久し振りの故郷
横恋慕する前の自分を取り戻したガーベラは、以前と同じようにアリナ、そしてマダーニと酒を呑み交わすことが増えた。
日中は教会を手伝い、夜になると館で掃除に励んでいる。
同じことの繰り返しだが、楽しいと思えた。唄えばすっきりするし、やはり恋をするより忙しなく身体を動かしていたほうが性に合っていると悟る。
しかし、館での食事作りは格段に減っていた。人がいないので、作る必要がないのだ。
皆、消えたアサギを捜索している。
アリナが近況報告をしてくれるが、何の手がかりもなく進展はないらしい。
アサギが消えてから、すでに二十日以上が経過している。
「……そう。アサギのことだから無事だろうけど、無茶してそうで怖いわ」
「あぁ、アサギは何でも一人で出来てしまう。だから目が離せない、頼ることを知らないから」
悔しそうにアリナが俯いたので、その背を撫でる。
「…………」
あれ以来、トランシスの姿は見ていない。彼もトビィと共に捜索しているはずだが、元気でやっているか気になった。
何しろ、生ける屍であったのだから。
とはいえ、アリナに訊く勇気が出ずに沈黙する。
今も彼を想っているのかと訊かれたら、首を横に振るだろう。しかし、友人として身を案じているのは確かだった。
だからこそ、彼がアサギを連れて戻ることに期待をしている。
二人を祝福したいこの気持ちは、嘘ではない。
激務だろうに、様子見がてら呑みに来てくれるアリナと別れ、自室に戻ったガーベラは手を擦って温めた。
今も変わらぬ白い街並みを見つめ、薄く微笑む。
「もしこの場所で二人が暮らすのであれば、……私は別の街へ引っ越すわ」
恋仲に戻って欲しいが、アサギと違って好いた男が別の女と居るところを見るなどごめんだ。
「私は、アサギほど強くもないし、お人好しでもないから」
呟きながら、簡単に荷物をまとめる。
時間に余裕が出来たので、惑星チュザーレの港町カーツに顔を出すことを決めたのだ。娼婦だった負い目から、戻ろうとは思わなかったのに。
しかし現実を受け入れ、それも含めて自分なのだと前を見る。
故郷を離れてから、様々なことがあった。叱られることを覚悟の上で、全て話すつもりだった。
多少怯えながら会いに行くと、予想に反し彼女たちは笑顔で迎え入れてくれた。
持参した少し苦いが身体によい茶を淹れ、机を囲む。
「来るのが遅いわよ、ガーベラ。二度と戻らないのかと焦った」
「ご、ごめんなさい。その、実は……。私、本当に泥棒猫になってしまったの」
「え?」
「何から話せばいいのかしら……まず」
腹を括って開口したガーベラに、彼女たちは何も言わなかった。ただ、親身になって話を聞いてくれた。
街を出てすぐ、名も知らぬ男たちに「元娼婦だから」という理不尽な理由で犯されたこと。
何処へ行っても男につきまとわれ、そのたびに性行為を強要されたこと。
自暴自棄になっていた頃、トビィが助けてくれたこと。
彼とアサギの計らいで別の惑星で移動し、歌姫として成功を収めたこと。
その裏で、命の恩人であるアサギの恋人を寝取ってしまったこと。
嫌われる覚悟で、洗い浚い全てを話した。彼女たちは沈黙していたが、長い溜息を吐いた後、「どうしてその時相談に来てくれなかったの?」と寂しそうに告げた。
アリナと同じことを言われ、ガーベラはハッとする。
「苦しかったでしょ、誰にも言えなくて。嬉々として奪ったわけじゃない、ガーベラも悩んだんでしょ。……そういう時、頼って欲しかったなぁ」
エミィとニキは「辛かったね」と、背を撫でてくれた。
ガーベラの瞳から、涙が溢れ出す。
ここにも、信頼できる友達はいた。
それなのに、色々と上手くいかなくてやさぐれた。
最初から一人ではなかったと、嫌というほど思い知る。身勝手な自分が恥ずかしくて、顏が真っ赤に染まった。
「ごめんなさいっ」
「謝る相手は私たちじゃない、アサギちゃんでしょ? 早く帰ってくるといいね」
からりと晴れた空のような気持ちで、ガーベラは頷いた。
