さようなら、愛した男
挿絵が間に合いませんでした。
そのうち描きます(;´д`)
※待っていてくださる方がいたので、投稿しちゃいました。
右から左へ聞き流していたと思われたトランシスの瞳に、憎悪の光が灯る。
「言いたいことはそれだけか」
低い声と威圧に身体を竦ませたガーベラだが、内心嬉しく思っていた。どんな感情であれ、抜け殻のようなトランシスを動かせたのだから。
彼の紺色の瞳に光が宿り、極上の星空のようだと思った。
やっぱり、綺麗。薄く微笑んだガーベラは、アサギを救うことが出来る者はトランシスであることを確信している。トビィでは、駄目なのだ。
同時に、トランシスを救うことが出来るのもアサギであると分かっている。
「お前がオレの前に現れなければ、こんなことにはならなかったっ」
トランシスは産まれたての小鹿のように力の抜けた足で立ち上がり、倒れ込むようにガーベラにしがみ付いた。
その身体の熱に、心が揺らぐ。
どうしようもない男なのに、こんなにも愛おしい。怨恨の表情を間近で受け止め狼狽するが、負けられないとガーベラは歯を食い縛った。
「本当に最低ね、私のせいにするの? アサギの身体は心地よかったのでしょう? それなのに一時の気まぐれで私を抱き、後に引けなくなってしまった。気の迷いで私を抱いたとしても、アサギは許してくれた、あの子はそういう子よ。貴方の膨れ上がった虚栄心と戯言がアサギを苦しめた、私のせいじゃないわ。私はそのきっかけを与えただけよ」
「黙れっ!」
逞しかった腕は、朽ちた木の枝のように貧相だった。好きだった二の腕や、色気のある手の甲は見るも無残に萎れている。
吼えて掴みかかったトランシスは、ガーベラの首に手をかけた。これ以上喋るなと言わんばかりの気迫だが、その身体では首を絞める事すら不可能だ。
「おい!」
焦ったトビィが叫ぶが、ガーベラは腕で制する。
トランシスの瞳が自分を捕らえていると知り、高揚感で震えていた。最後の機会だと思った。
ようやく、まともに見てくれた。恋人だった時は見向きもしなかったくせに、皮肉なものだ。
「いいわよ、好きになさい。アサギにしたのと同じように、私の首を絞め、殴り、蹴り、剣で突き刺し、心を抉ればいいわ。でもね、私はあの子と違う。抵抗するし、助けを呼ぶわよ」
勝気な瞳で睨み返すと、トランシスは敵意を含む瞳ながらも一歩引いた。首に絡めていた指が離れていく。
「全部教えてあげる。……貴方に抱かれた、最初の日。あの後、すぐにアサギに会いに行ったの。私、正直に話したわ。そうしたら、何て言ったと思う? あの子ね、『トランシスの口から聞くまで信じない』って言ったの。貴方の吐き出した液体も匂いも染みついた私の身体に、すぐに気づいてたのにね。何があったのか察し、恋しい男の匂いを漂わせる私をじっと見てた。でもね」
情けなく微笑んだガーベラが、泣きそうになる。
血走った瞳で睨み殺す勢いのトランシスが、急にしおらしくなる。
「アサギはそれでも、貴方を信じてた。目の前に覆せない証拠があるのに」
鼻をすすり、心地よい男の身体を突き飛ばすとその頬を思いっきりひっぱたく。
パァン! と乾いた音が響き、周囲がどよめく。
慣れないことをしたので、掌も手首も、腕全体が痺れる。だが、アサギが受けた痛みに比べればどうということはないと思った。
ふらつきながら尻もちをついたトランシスを見下ろし、仁王立ちになる。
「もう解っているわよね、私が吐いた嘘。アサギは貴方だけを一途に想い続けてた、他の男には微塵もなびかなかったわ。トビィをはじめとして、周囲には素敵な男性が多くいるのにね。でも、貴方以外は目に入らない。……選り取り見取りなのに、勿体ない子」
唾を吐き捨て、崩れ落ちていたトランシスの胸倉を掴み上げる。
「どうして私の言葉を信じたの? どうして愛した女に素直に想いを伝えられないのっ! 狂うほど、アサギを愛しているんでしょうっ!?」
堪え切れず、歯の隙間から声が洩れて号泣する。
「アサギには悪い事をしたわ、でも私も信じてたの。貴方は他の女になびかない……って。とんだ期待外れだった、下衆の極みね。さようなら」
胸を押さえ顔を真っ赤にし、ぐじゃぐじゃになりながら別れの言葉を告げた。拭いても拭いても、涙は止まらない。それでも鼻で笑い、姿勢を正すと芝居を終えた女優のように堂々とその場を立ち去る。
ガーベラは、クレロに向かって歩き出した。
「貴方が本当にアサギを愛していたというのなら、こんなところで拗ねていないで皆と一緒に捜したら? アサギが戻ってきたら、私はこう告げるつもりよ。『トビィかミノルを選びなさい』ってね。間違っても貴方の名前は出さない、出すもんですか!」
これで気力を取り戻さなければ、この男は屍同然。どうしようもない屑である。
失望させないで、と固唾を飲み祈るガーベラは、後方から迫ってくる気配に一瞬振り返った。
「煩い、お前なんか大っ嫌いだ」
真っ直ぐ歩行できない貧弱な脚で、それでもトランシスはガーベラを追い抜いた。
眉の辺りに決意の色を浮かべたその横顔に、ガーベラの胸が高鳴る。その横顔こそ、憧れ続けたもの。真っ直ぐに愛しい者を想う、その心の表れ。
脚を止めてその背中を見送ったガーベラは、力を失いその場に膝から崩れ落ちる。顎が胸につくほど俯き、溢れ出ていた涙が今、ようやく止まった。
「ガーベラも相当意地っ張りね、……本当は愛していた癖に」
優しい声をかけ、肩に柔らかな布をかけてくれたのはマダーニだった。限界がきて、再び涙が洪水のように流れ出す。
「き、嫌いよ、あんな男! い、一度も私の事を見なかった」
「でも、深く愛していたのでしょう?」
頭を撫でてくれるマダーニの笑みに、ガーベラは大きく喉を鳴らした。そして、戸惑いながらもはっきりと本音を口にする。
「私の人生の汚点になりそうなくらいには……愛してた」
蚊の鳴くような声だったが、ようやく包み隠さず本心を吐露する。
堰を切ったように大声で泣き出したガーベラを、マダーニはいつまでも優しく抱き締めた。背中を撫で、泣き止むまで、泣き止んでも、支え続ける。
「恋って、恐ろしいものだからこそ……得られた時の感動が大きいのね。それを知っているガーベラ、貴女も苦しかったね」
そう、苦しかった。
でも、愛していた。