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戯れる男

 意を決した声で放ったが、トランシスは不思議そうに首を傾げている。


「それで?」


 相変わらず捉えどころのない男だ、ガーベラは唇を噛み怒りで握った拳を強く握る。


「それで、って……!」

「愛する者としか出掛けてはいけないって、誰が決めたの?」


 怒りに任せて今日こそ言いたいことを告げるつもりで開口したが、先を越された。飄々としながらも真っ直ぐな瞳をしているトランシスに、心がどよめく。


「ご、誤魔化さないで。貴方に振りまわされるのは、もう嫌なのよ。愛しているだなんて、最初から嘘だった。私を隠れ蓑にして、アサギを暴行したかっただけでしょう」

「でも、ガーベラはオレを愛していたんだろ? 嬉しそうだった。自分でオレに振りまわされることを選んだのに、その言い方は酷いなぁ」


 ほくそ笑むトランシスに怒りを覚えたが、彼の言う通り自分から飛び込んだ。否定することが出来ず、悔しくて睨みつける。


「……愛していたのかも、分からない。ただ、アサギの隣にいる貴方を見るのは好きだったと自覚してる」


 とはいえ、肯定するのも腹が立つのでぼかした。この男に惚れたことは過ちだと思う、しかし、確かに心はときめいていた。歪んでいたとはいえ、抱いた熱い感情をなかったことにするなどできない。


「ふぅん。まぁいいや、出掛けよう」

「は? 私の話聞いてた!?」


 こちらは精一杯の強がりを見せたのに、トランシスは普段通りだった。話を聞き流し、腕を捕まれる。


「離してっ! 私は愛する男としか」

「なら、ガーベラはトビィを愛してるってこと?」


 抵抗するが、その言葉に唖然として顔を上げた。喉の奥でつっかえた言葉が出て来なくて、容易く引き摺られ廊下に出る。


「幾度か一緒に出掛けてただろ? トビィがいいなら、オレとも出掛けてよ」

「し、知っていたの……?」


 絞り出すような声を出したが、トランシスは何も言わなかった。浮気を咎められているのか、真実を突きつけられただけなのか。ただ、気づいていたのに止めることも怒ることもせず、無視していた男の感情は読める。想像していた通り、興味がないのだ。

 動揺するガーベラだが、大股で歩く男は気にしていない。


「愛するって、難しいね。想いを伝えるのは、もっと難しい。どうしてだろう、愛し愛されたいだけなのに。ここは()()()()()()()()……オレはそう思う」


 抑揚なく呟く男の顔は見えない。一体、どんな表情で口にしたのだろう。


「ね、ねぇ。何処へ行くの?」


 館を出て突き進むトランシスに、焦って声をかける。だが、返事はない。人混みをすり抜け、一心不乱に歩いていた。

 周囲を見渡しながらすれ違う人々に会釈していると、ようやく彼が立ち止まる。

 

「へー、面白そう。楽しそうだね、ガーベラ」


 トランシスの背後から顔を覗かせたガーベラは、目の前の光景に足が竦んだ。

 真っ先に視線が交差したのは、殺意を籠めてこちらを睨んでいるアリナ。アサギにトビィ、マダーニ、見知った顔が揃っている。


「あっれー、皆さん()()ですねー」


 何がしたいのか気づいたガーベラは、帰ろうと踵を返した。しかし、がっちりと手首を捕まれ離れられない。悲痛な瞳でトランシスを見上げると、残酷なほど優しい笑顔を浮かべていた。

 そのうっとりするほど綺麗な顔が、近づいてくる。


「だめよっ」


 暴れたものの、あっという間に唇を塞がれた。皆の目の前で身体を寄せ合い、深い口づけを交わす。

 トランシスの戯れは、まだ続いている。アサギに見せつけるためだけに、ここへ来たのだ。

 ここが何か、ガーベラも知っている。まだアリナと親しかった頃、地域振興のために計画していることがあると嬉しそうに話していた。それは冬の間だけ開催するもので、街の一角に集めた雪で迷路を作るというものだった。雪かき後邪魔になる雪を利用出来るし、何より雇用が発生する。話題を作って近隣から人を呼び、宿や飲食店、土産屋も活性化させると張り切っていた。

