■大事な友達
突然後方から押されたミシアは、受け身をとることが出来なかった。盛大に床に倒れ顔面を強打し、奇声を上げる。
考えるより先に身体が動いたガーベラは、迷うことなく馬乗りになるとミシアの頭を幾度も殴った。
とはいえ非力なので、ポコポコという可愛らしい音が響いている。
「退きなさいよ、ふしだら娼婦っ」
「退かないわっ、アリナを助けてよっ」
「嫌よっ」
全体重をかけてミシアが抵抗しないように押さえつけることが精一杯で、ここからどうすればいいのか分からない。このままではいずれ逆転してしまうと焦るほど、混乱して眩暈がする。
だが、大声で叫んでいたことが幸いした。騒動に気づいた仲間が、駆けつけてくれたのだ。
助かったのだと実感すると、急に身体の力が抜けた。荒い呼吸を繰り返し、ミシアが連行されていくのをぼんやりと見つめる。彼女は始終金切り声を上げており、聞いているこちらの気が狂いそうだった。
「アリ……ナ」
横たわっているアリナに腕を伸ばすと、いつもと同じ明るい光を宿した瞳と目が合う。
「そんな顔するなよ、妙な毒のせいで痺れがとれないだけで元気だから」
飄々と微笑む彼女に、涙が溢れた。
茫然としている間に、誰かが傷口を塞いでくれたらしい。
アリナも無事だった。
「ゥッ、ウッ……。ゥアアアアアアアアンっ!」
熱涙に咽び、堪え切れず大声で泣く。
「泣くなってば。折角綺麗な顔をしているのに、目が腫れるぞ」
力なく呟くアリナの傍へ行くため、床を這って近寄った。ボタボタと垂れる涙と鼻水を、律儀なことに衣服で拭きながら進む。
「ゥッ、ウウッ」
傷口が塞がれているとはいえ、アリナの腹部には流血痕があった。見た瞬間に先程の恐怖を思い出し、弾かれたように手を添える。
アリナが来てくれなかったら、間違いなくミシアに殺されていただろう。アサギには何も出来なかったが、今度こそ恩人に報いたいと願い、懸命に腹部を擦る。
ぼんやりとした光が、まるで泡のように出現する。浮いては消えていくその光を、じっと見つめていた。
「すごい、……急に身体が楽になった」
血色の良い顔でにっこりと笑うアリナを見つめ、ガーベラは苦笑する。偶然とはいえ、自分が何か出来たようで嬉しかった。
「ガーベラは治癒魔法を使うことが出来たんだね、ボク知らなかったよ」
そんなもの使えないわよ、そう言いたいのに涙が止まらないので声が出ない。力なく首を振ると、アリナがそっと肩に触れてきた。
「ほら、ミシアに刺されたのに出血が止まっている。自分で治したんだ、すごいことだ」
「……ゥ、」
違う、と首を横に振る。
だが、そういえば先程自分で治したような気もしてきた。
唖然として両手を見つめると、アサギの声が聞こえたことを思い出す。
……アサギが助けてくれたみたい!
そう言いたいが、えずくことしか出来ない。
「ありがとう、ガーベラ。機転を利かせ体当たりをしてくれて助かった」
柔らかく微笑むアリナに、大慌てて首を横に振る。礼を言うのは自分だと、焦って両手を振りまわした。
「少し落ち着きなよ、ゆっくり息を吸って……吐いて。もう少し続けて。吸って、いち、にー、さん、し、吐いて、いち、にー、さん、し」
背を撫でられ、正常な呼吸へ導かれる。激しく脈打つ心臓が鎮まり、溢れていた涙が止まってきた。
「そう、もう大丈夫だ」
「あ……」
あやすように頭を撫でられたので、恥ずかしかったが思い切ってアリナに抱きついた。
男とは違う、しなやかな感触と甘い匂いに胸の奥がキュッと締め付けられる。
二人は、無事を確かめ合うように強く抱擁した。
「頑張ったね、ガーベラ。様子を見に来てよかったよ、まさかミシアに襲われているとは思わなかったけど」
「来てくれてありがとう……、死を覚悟したわ」
「危なかったね、でも、もう大丈夫だから。ミシアは天界城で投獄されるし」
疲弊しているのを察したアリナは、詳細は元気になったら話すと言ってくれた。きちんと気遣ってくれる彼女に胸が震え、再び泣きそうになってしまう。
「アリナが王子様に見えたわ」
「えっ、嬉しいなぁ。このまま付き合う? ボクに恋人はいないし、誰もが羨む優良物件だよ」
「駄目よ、アリナには棒がないもの」
「棒?」
きょとんとしたアリナに、ガーベラは思い切り吹き出す。悪戯っぽく微笑むと、察したらしくにんまりと口角を上げた。
「……言うねー。確かにボクには棒がないけど、そんなものなくてもガーベラを絶頂させてあげるのに」
「考えておくわ」
一瞬見つめ合った二人は、同時に吹き出すと笑い転げる。
彼女たちの顔は、こんなことがあったというのに晴れ晴れとしていた。
その日は、アリナの自宅で眠ることになった。
ガーベラは遠慮したが、室内には鮮血が飛び散っている。確かに、ここで眠るのは怖いし嫌だ。
だが、彼女はディアス市長の娘だ。品の良い迎賓室へ通され、慣れない場所に慌ててしまう。
「世界の歌姫なんだから、堂々としなよ」
「や、止めてよ。普通の女だから……」
部屋の隅で丸くなっているガーベラを笑い飛ばし、アリナは浴室へ案内する。傷口を確かめる為共に入浴したが、二人の肌には傷跡がなかった。
まじまじと見つめ合うと、二人揃って顔を真っ赤にする。
「胸、でっかっ!」
「な、何よ、アリナだって大きいでしょ」
「そうかなぁ? それにしても、いやー、よかった! ガーベラの絹のような肌が美しいままで」
女同士で入浴をする機会がなかったので気恥ずかしいが、不安がらないようにアリナが傍にいてくれるのだと思うと嬉しく思える。
十分に身体が温まると、大きな寝台で二人で横になった。
気持ちが昂ってなかなか眠れないので、ポツポツとガーベラは身の上話を始める。
「隠していてごめんなさい、ミシアが言った通り、私は」
「人間、誰だって隠し事くらいあるさ。ボクは気にしないよ」
「ありがとう……。嫌われるのが恐ろしくて言えなかった」
「そんなことで嫌いにならないよ、心外だなぁ」
娼婦だった自分が嫌で偽ってきたが、アリナやマダーニは心が広い。知っていたはずなのに、負い目が勝って逃げてしまった。
「もう、おやすみ。安心して眠るといいよ、ボクが隣にいるから」
「うん、うん……ありがとう」
「だって、友達だもの」
「うん……ともだち」
ギュッと手を握られると、安心する。
トランシスの時には得られなかった温もりが、ここにはあった。
瞳を閉じていると、自然と身体が重くなっていく。
「ありがとう、私の大事な友達」