消えた男
ディアスには、雪混じりの風が吹いていた。
外を見つめていたガーベラは、小さく溜息を吐く。教会へ行きたいが、寒いのが苦手で億劫になっている。
「おはよ。寒いね」
「おはよう。朝食を頂きましょう」
起きたトランシスは、何処となく機嫌が良さそうだった。大きな欠伸をして、寝台の上で伸びをしている。
「温かいものが飲みたいな」
「そうね。……ここで食べる? それとも食堂に行く?」
「食堂に行こう、すぐ食べたい」
珍しく共に部屋を出て食堂へ足を踏み入れると、トビィとアリナが食事を終えていた。瞬時にピリピリとした空気が部屋を這い、威嚇するように睨み合う。
「お、おはよう」
ガーベラだけが声をかけるが、返答はない。
「腹減ったー」
「少し待ってね。……ここに美味しそうなスープがあるから、温めましょう」
席についたトランシスは、必要以上にガーベラの手に触れた。嬉しいが、彼らに見せつけるように仲睦まじい恋人を過剰に演じているようで、違和感を覚える。
察したトビィと目が合ったので、「大丈夫」と唇を動かす。しかし、彼は釈然としない様子でこちらを見ている。
やはり、誰の目から見ても違和感があるのだろう。
「卵を入れて」
「わ、分かったわ。ねぇ、そろそろ手を離して」
「えー、つれないなぁ」
指を絡め甘えてくるトランシスの手を、ぎこちなく払う。気分を害したらしく、早々にアリナは去っていった。異様なほど甘えてくる彼は、確かに不気味だ。
訝るトビィは、去り際までガーベラに視線を送ってきた。まるで、警鐘を鳴らせと諭すように。
二人きりになると、無言で食事をした。
腹が減ったと言いつつも、トランシスはやはり殆ど残している。
「ガーベラは今日もいないの?」
紅茶をすすって胃を休ませていると、トランシスが真顔で聞いてきたので目を見開く。予定を聞かれたことは初めてで、胸が高鳴った。
「えぇ、教会へ。どうしたの?」
「明日は予定を空けて欲しいと思って。一緒に出掛けよう」
「……え?」
あんなに外出を拒んでいたトランシスにそう言われ、ガーベラの顔が曇る。嬉しいのに、胸騒ぎを覚えた。
どういう風の吹き回し? そう訊ねようか躊躇していると、彼はにっこり微笑む。
「この間買ってくれた服を着て出掛けたいから。明日でなくても、明後日でも、ガーベラの都合が良い日を教えてよ」
「都合が良い日……」
警戒するガーベラは、彼の心中を探ろうと言葉を濁した。
正直、いつでも暇だ。教会で仕事をしているわけではない、行きたい時に手伝っているだけなので、今日でも構わない。
しかし、どうせなら一日中まったり過ごしたいと思い、躊躇してから「明日なら」と告げる。
「分かった。明日が楽しみだけど、教会の都合は?」
「今日行った時に、お暇を頂けるよう話すから平気よ。もしかしたら、帰りが遅くなるかもしれない」
「帰りに美味しそうなワインを買ってきてよ、大人しく待ってるから」
「えぇ、夕飯も購入してくるわ」
「うん」
どうにもトランシスの様子がおかしい。
こう思う自分も大概狂っているのだが、あまりにも一般的な恋人の会話で薄ら寒かった。
ガーベラは胸中に巣食う陰鬱な影に怯えつつも、見送ってくれたトランシスに手を振り教会へ向かった。
「惚れ薬の効果? 今頃? ムラがある……」
疑念が残るので早めに帰ろうと決意し、教会で慌ただしく動く。掃除や食事の準備を終え早めに切り上げると、言われた通りワインを購入するため商店街へ向かった。
「あらん、親友のガーベラ!」
人混みを歩いていると大声で叫ばれ、身体が硬直する。怖々振り返ると、ミシアが嫣然とした笑みを浮かべて立っていた。
「お茶しましょうよ、素敵なお店を知っているの」
「忙しいの、今度ね」
「えぇ、悲しいっ。でもね、トランシスさんなら白ワインを持って部屋に入ったから、放置しても平気だと思うナー?」
可愛らしく小首を傾げるミシアは、不釣合いな衣服を身に纏っていた。アサギなら似合いそうなリボンをふんだんにあしらった外套を羽織っており、正直妙だ。
トランシス同様、彼女も何を考えているのか分からないので恐ろしい。しかし、有無を言わせぬ迫力ある瞳に睨まれ、ガーベラは頷いてしまった。
「す、少しだけなら」
「嬉しいっ! 早速行きましょう、ワインも夕飯も、そのお店で購入すればいいわ」
腕を捕まれ、引き摺られる。スッと背筋が凍り、全身から汗が吹き出した。
