金の花、蕾隠す若葉
【注意】
ムーンライトノベルズ及び別サイトで『DESTINY』本編をお読みの方へ。
ここから先、最終回ネタバレを含みます。
ムーンライトノベルズ(R18版)で最新話まで読んでいる場合
:本編のミスリードに繋がる場合があります。
別サイト(R15版)を読んでいる
:最終回は2024年なので、今読んでも問題ないかと思います。
ただ、特定の人物に警戒するかもしれません。
ポロン、ポロロン……。
今日も心を籠めて音を飛ばす。
だが楽器は正直で、乱れた心で奏でれば音に表れる。震える指が音を飛ばし、思う通りに声も出ない。竪琴を鳴らしていた手が止まり、静かな沈黙が降ってくる。
灰青色におぼめく朝の最初の光が水平線の向こうから訪れると、ガーベラは顔を上げた。喪に服すように静かな今日の波に、薄く微笑む。
海が、いや、大地全てが嘆き悲しんでいるのだろう。
再び、冷えて悴む手で弦を弾き始める。見事な金髪が風になびく、夜でも眩しい髪は人目を惹く。闇夜に咲く花のようだが、満ちては欠ける月の様に儚い。その姿は酷く疲れ果て、哀しみに包まれていた。
男の姿を、今日も見ていない。
理解しているし、それを望んでもいた。
男は、もう何日も愛する少女を捜している。何日も、いや、三十日以上前から、ずっと。
少女の誕生日から今日まで、彼は目の前にいる筈の彼女を探して奔走していた。
彼が求めているのは萎れた金の花ではなく、花の蕾を隠している初々しい緑の若葉だと、ガーベラは知っている。
乾燥で切れた指先を口に含み舐めると、電撃が走ったように痺れた。まじまじと見つめた荒れた手は、自分のものではない気がする。最近、自身を磨くことに時間を費やしていない。彼の為に少しでも見栄えをよくしようと、余念なく励んでいた一時とは雲泥の差だ。
恋心とは、恐怖。
容貌にも精神にも支障をきたす、悪魔の囁きとしか思えない。快楽の後に待ち受けていた奈落は、みっともない自分を丸裸にしてくれた。だが、直視したことで一歩踏み出す勇気も得た。
気高い心は、奥底にまだ残っている。
「どんな花であっても。あの芽には、敵わない」
ガーベラはそう零し、朝陽と共に館へ戻った。
一人きりの、自分の部屋へ。
男が戻る事はないだろう。以前の日常に戻っただけのことで、問題はない。
夢を見ていた。
普通の娘に憧れていた。恋をする前に身体を売ることでしか生きていけなかった自分は、それが多くの娘らと違う事を遅れて知った。ガーベラの世界では、それが普通だったのだから仕方がない。
金で男と寝る。機嫌を取って気に入られ、贔屓にしてもらう。上玉を目利きし、通わせる事が出来れば待遇は上がっていく。
学校で勤勉に励み、他の生徒らと成績を競い合うのと同じ感覚で、ガーベラは女を磨いた。成績が優秀であれば、金という男が得られるのだ。
あの頃は、恋という不確かな感情を持つこと自体が、未知のものだった。
しかし、娼婦仲間にも恋に身を投じる者がいた。駆け落ちする娘とて、幾人か見てきた。その度に冷めた瞳で見送ったが、今なら酷く解る。
恋とは、後先考えずに衝動で行動してしまう危険な感情なのだと。
身なり正しい紳士が本物かどうか見分ける事は出来ても、自分に合う男がどうか見極める目をガーベラは持っていなかった。
最初から間違っていた。他の女を見つめていた男の瞳に焦がれた時点で、失敗だった。
あの瞳に見つめられたら、あの腕に抱かれたら、あの男に愛されたら。その男が違う相手を同じように愛する保障など、どこにもないのに。
個々性格が違う人間だ、組み込まれた動きをする機械ではない。相手が違えば、対応も変わる。清楚な娘も、男が変われば皮を破る。不真面目な青年も、女が変われば心の限りを尽くす。
性を扱う職業についたガーベラは、醜悪な色恋沙汰も見てきた。
そんな中で、美しい理想の愛を貫く二人を羨望し、焦がれ、試した。失望しつつも何処かで歓喜し、結局自嘲する。
命の恩人であるアサギを馬鹿だとも思うし、けれども尊いとも思う。あんな男より他に良い男は多々いるのに、盲目の恋に溺れている姿は滑稽だ。けれども、自分が為しえない強い想いを胸に秘めている彼女が羨ましいのだと認める
誰の事も悪く言わない強さは、何処からくるのか。部屋に戻ったガーベラは、冷え切った空気に身を震わせ毛布に包まった。
「私にも、そんな相手がいるのかしら。トランシスの事は確かに素敵だと思うけれど、一生想う相手にしては……お粗末ね。結ばれなくてもよいから、尊敬できる男に惚れてみたいわ。こういうのを“恋に恋する”っていうのかしら」
当分男は懲り懲りだ、と前髪をかき上げる。
「私は、何も変わっていない」
ふと思った。
あの日、トランシスを誘惑していなければ、どうなっていたのだろうと。二人は今でも仲睦まじく寄り添っているのだろうか。それとも、自分ではない誰かが横槍をして結局崩れたのだろうか。
きっかけなどなくても、嫉妬と独占欲の塊であるトランシスが自滅した可能性もある。
それでも解っていることは、どんな状況下でもアサギはトランシスを愛しているということだ。ガーベラはそう信じている。
館へ戻ると、妙に騒がしい。
何事だろうと突っ立っていると、マダーニに腕を掴まれた。酷く青ざめた様子に、ガーベラは喉を鳴らす。
「来て。トランシスちゃんが倒れて、天界城へ運ばれた」
目を見開いたが、ややあってから首を横に振る。自分が行ったところで、どうにもならないと知っていた。しかし、物凄い剣幕で怒鳴られる。
「無関係だなんて言わせない、来なさい」
「マダーニ、私は……!」
有無を言わさず強い力で引き摺られ、久し振りに天界城へ出向いた。
そういえば、最近ここで唄っていない。アサギが消えたあの日から、足を運ぶのが怖くなっていた。