■男の本心
嫌悪感を丸出しにしているのに、トランシスは飄々としている。
いつもこうだ、彼は相手の気持ちを考えない身勝手な男なのだ。時折甘い顔をすれば、何もかも許されると思っている。
客観的に見れば、最低だと思う。だが、惚れた者の弱みなのか、恋に溺れているのか、突き放すことが出来ない。
「騒動?」
「とぼけないで。全部見ていたわ、貴方がデズデモーナに手を上げたところを。血を流していた」
「あぁ、あれか」
指摘しても、人を不愉快にさせる笑みを浮かべている。
「オレは被害者だ。濡れ衣を着せられた」
「何があったのよ、彼はとても温厚だわ」
デズデモーナは本来竜で、会話したことはほぼない。ただ、トビィかアサギの傍にいて、常に穏やかに微笑んでいる姿を知っている。彼が理由もなく喧嘩を吹っ掛けるなどありえないのだ、必ず原因がある。
「オレがあの馬鹿女を階段から突き落としたって騒ぐから。否定したら激怒したから、返り討ちにしてやった。そしたらトビィがしゃしゃり出て来て……」
「階段から突き落とした!?」
さりげなく告げた言葉に血の気が引く。怒鳴ると、トランシスは嫌そうに顔を歪めた。
「だから、濡れ衣だって。アイツが倒れていたところに、オレが通りかかっただけ。触れていない」
「……“火の無い所に煙は立たぬ”って知ってる? デズデモーナが言いがかりをつけるなんて、有り得ない」
「ひっどいなぁ、ガーベラまでオレを疑うの? 恋人を信じてよ」
「信じたいけれど、貴方にはアサギを殴った前科がある。それくらいやりかねないわ」
「殴ってない」
会話をしていると、徐々に腹が立ってきた。恋人だが、何を考えているのか全く分からない。問い質すように睨みつけるが、トランシスは唇を尖らせるばかりでそれ以上何も言わなかった。
ガーベラは、それを肯定ととった。
僅かばかりの沈黙の後、吹っ切るように男に訊ねる。恐ろしくて、声が震える。だが、これ以上誤魔化されるのは嫌だった。
「ねぇ、私のこと愛してる?」
心を探るように、凝視する。
「あぁ、愛してる」
間入れず戻ってきた返答は優しい声色だったが、顏には人の心を凍らせるような嘲笑が浮かんでいた。
悵然とし、深い溜息を吐く。心には、哀しさを追いだした怒りが満ちた。
「約束したわよね? 『私を愛しているのなら、今後一切アサギには近づかない』と。覚えている?」
「うん、覚えてるよ? それが何か?」
「近づいているじゃないのっ! 約束を破っていること、分かるでしょうっ!?」
悲痛に叫ぶガーベラだが、トランシスは大きな欠伸をして壁にもたれた。会話が面倒だというように頭をかき、肩を竦めている。
ガーベラの脳は、鉛の棒で掻き混ぜられているようだった。発狂してしまいたいほどの憎悪に苛まれ、端正な顔を歪めるとしわがれた声を出す。
「それとも……私のことを愛していないから、近づいてもいいと? 最初から、貴方との約束なんて無意味だった?」
トランシスは否定せず、喉の奥で嗤った。瞳が合った途端に、口角をにんまりと上げる。
『今頃気づいたの?』
そう言われたような気がして、顔が燃えるほど熱くなったガーベラは部屋を飛び出した。本心をようやく突きつけられた気がする。口先のうまい男だ、『愛している』の言葉など薄っぺらなものだろう。
感情がなくても言えるのだ。
「トビィ! 今晩暇かしら!?」
床の板が外れるのでは、という勢いで館を走りまわったガーベラは、トビィの部屋からアサギの部屋、食堂から広間へ行き、遂に目当ての男を見つけた。
広間には数人がいたが、般若のごとき表情のガーベラをぎょっとして見つめる。清楚で高貴な雰囲気は微塵もなく、結い上げた髪が乱れ、眼の下にはクマが出来ている。それでもなりふり構っていられない。
