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自白

 ガーベラの部屋で煙草の煙を眺めていたトビィは、気怠く前髪をかき上げる。


「大した女だ、アイツが戻ってきたらどうする」


 まさかここで情事に及ぶとは思いもしなかった。全裸で煙草を吸っているガーベラを鼻で笑い、羽根のように振る雪を窓から一瞥する。


「どうするもなにも、何も起こらない」

「この状況を見ても?」

「ええ。彼は私に興味がないから」

「随分割り切ったな」

「嫌な男、最初から知っていたくせに」


 数刻前のこと。

 トランシスを追い出し、自室で項垂れていたガーベラは扉を叩く音に飛び起きた。彼が戻ってきたのだと思い、許してやろうかと緊張して出迎えると、立っていたのはトビィだった。

 しかめっ面をしているが、話を聞きに来てくれたと知り、嬉しくなった。リョウとデズデモーナに諭されて来たらしいが、動いてくれただけでありがたい。

 ぽつぽつと不平不満を口にすると、彼は茶化すことなく静かに聞いてくれた。

 彼の為に選んで購入した服を無断で売ったことは、思い返すだけで腸が煮え繰り返る。

 都合よく扱われている自分が嫌だが、彼を手放せないとも嘆いている。

 一緒にいるのにアサギだけを気にしているのが、とても辛い。

 思っていたことを、全てぶちまけた。


「本人には言ったのか。想いを伝えるのは恋人として当然だと思うが?」

「話をしたくても、飄々とかわされる。話を聞いてと怒ると、ヘラヘラして聞き流す。……何故私は、彼を好きになったのかしら」


 真顔で訊ねると、トビィは冷却しきったような顔つきで天井を仰いでいた。呆れて「知るか」と突き放されると思ったのに、何も言わなかった。

 トビィの横顔は、いつ見ても震えるほどに力強く美しい。どうしてこの男に惚れなかったのか、不思議で仕方がない。


「ねぇ。……時間はあるの?」

「多少なら」


 しなだれかかり、寂しさを埋めるように魅力的な男を欲した。トビィは、面倒そうな顔をしたものの、憐れむように応えてくれた。

 恋人よりも濃厚な時間を過ごせて、胸がすく思いだった。


「ディアスの街は、ずっと雪ね。美しい白が、心も清めてくれたらいいのに」


 以前は吸うことを躊躇していたが、最近は唄えないのでずっと煙草を咥えている。空中で互いの煙が絡まっているのを見やり、薄く笑った。


「まるで、さっきまでの私たちみたいね」


 何も言わないトビィに腕を絡ませ、猫なで声を出す。


「私がトビィに惚れていたらよかったのに。人生って、本当に不思議」


 もし、トビィを愛していたのであれば、トランシスとアサギの仲を引き裂くことはなかった。罪悪感に苛まれることもなく、平穏に過ごしていただろう。夢物語を思い描き、そっと瞳を閉じる。

 けれども、酷薄な笑みを浮かべたトビィはその淡い希望を潰す。


「お前は驚くほど前向きだな。同じだ、()()()()()()()。報われない恋だ」

「そうかしら、身体だけの関係を続けられるって幸せだと思うけど?」

「それは互いに恋愛感情がない場合だろ。片方に愛情が生じれば、どのみち辛くなる。オレはアサギ以外に興味がない、アイツと同じだ」

「……それでも、現状より遥かにマシよ。似ているけど違うと思ってる」

「へぇ」


 短くなった煙草を灰皿に押しつけたトビィは、多少は乱れていた衣服を整える。去ろうとする彼を引き止めることは出来ないと、ガーベラはぎこちなく微笑んだ。


「話を聞いてくれてありがとう」


 声をかけるが、彼が振り返ることはなかった。しかし、立ち止まって呟く。


「オレが言わなくても分かるだろ? お前はアイツに惚れたんじゃない、アサギを愛するアイツに惚れ、同じように愛されたいと思った。単に羨ましかっただけだ、奪ったところで同じように愛してもらえる保証などないのにな」