人間は無力だが、他人と意思疎通を図り、解決策を見出すことが出来る生き物だ。
「友達って、本当に素敵ね」
アサギに深く詫びながら、泣いてそう告げる。
後日、互いに「会いたい」とせがむので、アリナとマダーニをニキとエミィに引き合わせた。
彼女たちは意気投合し、五人で酒を呑み交わす。娼婦だと知っても、アリナもマダーニも馬鹿にしなかった。そこらいる一般市民として、普通に扱ってくれた。
偏見を持たないアリナたちは、すぐに受け入れられたのだ。
「しかし、大変な職業だ。生きていくためとはいえ、君たちは好き好んで男の相手をしているのかい?」
「いいえ、仕方なく。でも、教養がない女には働き口がないから。文字が読めないから、他の街で働くことも出来ない」
考え込み、知的な光を瞳に宿したアリナにガーベラは見惚れた。普段は飄々としているが、考え込むと厳格な雰囲気を醸し出す彼女は、いつだって心強い。
「乗りかかった船だ、この街の市長に会う段取りをつけよう。アーサーが来たことがあるんだろ、奴にも協力してもらうさ」
呆気にとられる娼婦たちをよそに、気づいたガーベラが立ち上がる。
「彼女たちに、職を与えてくれるのね!?」
「あぁ。だが、最低限の知識は必要だ。だから、娼婦や貧困民が通える学校をまず作りたい。女が男から性的搾取される時代は、もう古いよ」
「私も手伝うわ、頑張るから何でも言って」
「勿論だ、期待しているよ」
娼婦だったことを理由にガーベラが暴行されたことは、アリナも聞いている。罰するべきはその男たちだが、何処にでも話の通じない輩は存在するものだ。
彼女たちを守りたい一心だった。
後日、市長の娘グランディーナが賛同してくれたこともあり、この街は大きく動き出す。
未来は、明るい。
ただ、一方でガーベラは酷く不安だった。
「嫌だわ、どうしてこんなにも悍ましく思うのかしら」
幸せに向かって円滑に動き出すほどに、身体が震える。
「アサギ……」
そう、アサギ。
旅立つ前のアサギを、ガーベラだけが知っている。穏やかな笑みを浮かべた彼女が、あまりにも恐ろしかった。
全ての不幸を背負って旅立った気がして、怖いのだ。
この幸せが、アサギの不幸の上にあるようで。
何より、誰しもが幸福を望んでいるのに、肝心のアサギがそれを拒絶している気がして背筋が凍る。
『私、人間ではないのです』
そう言ったアサギは、死を纏う死神のようだったことを思い出す。
トビィかリョウに相談したくとも、彼らはアサギの捜索でずっと出払っていた。
不安をアリナやマダーニに話すが、「考え込まないで」と諭されるだけ。
天界城に出向きクレロに直談判したが、話を聞いてはくれたものの、何も言ってくれなかった。ただ、ミシアについて教えられた。
堅牢な監獄に入っているが、決して近づいてはならないと。
怯える素振りを見せるクレロに、ガーベラは固唾を飲む。
「……ここは天界城。神であるクレロ様が統治されている、清浄な場所ですよね? それなのに、人間である彼女に何が出来ると」
焦燥感を声に宿して告げると、クレロは険しい顔を見せた。
「確証はないので、鵜呑みにしないでくれ。ミシアは、何かに踊らされている。恐らく、君も彼もそうだった」
疲弊した顔で口を閉ざしたクレロから静かに離れたガーベラは、ミシアの様子が気になった。
だが、『行っては駄目です』とアサギに止められた気がして、慌てて館に戻る。
「駄目よ、やっぱりアサギがいないと不安だわ。どうしたらいいの」
鮮烈な光が消えたことが、心を抉る。
アサギという存在は、知ってしまった以上離れがたい。
そういうものなのだ。
だからこそ、なんとしても彼女を縛りつけておかねばならぬモノが存在する。
アサギが消えてから四十日ほどが経過し、ついに彼女が戻ってきた。
とはいえ、戻ってきたアサギはガーベラが知るアサギではない。
硝子玉のような瞳、表情が変わらない顏。
トビィが抱えているのは、アサギに似せて作られた美しい精巧な人形にしか見えなかった。
トランシスは、発狂しそうなほど慟哭している。