責務
数日ぶりに館でトビィを見かけた。
身体中から放たれる異様なまでの色気に、顔を引きつらせ話しかける。
「アサギといいことがあったみたいね」
「さぁ?」
鎌をかけてみたものの、トビィは鼻で笑うだけだった。面白くなくて、唇を尖らせる。
「トランシスの報告、してもいいかしら?」
「あぁ、どうぞ」
こちらを見ずにニヤつく彼に苛立ちつつ、約束通り報告する。
「私の部屋を出て行かない、愛する女はアサギだと言ったのに。最近は不気味なほど大人しいわ、アサギを見たら変貌するかもしれないけど。……早い話、邪魔なの。引き取って欲しい」
「邪魔、か。一度は愛した男だろ、お前の愛とやらは所詮その程度か」
「未練がましいのは嫌いなの、潔く諦めた。だって、彼の瞳に私は映っていない」
「最初にそう伝えたろ」
「恋の沼にはまって、もがいていたのよ。どうせなら、確実に救って欲しかった」
「正気に戻るように、頭を殴ればよかったか?」
「そうね。でも、痛いのは嫌」
「随分太々しいな……。ところで、情にほだされるのは勝手だが、アイツはお前が追い出せ。ひっかきまわしたのなら、責任を持って当然だろ」
「……分かっているわよ」
懲り懲りだと肩を竦め、深い溜息を吐いた。
トランシスは、まだガーベラの部屋にいる。
だが、会話もなく過ごしていた。食事を用意していないので、共に食べることはない。彼を気にせず、普段通り教会に出向いている。
憐れな男だから情けをかけて置いてやっている、そう思うと心が軽くなった。
吹っ切れたからなのか、いつしか唄えるようにもなっていた。やはり神は二つも望みを叶えてくれないのだと苦笑し、それでも戻ってきた来た唄を慈しむ。
「道端で 綺麗な鳥に出会った
それは番の鳥で 二羽は仲良く囀った
とても美しくて 傍に置いておきたいと思った
ある日一羽でいたので つい連れ帰った
愛らしい声で 鳴いてくれると思っていた
鳥はずっと 鳥籠の中にいた
開いているのに 出て行かなかった
窓も開けておいたのに そこで蹲っていた
離れた番を想い 鳥は衰弱した
だから 外へ放り投げた
番の鳥は 一羽でいるだろうか
また二羽で 囀るだろうか
連れ帰ったことを後悔し 私は唄う
鳥といるのは楽しくて そんな日々が続けばと思ったけれど
鳥の居場所は ここではない
さようなら、綺麗な紫銀の鳥」
子供たちに出来上がったばかりの唄を披露する。久し振りの唄に、彼らはとても喜んでくれた。
その笑顔を見て、やはり自分は唄を選ぶ運命だったのだと思い知らされた。彼らは真摯に耳を傾け、嘘偽りなく褒めてくれる。こんなにも幸せな場所にいられることが、誇らしい。
欲しかったものは最初から持っていたのに、一瞬でも手放したことを後悔する。
「愛し愛されたい……。そうね、私は唄とそういう関係でいたいわ。もう二度と、間違えない」
声を張り上げて唄っていると、人々が集まってきた。皆は口々に「歌姫だ!」と歓声を上げ、拍手をくれる。
今まで溜まっていた分、ガーベラは声を張り上げた。そういえば、トランシスは一度も唄って欲しいと言わなかった。いつか、唄を聞かせて欲しいと言わせたい。彼の心を動かせるほど、もっと上手くなりたいと思った。
……でも、絶対に唄ってあげない。
哀愁が混じるその声は、人々の心を激しく揺さぶった。子供には分からなかったが、大人たちはガーベラが辛い恋を終えたのだと痛感し、その破れた情熱に涙する。
それは、地球の暦で二月十三日のこと。
教会へ行く予定だったガーベラは、トランシスとアサギが廊下で話していることに気づいた。
アサギは凪がない海のように、どこまでも穏やかだった。
いつもの調子で怒るトランシスは、その優しい空気に気圧されているようにも見えた。
