アサギの加護
振り返ったミシアの向こうに、瞳を血走らせたアリナが立っている。
まさか来てくれるとは思わず、胸が震えた。しかし、名を呼びたいのに、恐怖で縮まった喉からは嗚咽しか出ない。
「おいこらミシア、何やってんだ」
「ガーベラの正体が判明したから、汚らわしくて……つい」
噛みつくような声を出したが、ミシアは普段通りの湿った声で返答した。怪訝に顔を顰めたアリナは、殴りかかろうとしていた腕を下ろして一歩踏み出す。
「正体?」
「えぇ。ガーベラは歌姫ではなく、娼婦ですって。汚らわしい」
髪をかき上げ淡々と告げるミシアに、ガーベラは肝を潰した。最悪の形でアリナに知られてしまった。自分の口から、彼女に伝えたかったのに。
胸を刺されたように項垂れているガーベラをよそに、ミシアは芝居めいた口調で続ける。
「私たちは魔王を倒した勇者一行、人々を光へ導く栄光の集団。それなのに、性的不品行な女が館にいることが知れたら……どうなることか。追い出すべきだわ」
勝ち誇ったように微笑んだミシアは、さりげなくガーベラを一瞥した。酷く落胆している様子に、鼻で哂う。
しかし、アリナは指をポキポキと鳴らして首を傾げた。
「それで?」
煽情的な声に、ミシアの瞳が尖る。
「それで、って……。娼婦は私たちの仲間として不相応」
「へぇ? 例えばガーベラが娼婦としてこの館に来て男を食い散らかし、全員を骨抜きにしたのであれば……不相応かも。でも、彼女がしたことはトランシスに惚れたことだけ。それ以外は実に真面目で、信頼も厚い」
ポキ、ポキ。
アリナはずっと指を鳴らし続けている。その音が、大詰めを予感させた。
「不相応なのはお前だろ、ミシア」
「は? 何を言って」
ミシアにしては、歯切れが悪い。ガーベラからは見えないが、引きつったその顔をアリナが捉えている。
「ガーベラが娼婦だから殴ったというならば……ボクはお前を殴ろう」
ヒュッと風を切る音がして、アリナの拳がミシアの顔面手前で止まった。
風圧に気圧され、ミシアの顔が蒼褪める。
「なっ……! さ、流石筋肉馬鹿には話が通用しないわねっ、どうして私が殴られなきゃいけないのよっ」
「仲間を侮辱したからに決まっているだろ、そんなことも分からないのか?」
距離を縮めるアリナは、ミシア目掛けて再び拳を放つ。だが、すんでのところで止まった。
「ヒッ!」
「娼婦ガーベラは人を殺したのかなぁ? それよりも船員を誑かし淫行に耽ったり、トビィと親しい美女を殺めたりする奴のほうがよっぽど性悪だろ? そう思わないか、死霊使いのミシアさんよ?」
アリナが何を言っているのか分からず、ガーベラは唖然として睨み合う二人を見比べた。あの狡猾なミシアが、たじろいでいる。痛いところを突かれたらしい。
「な、何を言っているのかしら?」
「忘れているのなら思い出させてやろう。あれはアサギが魔王ハイに攫われ、彼女を救うべく船旅をしていた時のことだ。トビィに寄り添っていた美女を殺害した後、お前は船員の一人を誘惑し、その豊満な身体で虜にした。生真面目だった彼だが、仕事をさぼり始めた。……街で待つ恋人を忘れるほど、お前に夢中になったらしい」
「言いがかりだわ、知らないもの」
そっぽを向くミシアの手首を掴み、アリナが一歩前に進み出る。
「そして彼を操り、ボクを殺そうとした。誤算だったろ、トビィがボクを助けてくれたから。……あの時からずっと、ボクとクラフトはお前を疑っていた。今回、クレロに頼んでお前の過去を覗き見てもらったよ。言い逃れは出来ない、全て白日の下に曝された」
「は、はぁ!? 何を言って」
「証拠はクレロが持っているし、マダーニも、トビィも真実を知った。その胸に手を添え、自分がしでかした事実を思い出せ。な? どうしたって犯罪者だろ? それに、お前が調合する妙な秘薬は危険なものだ、よって、天界城に幽閉されることになる。人間界では手に負えないから。気の毒だ、その狡猾さを別の方向へ使えばよかったのに」
