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怖いの怖いの、飛んでいけ

 つらつらと想いを吐き出したガーベラは、荒い呼吸でトランシスを睨みつける。

 腹の底から声を出したのに、彼は起きない。いや、寝たふりをしているのではと勘ぐった。


「もうっ!」


 むしゃくしゃして、布団に包まっている彼を殴る。幾度も力任せに拳を叩きつけるが、それでも起きない。

 こんな時ですら無視される自分が惨めで、口元を押さえ部屋を飛び出した。

 どうして、この男に惚れてしまったのだろう。

 どうして、アサギを裏切ってしまったのだろう。

 アサギを思うならば、二人に真実を話すべきだ。そうして、自分はここから消えればいい。とても簡単なことなのに、出来ない自分が嫌になる。


「どうし、て……」


 暴走する自分を止めることも、誰かに救いを求めることも出来ずに、館を飛び出し頭を冷やそうとした。


「ガーベラ!? どうしたの!?」


 廊下で声をかけられ、心が跳ね上がる。

 いつ聞いても幼い愛らしさが残る声は、アサギだ。灯りを片手に、こちらへ走って来る。慌てて袖口で涙を拭き取り、不安そうに覗き込んできた彼女の頭を撫でた。


「なんでもないわ。少し……怖い夢を見たの」

「夢?」

「えぇ。一人ぼっちになってしまう夢よ。……とても、寂しかった。ふふ、子供みたいでしょ?」


 誤魔化して微笑むと、アサギは神妙な顔つきでこちらを見つめてきた。澄んだ瞳に、固唾を飲む。


「夢は、時折怖いです。どちらが本当か分からなくなるし、現実で起こるかもと悩んでしまう」


 アサギでもそういうことがあるのだと、少し安堵した。完璧な彼女には、恐れるものなどなにもないと思っていた。


「そうね。楽しい夢なら大歓迎なのにね」

「でも、大丈夫ですよ。()()()にぎゅってしてもらって眠れば、怖い夢なんて見ないです。必ず護ってくれます、ガーベラにとっても優しいもの」


 アサギはそう言って、静かに微笑んだ。

 複雑な心境で、ぎこちなく頷く。恋人を盗られたというのに、アサギは今までと変わらず接してくれる。それがガーベラには理解出来ない。


「そうね……」


 ただ、アサギは間違っている。ガーベラは、トランシスの腕の中で朝を迎えたことがない。気遣ってくれているのは分かるが、残酷な言葉だった。


 ……トランシスは、アサギにだけ優しいのよ。


 ぼぉっとしていると、アサギが思い立ったように片手を胸にかざした。

 

「怖いの怖いの、……飛んでいけ」


 優しく微笑み、他愛のないまじないの言葉をかけてくれる。彼女の片手がパッと開くと、蝋燭の火よりも仄かな光が弾けた気がした。どこまでも御人好しで、人を疑うことを知らない純粋な娘だと思った。

 だからこそトランシスは愛し、手放さないのだろう。愛する女であり、広い心を持つ母でもある。そう痛感すると、寂しがり屋の彼が甘えるのも納得できた。

 母性本能をくすぐる男は、母性が強い女を求めるのだと。


「もしよかったら、食堂にあるお茶を飲んでください。とても美味しかったので、みんなの分も購入しました。香りが優しくて、安眠効果が期待できるそうですよ」

「……ありがとう、アサギ」

「おやすみなさい、ガーベラ」


 アサギは小さくおじぎをすると、自分の部屋へ入っていった。静かに閉まる扉の音を聞きながら、一人きりになった廊下で深い溜息を吐く。


「でもね、アサギ。私は貴女と違って、彼に愛されたことがない。ギュッと抱き締めてもらう感覚も、優しく触れられることも……分からないの」


 再度涙が込み上げてきたガーベラは、その場で嗚咽を漏らした。


「欲しかったものは、こんなものじゃない。私が欲したのは!」


 光溢れるアサギそのものだと、気づく。彼女に成り代わって、トランシスに愛して欲しかった。

 トビィも言っていたが、最初から無謀な願いだ。


「恋なんて大嫌い。思い通りにいかず、苦しむだけだもの。一人の男に縛られて生きていくなんて、もう懲り懲りだわ。……幸せな恋人たちを見て唄うほうが、性に合ってた」


 御伽噺のお姫様のように幸福に満ち足りた幕引きなど、自分には用意されていないと確信する。部屋に戻りたくなかったので、アサギに言われた通り食堂に置いてあった茶をゆっくり淹れて飲む。

 うっすらと林檎のような香りが漂い、心が落ち着いた。両手でカップを包み込むように持つと、身体が温まる。

 些細な事だったが、これだけでガーベラの心は角がとれたように丸くなった。

 とはいえ、自室に戻ることを拒む。

 誰もいない広間に行くと、置いてあった毛布を被って部屋の隅で丸くなる。冷たくだだっ広い部屋が、酷く心地よかった。


 翌日、気まずいが自室に戻ったガーベラは、床でひっくり返っているトランシスに目が点になった。

 寝惚けて寝台から落下したのか、原因は分からないものの顔が真っ青だ。

 

「しっかり! どうしたのよ」


 死んでいるのではと思うほど、全身が氷のように冷たい。焦って口元に手を添えると、脆弱だが呼吸をしていることに気づいた。

 一応、生きている。


「誰か! 誰か来て! 助けて!」


 自分だけではどうすることも出来ず、扉を開いて大声で叫んだ。

 最低な男だが、放置することは出来ない。

 憎いが、死んで欲しいとは思っていない。

 まだ、この卑劣な男を愛している。

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