 偶然ではない、恐らくトランシスは彼らが今日ここへ来ることを知っていたのだろう。偽りの睦まじさを見せつけるために、自分はここへ連れて来られたのだと知る。


「離してっ」


 執拗に口づけを繰り返すトランシスを突き飛ばし、ガーベラは唇を拭った。荒い呼吸で睨みつけると、彼は爽やかに微笑んでいる。


「ガーベラは初心だなぁ。人前では出来ないだなんて、可愛い」


 ここまで熱のこもった口づけなど、今までになかった。未練は立ち切ったつもりだったが、魂が抜けそうなほど心がぐらつく。それほど、素敵なものだった。

 滲む瞳をカッと見開くと、アリナたちが迷路へ入っていくところだった。アサギの姿はトビィが隠しているので見えないが、泣いているのだろう。

 誤解されても仕方がない、傍から見たら睦み合う二人だ。ただ、関係はとっくに破綻している。


「……もういいでしょう、帰るわ」

「駄目だよ、ガーベラ。寒い中ここまで来たんだ、遊ぼう」


 互いの唾液でべっとりとした唇を手首で擦り、怒りを露わにする。これ以上彼の思い通りに動くことがまっぴらで帰ろうとしたが、がっしりと掴まれ離れられない。


「こんなことをして、何が楽しいの!? 誰も得しない、いい加減分かってよ」

「オレは楽しい」

「どうしてよ、貴方が愛しているのはアサギでしょう!? こんなことを繰り返したら、彼女の心は余計に離れるのよ!?」

「最初から、離れてただろ?」


 ゾッとするような瞳で言われ、ガーベラは俯いた。

 言わねばならない、全て嘘だと。アサギはトランシスしか見ておらず、他の男に見向きもしなかったと告げねばならない。虚言をまき散らした後始末は、きちんと行うべきだ。

 しかし、刺すような瞳で目の前に立っている男が恐ろしく、声が出なかった。


「オレは、数多の男と同じになりたくない。何が何でもオレを印象づけ、縛りつける」


 それは、助けを乞うように憐れな声だった。 

 この時、ようやくトランシスの本心に気づく。愛情を持って接したが失敗したので、暴力でアサギを痛めつけ、その激しい愛情を分からせようとしているのだと。


「そ、そんなことをしても無駄よ」

「無駄かどうかはオレが決める」


 あまりにも不毛で愚かなトランシスの行動を止めようとしたが、この男は他人の言うことを聞かない。


「愛とは、与えるもの。受け入れるかどうかは、相手が決めるのよ」

「あぁそうだ、愛とは与えるもの。だが、どんな手を使ってでも、その愛を受け入れてもらいたい」

「だからっ! それじゃ駄目なんだってばっ」


 軽々と担がれたガーベラは、力任せにトランシスを叩いた。しかし、彼は迷路に入っていく。そうして、アサギたちを見かけるたびに深い口づけを繰り返した。止めてと叫んでも唇を塞がれ、それ以上何も言えない。

 彼らから見たら脇目もふらず愛し合う二人なのだろう、真実は違うのに。自分も周囲も傷つけるほどの激情に、トランシスの理性は崩壊している。

 白く固められた雪の迷路は、この場にいる全員の心を凍てつかせた。


「清々した? 上手くいくとは到底思えないけれど」

「黙れ」


 迷路を出て項垂れていると、近くの土産屋で買い物をしているアサギとトビィがいた。ぼぅっとして、二人を見つめる。

 アサギに髪飾りや耳飾りを勧めるトビィの表情は、どこまでも柔らかい。あんな瞳で見守られたら普通は恋に落ちるだろうと、自嘲する。それでも彼女は、最低な男を選ぶのだ。

 理解出来ない。


「どう見ても、あちらのほうが正当な恋人同士ね」


 気が緩み、率直に思ったことを口走った。慌てて口を塞ぐが、トランシスに聞こえていた。


「……黙れよ」


 嫌味で言ったのではないが、激昂している。血走った瞳で再び腕を捕まれ、同じ土産屋に近寄った。


「もういいでしょう、帰るわよっ」

「いいじゃん、折角だ」


 引き攣った笑みを浮かべる進むトランシスは、土産屋にあった花の髪飾りを手に取った。


「ほらガーベラ、とても似合う」

「だ、だから私は……」

「よし、これも買おう、あれも」


 様々な物を手に取っているが、トランシスの声は震えている。

 余裕が出来たことで、ガーベラは彼の心情を少しだけ読めるようになった。洗練された様子でアサギを先導するトビィに、劣等感を抱いている。彼と同じ、いや優位に立っていると思わせたくて、必死に取り繕っている。

 蠅のように鬱陶しく彷徨うトランシスとガーベラに、トビィの怒りは頂点に達していた。アサギを連れ、店を出ようとする。


「別の店へ行こう。何が欲しい?」

「わ、私は……欲しい物がないのです。大丈夫です」


 遠慮するアサギは、気が気でないに違いない。ぎこちなく微笑む姿が痛々しくて、ガーベラは唇を噛んだ。本当ならば、迷路ではしゃいでいただろうに。


「買ってやるって言ってんだから、遠慮なく選べばいいのに。卑屈で可愛くない女」


 大きな声で、トランシスが吐き捨てる。

 どうして余計なことを言うのか。一気に腹が立って、ガーベラは思い切り足を踏みつける。

 アサギは大きく震えてから、一瞬だけこちらを見た。

 今日、初めて目が合った。

 静かに、穏やかに微笑んだアサギは、トビィに抱き上げられ消えていく。


「満足したでしょう? 私は帰るから、後はご自由に」


 重苦しい溜息を吐いてトランシスを見やると、放心状態で床を見ていた。


「どうしたの?」


 先程とは雰囲気が別人で、大きく肩を揺する。それでもトランシスは動かない。放っておけなくて、仕方なく自室へ連れ帰った。

  

『愛するって、難しいね。想いを伝えるのは、もっと難しい。どうしてだろう、愛し愛されたいだけなのに』


 まだ虚ろな瞳で揺れているトランシスを見やり、先程の台詞を思い出す。


「本当に、難しいわね。誰しもが、愛し愛されたいだけなのにね」


 儚げに苦笑し、自分もこの男と大して変わらないのかもしれないと嘆いた。

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