「な、」
みっともないほど狼狽しているミシアを唖然と見やり、ガーベラはよろめきながら立ち上がった。
過去になにをやらかしたのか知らないが、ミシアが危険な人物だということはガーベラも重々承知している。ついに引導を渡されたらしい。
頭の中で糸がこんがらがっているのか、ミシアは喘ぐ事しか出来なかった。
「投獄前に、ガーベラに謝罪しろ」
咎めるような厳しい瞳で吼えるアリナに、ミシアは身体を小刻みに震わせた。真後ろでそれを見ていたガーベラは、彼女が素直に頭を下げるとは思えず、注意深く背中を見つめる。
ふと、握られていた右の手が不可解な動きをしたことに気づく。
「だ、まれ。だまれぇぇぇぇっ!」
殺意が溢れる声で叫んだミシアの右手が、アリナをかすめる。
接近戦を得意とするアリナと、弓と魔法を得意とするミシアでは、肉弾戦で有利なのはどちらか明確だった。
しかし、難なく避けたはずのアリナが口元を押さえてよろめき、ガクリと片膝をつく。
「アリナ!?」
焦ったガーベラが見たものは、ミシアの指輪から突き出ている細い針だった。見た瞬間脳が危険な物だと判断し、身体中を冷たい血液が駆け巡る。
「残念ね、アリナ」
たかが針でアリナが倒れるはずがないことは、ガーベラにも分かる。つまり、特殊な針だ。
衣服をまくり上げ太腿を露わにしたミシアは、そこに隠し持っていた小剣を嬉々として手にした。
「ぅふん。よかったわぁ、馬鹿にも毒が効いて。大型の魔物でも痺れる量だもの、平然としていたら化け物よね」
饒舌をふるうミシアは腕を振り上げ、容赦なく振り下ろした。
ガーベラの悲鳴が室内に響き、刃物が床に突き刺さる。間一髪で避けたアリナだが、太腿には血が滲んでいた。毒のせいで、俊敏に動けないのだ。
「弱っている獲物をいたぶるのって、どうしてこんなにも愉快なのかしらぁっ! 子宮が疼くわねっ」
陶酔したミシアは、身体を大きく震わせ天井を仰ぐ。
こんなことをしても罪が重くなるだけだというのに、開き直っているのか考えなしなのか、再び小剣を構えた。
「やめて! 私の友達を傷つけないでっ」
恐怖から足が竦んでいたが、アリナの危機にガーベラの身体が動いた。死に物狂いでミシアに飛びつくと、腕を引っ掻く。
「いったいわねっ! 傷がついたらどうすんのよっ、トビィが嫌がるでしょっ!」
「貴女に傷がついてもトビィは気にしないわっ、いい加減現実を見なさいっ! トビィが愛しているのはアサギであって、貴女じゃないのっ!」
「黙れっ」
肩に深く突き刺さった小剣は、鋭い熱となってガーベラの身体を駆け巡った。
産まれて初めての、死を予感する痛みだった。
「アアーッ!」
「ガーベラッ!」
絶叫し、霞む瞳で助けようともがくアリナを見つめる。
だが、耳障りな声を上げたミシアは容赦なく小剣をアリナの腹部に突き刺した。
このままでは、二人共死んでしまう。
もし、アサギであれば。
簡単にミシアを捕縛し、アリナの傷を治すだろう。
朦朧とする意識の中で、ガーベラはアサギを思い描いた。だが、彼女は何処かへ行ってしまってここにはいない。
来てくれない。
……助けて、アサギ。
紫色の唇が、その名を呼ぶように動いた。
……貴女が使っていた治癒の力を、今だけでいいから貸して頂戴。
でなければ、助けに来てくれたアリナに申し訳が立たないのだ。それに、友達に自分の過去を話していない、娼婦仲間にも会いに行きたい。
まだ、生きたい。
『ガーベラには癒すことが出来ます』
アサギの声が耳元で聞こえ、痛む傷口からじんわりと痛みが消えていく。
無意識に触れていた自分の肩を唖然と見つめたガーベラは、動ける自分に気づいて我に返ると、ふんぞり返っているミシアを突き飛ばす。