 扉が、乾いた音を立てて閉まる。


「そうね、知ってる。身体だけなら、トビィのほうが好きよ。でもまだ物足りない、嫌なことを忘れさせて欲しいのに」


 流れ出す涙をそのままに、扉を見つめる。男が近くにいる安堵感が欲しくて、火が消えたトビィの煙草を摘み上げると唇に咥えた。

 自分と違う煙草の味は苦くて、盛大に顔を顰める。


「私は、弱くなった。とっても、弱くなってしまった……」


 動く気になれず、裸体のまま毛布に包まり微睡む。


『報われない恋』


 ガーベラの頭にトビィの声が響き渡る。枕に顔を押しつけ、じんわりと浮かぶ涙を必死に堪える。


「そんなこと、知ってるってばっ。でも、どうしようもないのよっ。私が欲しいものは手に入らないっ! 全部すり抜けていくっ」


 目の前が真っ暗になり、騒音が耳に届く。多くの虫が羽ばたいているような、不快な音だった。小さく悲鳴を上げ、寝台から起き上がる。

 身体は休息を求めているが、一人の部屋ではないことを思いついた。トビィには大きなことを言ったが、いざ直面すると足が震えてしまう。


「部屋を……片づけないと」


 トランシスが帰宅する前に。

 トビィがいる時に戻ってきてくれたら心強かったが、一人であるならば隠蔽したい。慌てて窓を開け、煙草の吸殻を捨てる為部屋を出る。香木を焚いて臭いを消し去り、乱れた敷布を元通り綺麗に直す。

 あまりにも寂しくて、やって来たトビィに身体を委ねてしまった。しかし、一応はトランシスが恋人だ。他の男を部屋に連れ込み抱いてもらった、と知られたらどうなるか分からない。

 とはいえ、これはガーベラの賭けだった。

 トランシスが怒るのであれば、僅かでもこちらに傾く感情があると期待できる。

 けれども、無反応だったら。そもそも、帰って来なかったら。

 不安と恐怖を持ち合わせ、自室を片付けたガーベラは何事もなかったように紅茶を飲む。

 食事もせずに待っていると、あまりにも平然として男が戻ってきた。


「ただいまー」

「おかえり、なさい……」


 些か声が震えたが、笑顔で出迎える。


「機嫌は直った?」

「え、えぇ。少しだけ」

「酷いよなぁ、ガーベラ。オレはこの世界で一人きりなのに追い出すなんて」


 唇を尖らせ悪戯っぽく笑うトランシスに、両腕を広げる。すんなり飛び込んできたので、抱き合って口づけた。

 こうしていると、安心できる。トビィとは味わうことができない、幸福な時間だった。

 不意にトランシスは眉を顰め、身体を離した。

 思案している彼に気づき、ガーベラは足が竦んだ。嫌な予感がして盗み見ると、鼻をヒクヒク動かしている。トビィの匂いに気づいたのではないかと気が気ではなく、喉を鳴らす。

 トランシスは問い質すように、じっとガーベラを見つめていた。その瞳が痛くて、生きた心地がしない。耐え切れずに、瞳を逸らす。

 それは僅かな時間だったが、食事が出来るほど長い時間のようでもあった。


「疲れたから、今日はもう寝るね。おやすみ」


 沈黙を破ったトランシスの声は、拍子抜けするほど明るいものだった。

 驚いて顔を上げると、なんら変わらぬ笑顔を浮かべている。呆けるガーベラの横を通り過ぎ寝台に転がると、瞳を閉じる。

 言葉通り、すぐに寝息が聞こえ始める。


「も、もう寝てしまったの……?」


 恐る恐る覗き込み、その凶悪な寝顔を見て一筋の涙を零す。

 見ていると、愛おしいと思う。だが、自分のものではないとも思う。そろそろ潮時だと、ガーベラは気づいていた。


「さっきね、トビィがこの部屋にいたのよ」


 吐き捨てるように呟く。トランシスが起きていて、聞いていればいいのにと思って自白する。


「でも、貴方には関係ないのよね。私が他の男と抱き合っていても、気にしない。私に興味がないものね、()()()()


 泣きながら、床に蹲る。思っていた通り、火傷を負っただけだった。


「私を恋人役に選んだのは、都合がよかったからでしょう? アサギを苦しめるために、彼女の近くにいる人間が必要だった。私は愚かな傀儡、不要になったら棄てるのでしょう? 全部、知っているんだから。……なのに、どうして一緒にいるかって? そんなのっ! ……最低だと分かっているけど、これでも貴方を愛しているのよっ!」

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