二人が、よりを戻すのかもしれない。ガーベラはそう思った。
運命の恋人であるのならば、自然と戻る。自分という邪魔が入っても、取り除いて結ばれるのだろうと。
アサギの愛は何処までも偉大で、あの捻くれた男の心も包み込むと思っていた。
ただ、アサギの声の調子を聞いていると、どうにも不安になる。なにが、と聞かれると困るが秘めた決意を隠している気がした。
ずっと彼女を羨望の眼差しを向けてきたので、気づけたのかもしれない。
暫くして廊下を覗くと、二人の姿はなかった。
不安に思い教会に出掛けたものの、どうにも焦燥感に駆られてしまって手につかないので、早々に帰宅する。誰かに相談すべきか悩んでいると、トランシスが戻って来る。
「おかえりなさい」
久し振りに声をかけると、トランシスは頷いただけだった。アサギと何を話していたのか聞こうとしたが、身体中に虫が這うような気色悪い感覚に、気づいたら走り出していた。
嫌な予感がする。悍ましいものが這い寄って来るので、逃げるように彼女を捜した。
向かった先は天界城で、唄って欲しいと話しかけてくる天界人をすり抜ける。光栄だが、今は煩わしい。
丁重に断りながら進むと、次第に見向きもされなくなった。
こちらを見ることも、話しかけることもなく、天界人は人形のように立っている。
背筋が凍るほどに、不気味だった。彼らの瞳は、硝子玉のようだった。
弾む息で走り続けると、通路の先にアサギが佇んでいた。今にも遠くへ行きそうなほど、儚い空気を醸し出している。
「何処へ行くの?」
だから、思わずそう訊いたのだ。
まさかいると思わなかったのか、それとも待っていたのか。アサギは少しだけ瞳を丸くして、微笑んだ。
「解りません。でも、誰にも気づかれないところへ」
諄々と掻き口説くつもりのガーベラだったが、朗らかに笑うアサギに全てを悟った。自分が出る幕などないと。遣る瀬無く項垂れ、縋るような声を出す。
「決めてしまったの? ……止めても無駄?」
「私から言えることは『お幸せに』それだけです。本当にすみませんでした、私が邪魔をしてしまって。だから、責任を取って消えたいのです」
「本気でそう思っている?」
返答は決まっているだろうが、ガーベラは救いを求め尋ねた。もしアサギが少しでも躊躇いを見せたならば、決死の覚悟で止めるつもりだった。
だが、アサギはきっぱりと断言する。
「はい」
その重厚な声に、ガーベラは機に乗じることが出来なかった。ぐだぐたと迷う自分とは反対で、アサギはきちんと決断し、行動に移す。そんなところも、憧れる。
「ガーベラとあの人は間違いなく運命の恋人です、羨ましかった。ガーベラになりたかったです、あの人の愛しむ視線に憧れました。温かみのある光を帯びた大きな瞳、軽く頬を桃色に染め、熟れたさくらんぼのような唇。まるで御伽噺に出てくるお姫様……あの人はガーベラのことをそう言っていました」
そんな歯が浮く口説き文句を言われた記憶がないガーベラは、疑問が雲のごとく沸き起こる。その台詞を言われるとしたらアサギだろう、自分は相応しくないと自嘲する。
「そんなこと……」
「あの人はとても傷ついています、誰よりも愛する人を大切に出来る人なのに、思い通りに動けなかったから。ガーベラには癒すことが出来ます、こんなお願いみっともないですが、どうかよろしくお願いします。お幸せに」
そんなことを言われても無理だと、ガーベラは首を横に振る。アサギはまだ勘違いをしているのだ、誤解を解かねばならない。責務を果たさねばと拳を握る。
「いいえ、私では彼を癒すことができない。トランシスが愛しているのは私じゃない、アサギよ」
「いえ、私ではありません。ガーベラです、私は知っているのです」
子供をあやすように告げるアサギの微笑みは慈愛に満ちており、とても美しい。