足を踏み鳴らし爪を噛む姿に、げんなりとしてトビィが項垂れた。
「呑みたいのならトランシスと行け、お前の恋人だろう。そもそも、お前がアイツを野放しにしているせいで、こちらは害を被っている」
トビィの瞳が、ちらりとデズデモーナを見た。縮こまっている彼は、瞳を伏せている。
「その件で相談に乗って欲しいのよっ! いつものことだけど、手に負えないのっ」
金切声を上げると、リョウが驚いて身体を跳ね上がらせた。目を白黒させこちらを見ているが、取り繕う余裕はない。
「知るか、お前がなんとかしろ」
「どうにもできないのよっ! 今だって、先程の諍いを問い質したらのらりくらりとかわされたっ」
「今まで『はいそうですか』とお前が容認してきたからだろ、何故今頃になって自分の愚行に気づく。オレはアサギの傍を離れない、アイツが嫌ならマダーニかアリナと呑め。巻き込むな、迷惑だ」
「もうっ! みんなしてアサギアサギって……! 私よりアサギがいいのは解るけど、少しは気遣ってよ」
「何度も言っただろう、オレはアサギ以外に興味がない。お前は二の次……いや、五の次、十の次」
「ホンット、嫌味な男っ」
「お褒めの言葉、ありがとう」
「そういうところ、トランシスにそっくりねっ!」
見切りをつけ、ガーベラは憤慨し広間を去った。トランシスよりはマシだが、トビィと話していても何の解決にもならなかった。
「以前は親身になってくれたのにっ」
自分でも身勝手だとは思うが、ガーベラは切羽詰まっていた。このように感情が乱れることは初めてで、どうしてよいのか分からない。ミシアは論外で、頼れる友達がいない。
惑星チュザーレであれば、ニキとエミィを筆頭に、娼婦仲間に相談出来ただろうに。
自室に戻ると、トランシスは悠々とワインを呑んでいた。頂点に達したと思っていた苛立ちが加速し、思わず扉を殴りつける。手は痛むが、自分を取り戻すことはなかった。ジンジンと痺れる手に、余計に腹が立つ。
「一人になりたいの、出ていって!」
「えぇ、つれないなぁ……。恋人のオレを放り出すわけ? 一緒にあったまろうよ」
そんな気はないくせいに、息を吸うように嘘を吐くトランシスが憎い。
だが、ガーベラは気づいてしまった。そんなところだけ、自分に似ていると。仕返しをされている気持ちになり一瞬怯むが、断じて違うと拳を握った。
嘘を吐くことには大なり小なり罪悪感が伴い、後悔する。だが、トランシスには罪の意識がまったくないように見える。
「お生憎様、今はそんな気分になれないわ。寒空の下で、暫く頭を冷やして頂戴。ほら、お金はあげる」
「どうしてそんなに冷たいのさ、酷いな」
「酷いのはどっちよっ。トランシスは、今まで女に拒まれたことがないのよね。眉目秀麗で甘え上手、母性本能をくすぐる魅力的な男だもの。でもね、私には通用しない。私は頷くだけの女じゃないわ」
無理やり金を握らせ、蹴とばすように部屋から追い出す。
害虫を締め出すように扉を閉めると、情けなくて涙がこみ上げた。一体何をしているのか、自分が分からない。
「無理やりアサギから奪った代償が、これ。……密かに片想いをしていた時のほうが、断然愉しかった」
ガーベラが最も憎んでいるのは、自分自身だと気づいた。彼の心がどこにあるのか分かっているのに、手放すことができない。
ちっとも懐かず、言うことを聞かない鳥を窓から解き放てばいい。その鳥は、囚われる前にいた居心地よい慣れた場所へ真っ直ぐ戻るだろうに。
ここまできても、未練がましくおこぼれの優しさを期待している自分に反吐が出る。ガーベラは泣きながら蹲った。
恋心は単純なようで、とても難解だった。
ただ、窓はずっと開いている。いつでも出て行くことができるのに、鳥が留まっている。