何故、この後の予定を知っているのか。
怯えながらミシアを見ると、察した彼女が喜色満面で教えてくれた。
「食堂で話していたでしょう? 聞いていたの。その前にトビィとアリナがいたでしょ、……私もいたのよ」
光を宿さない瞳で、ミシアはそう告げた。
話を聞いていたなら、何も怖がることはない。だが、何処で聞いていたのか。
あの時、食堂には四人しかいなかった。喉を鳴らし、鼻歌交じりのミシアから視線を逸らす。
ミシアに案内された店は、ごく普通の飲食店だった。内装は簡素だが、店員は愛想がよく落ち着く。
「…………」
まさか本当にミシアと茶を飲むとは思っていなかったガーベラは、酷く項垂れた。マダーニやアリナと酒を飲むときは愉しかったが、今は憂鬱でしかない。
「ガーベラがさぁ、アリナやマダーニと出掛けるたびに、悔しい思いをしていたの」
「貴女も混ざればよかったのに」
「嫌よ! あんな下卑た女たちと一緒にしないで。ガーベラは、私と同じこちら側の女よ」
こちら側。
そう選別され、血の気が引いた。詳細を聞くのが怖くて、聞かなかったことにする。
「ところでぇ。……この間渡した薬、使った?」
「……え?」
薔薇の花びらを浮かべた紅茶を飲みながら、真紅の唇がゆったりと動いた。知っているぞと脅すような視線を浴び、ガーベラは恐怖から引き攣った笑みを浮かべる。
「つ、使ってないわ。惚れ薬だなんて、恋人がいる私には必要ないでしょう?」
「そう? じゃあ返して」
強がって言ったが、間入れず荒々しい声が飛んでくる。
言葉に詰まり、思わず俯いた。薬は、その日に使ってしまった。空の瓶も、怖くて棄ててしまった。
「なぁんて、冗談よ。いいのよぉ、あれは親友のガーベラにあげたものだから。使う使わないは自由」
猜疑心のせいかもしれないが、全てを見透かされている気がする。言葉に含みを持たせた彼女の口ぶりに苛立ち、拳を強く握った。
「ただ、あれね。効果は永久じゃないから気をつけて」
「そ、そうなのね。使わないから大丈夫よ」
そもそも、トランシスに飲ませたが効果があったのかどうかもよく分からない。優しい時も確かにあったが、思い返せばどうにも胡散臭い気がしてきた。
惚れ薬だなんて真っ赤な嘘ではないのか。趣味の悪い戯れに付き合わされているのでは。
思い悩み焼き菓子を頬張っていると、ミシアが監視するように見つめてきた。気分が悪くて、退席したい気持ちで胸がいっぱいになる。
「そんなに見ないで。周囲が変な目で私たちを見てる」
「あらん、そうかしら? でも、親友だから距離が近くて当然よ」
「だ、だから、親友では……」
相変わらず話が通じない彼女に、眉間に皺が寄る。しかし、ミシアは挑発するように人の悪い笑みを浮かべた。
「私、ガーベラの顔大好き」
「は?」
口説かれているような声がいよいよ気色悪くて、二の腕を擦って寒さから逃れようとする。
「本当は薬を使っているのに、強がって嘘を吐いちゃうところもお馬鹿さんで愛らしい。全部顔に出ているわよぉ?」
ミシアはクスクスと笑いながら、紅茶を口に含む。
呆気にとられていたが、ガーベラの全身は羞恥心で熱を帯びた。
「つ、使ってなんかっ」
「はいはい、そうしておくわね。でもね、ガーベラ。本当に必要がないなら、薬を突き返すものよ? それに、返してと言われ絶句することもないでしょ?」
やはり最初から解っていて遊ばれたのだと知り、腸が煮え繰り返った。
「あぁん、その屈辱にまみれた顏っ! 子宮が疼くくらいに魅力的っ」
身をくねらせ、甘い吐息と共にそんな事を言う。付き合っていられないと、ガーベラは怒り顔で席を立った。
「今日は私が奢ってあげる。またね、ガーベラ」
「美味しかったけど、二度と貴女とは出掛けないっ」
「うふふ、ムキになっちゃって可愛い。……もう一度教えてあげるわね、惚れ薬の効果はもって数日よ」
奢られるのは口惜しいので、料金を置いて店を出た。早足で商店街へ向かい、ワインと夕食を購入する。
浅はかな自分の行動に怒りを覚え、二度と関わらないと唇を噛み締めた。
「あんな薬、偽物よっ。数日も何も効果なんてっ」
効果なんてなかった、そう言い切れないのがもどかしい。トランシスの態度が曖昧で、判断に欠けるのだ。
館に戻ると、焦燥感に駆られて自室へ飛び込む。
「ただいま。すぐに食事にする?」
普段通り寝台を見つめると、そこにいるはずのトランシスがいなかった。