過去の告白
慄然とするガーベラの目の前で、ミシアは瞳を光らせている。
「親友の私を置いて帰るなんて、酷いわぁ」
音もなく近寄られ、息苦しいほどの圧を感じた。だが、ガーベラは拳に力を籠めて睨みつける。
「勝手に入ってこないで。私は疲れているの」
「ぁらん、冷たい」
「そもそも、貴女は私の親友じゃないわ」
本心を告げると、ミシアは瞳を丸くした。だが、ややあってから蔑むように嗤い出す。
「大口を叩くようになったわね。愚かで孤独なガーベラに、優しい私が手を差し伸べたのよ? 何が不服なの?」
「親友になりたい人は、自分で選ぶわ。無断で入室する人はご免よ」
「ガーベラは、頭から相手にされないでしょう? 選んだところで、相手に拒否されるわよ」
「それならば、御縁がなかったということ。親友に巡り合うまで、一人で静かに暮らす」
暗闇の中で、バチバチと火花が散る。
「いいのかしら、私に歯向かって」
脅迫するようにねちっこい視線を送るミシアに、ガーベラはつい吹き出してしまった。眉間に皺を寄せる彼女に、唇を濡らして開口する。
「歯向かう、なんて言葉が出る時点で親友ではないのよ。親友とは真摯に向き合い、心を許せる友のこと。関係は対等であるべきだわ。貴女が欲しいのは、言うことを聞く便利な玩具でしょう?」
「今日のガーベラは随分と饒舌ね。トランシスに捨てられ気の毒だから来てあげたのに、傷心で気が触れたのかしら」
「お生憎様、私の心は晴れ晴れとしているわ。ただ、貴女が来たおかげで酷く憂鬱よ。さぁ、もう出ていって」
立ち上がり押し返すと、ミシアに手首を掴まれる。肉が抉られるほど爪を立てられ、顔を顰めた。
「生意気。……アリナたちに親しくされて有頂天になっているようだから、警告してあげる。ガーベラがアサギの情報を持っているから、近づいただけよ。彼女たちは、誰よりもアサギが大事だから。それに気づけないなんて、憐れね。でも、私は違う。心から心配しているわ」
言葉は優しく聞こえるが、心を掌握し、意のままに操ろうとしている。
ガーベラの心は一瞬跳ねたが、深く呼吸をすると若干落ち着いた。澄んだ瞳で、ミシアを見つめる。
「そうね、私よりアサギが大切かも。でもね、彼女たちは私のことも大切に思ってくれている。少なくとも、貴女よりずっと。だから私は、アリナとマダーニの親友になりたい」
「健気なふりをして、涙ぐましいわね」
手首に裂けるような激しい痛みを感じ、脂汗が全身から吹き出した。刺さっているのは爪だというのに、研ぎ澄まされた刃のようだ。
意を決したガーベラは、陰湿な女にも真実を伝えることにした。
「でも……アリナたちが、私を受け入れてくれるかは分からない。私は隠し事をしているから」
「隠し事? なぁに、親友の私が聞いてあげるっ!」
興味津々で瞳を輝かせたミシアは、手を離してくれた。血が吹き出ている手首を隠し、口角を上げる。
「私は、唄うことが好きな元娼婦よ」
瞳を丸くして驚いたミシアは、幾度か瞬きを繰り返し、にんまりと厭らしい笑みを浮かべた。明らかに、弱みを掴んで勝ち誇った顔をしている。
「しょうふ? 娼婦って、売春を職業とする女のことよね? ガーベラは色狂いなの?」
「私は娼館の前に捨てられていたの。運よくそこの主人に拾われ、その場所で育った。疑うこともなく、娼婦になったわ」
静かに伝えるガーベラに身を震わせ、ミシアは口元を押さえる。
「可哀想……! ガーベラの身体は穢れているのね。でも安心して、私は受け入れてあげるわ。だって、唯一無二の親友だもの」
