受け鈍く輝くそれは、以前トビィから受け取ったものだ。護身用にと言われたが、惑星クレオは平穏そのもので使うことがなかった。
とはいえ、今も御守として肌身離さず所持している。
アリナは小剣の扱いに長けていたので、彼女から突き方を教わったりもした。そこらの女よりは、上手く扱えると思っている。
「ふふっ、元娼婦で小剣を扱うことが出来る歌姫兼作家という肩書を得るなんて、私も捨てたもんじゃないわね」
先程、アリナは精神的にまいっていたのか、人形のようなアサギが戻って来てからのことをポツポツと話してくれた。
今まで、頑なに口を割らなかったのに。
話してくれたことは仲間に入れたようで嬉しいが、綻びのようで多少怖くもあった。
「……ガーベラに負担をかけるだろうから、どうしても言えなかった。先に言うけど、責任を感じる必要はないよ」
優しくも重たい声のあと、アリナは震える唇を開いた。
「神の一存で、勇者たちから記憶を奪ったんだ。だから、この世界は勿論、ボクたちの事も憶えていない」
勇者たちはもともと『チキュウ』の『ニホン』という国にいた、普通の子供たちだった。
惑星クレオに召喚され魔王を倒し、世界に平和をもたらしたが、その記憶全てをクレロが封印したという。
「なぜ」
絞り出した声で問うと、アリナは髪を掻き毟って教えてくれた。
「……アサギを、護るために」
人形と化したアサギを救うためには、それしか方法がなかったという。
勇者になりたいと願いながらもアサギはずっと地球にいて、『ショウガッコウ』という学び舎で友人たちと過ごしていた。そう思わせることで、辛く苦しい記憶を消したのだと。
「待って、つまりアサギは、トランシスのことも憶えていないの!?」
「あぁ。そして、アサギを含めた勇者たちとは、もう二度と会うことはない。ボクたちは、赤の他人だ。いや、存在すら知らない」
涙ぐんだ声で鼻をすすったアリナに、ガーベラは打ちのめされた。言いたいことは山ほどあるが、最初に脳裏を過ったのはやはり彼のことだった。
「トランシスやトビィが、よく了承したわね……」
唖然として呟くと、アリナが苦笑し吐き捨てる。
「トランシスは駄々をこねていたけど、元はといえば全ての発端は奴だ。トビィが説得した、『アサギを本当に愛しているのなら、彼女の平穏を願え』と」
アサギたち勇者の功績は大きい。
しかし、それを差し引いても慣れ親しんだ仲間との離別は想像を絶するものだったろう。語っているアリナとて、苦渋の決断だったに違いない。勇者たちに意を表し、全員が断腸の思いで受け入れたのだ。
「あの子たちには、もう、会えない……」
「あぁ。寂しいだろ」
「寂しくて、悲しいわ。お別れを、言いたかった」
「呼ばなくて、ごめんな」
アリナが、静かに泣いていた。
ガーベラも、一緒に泣いた。
二度ほどトビィを見かけたが、気丈に振る舞っていたのか彼からは哀愁を感じなかったことを思い出す。しかし、その心はズタズタに切り裂かれていたのだろう。
海からやってくる重く湿った空気に鼻を鳴らし、唄う気になれないガーベラは踵を返した。
今夜はもう遅いので、学校の宿舎で眠る予定だ。
海岸沿いの夜道を歩いていると、長く伸びた影に気づく。月が明るくなければ、見過ごしていただろう。
屈強のよい男が、酒を呑みながら歩いていた。
気にせず通り過ぎようとするが、夜の男は今でも恐ろしい。以前幾度も暴行を受けた記憶は、時間が経っても心に深い傷を刻んでいる。
平静を装って男から離れるように歩みを進めるが、近寄られて鳥肌が立つ。
「アンタ、娼婦ガーベラだな? 知ってるぜ、船乗りの俺には手が出せない高嶺の花だった。最後に見たのは随分と昔だが、今も綺麗だなぁ。枯れていない」
酒の臭いが伝わるような赤い声で、男はニヤリと嗤った。