「白々しい同情は不要よ。普通の女として生きることに憧れたこともあったけれど、娼婦は生きるために必要なことだった。今は踏ん切りがついているし、この身体は穢れていない」
「えー……でもぉ、娼婦って不特定多数の男と寝てお金をもらう仕事でしょう? 下賤だわぁ」
下賤、という単語にガーベラの眉がピクリと動く。過去の自分や仲間たちを思うと、今の発言は許しがたいものだ。
「ミシアは処女なの? それとも潔癖症? 確かに私は多くの男に抱かれたけれど、誠心誠意で接してきたわ」
「私は愛する男以外と寝るなんて、まっぴらごめんよ」
「お客様は、私の部屋に来た時点で恋人なの。ただ、性行為に賃金が発生するかしないかの話よ」
「それが異常だわっ! あぁ、まさか私の親友がこんなにも落ちぶれた子だったなんて」
泣く真似をしているミシアを睨みつけ、冷え冷えとした心でガーベラは唇を噛み締めた。
確かに世間的には侮蔑の対象で罪深いものとされがちだが、全娼婦を軽視するのは止めて欲しい。
そもそも、女を買う男がいるから娼婦が産まれ、娼婦という職業があるからこそ生きていられる女がいる。
社会的地位は低いが、悪いのは娼婦ではなく、そんな職業を生み出してしまった社会だ。
「娼婦を差別しないで」
低い声で言い放つと、ミシアが真顔に戻る。
「……ふぅん、まぁいいわ。でもね、今の話を聞いて、俄然ガーベラのことが好きになっちゃった。私って、海のように広い心を持っているからっ」
「好きになられても困るわ。同じ女なのに何も知らないからって、必死に生きる娼婦を馬鹿にする貴女のことが大嫌いよ」
再び、室内の空気が澱む。
「いつからそんなに生意気になったのよ、腹立たしい」
「私は最初からこうよ」
バチンと音がして、頬に熱い痛みが走る。
唖然としていると、反対側の頬にも痛みが走った。
「そうね、ガーベラは昔から顔だけはいいものね。胸も無駄に大きいし、男受けする身体よね」
バチンバチンと、頬を叩く音が大きくなっていく。あまりの激しさに、口内が切れて血の味が充満した。
よろけるが、胸倉を掴まれて平手打ちは続く。
「アンタは、私の言うことを聞いていればいいのよ」
「……そんなの、しんゆうじゃない。どれいだわ」
涙が滲むが、悔しくてどうにか声を出した。血と唾液が撹拌されたものが喉に垂れ、咽る。
「そうよぉ、ガーベラは私の奴隷。喜びなさい、光栄なことなのだから。私はね、色々あって気が立っているの。殺されたくなかったら、空気を読みなさいよ」
「いやよ。わたしは、……すきなものはじぶんでえらぶっ」
唾液と血を飛散させ叫ぶと、顔を顰めたミシアに張り倒された。寝台に沈み、痙攣する手で敷布を掴む。
殺されると思った。
だが、言いたいことは伝えたし、アリナやマダーニとも仲直りが出来たので十分だとも思った。
もともと、アサギが助けにこなければとうにワイバーンに噛まれて死んでいただろうから。
心残りがあるとすれば、アサギがどうなったのかと、アリナとマダーニに隠し事をしたままということだ。
こういう時、アサギであればトビィあたりが助けに来てくれるのだろうと思った。
しかし、以前惑星チュザーレで男に暴行されそうになった時、トビィに助けられたことを思い出す。
……そうだ、私は最初から独りじゃなかった。だからどうにか生きてきたんだ。
ただ、今はトビィやリョウはアサギのために何処かへ出向いているだろう。
王子様は、ここには来ない。
「何やってるんだ、ガーベラから離れろっ!」
諦めかけたガーベラに聞こえたのは、少年のように生一本な声だった。