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彼女の手料理

 身動ぎするトモハルに、アサギがハッとした。小声で話しかけ、頷く。


「行ってきて」

「で、でも」

「大丈夫だから」


 顔を若干赤らめ、トモハルは席を立った。寒かったこともあって、手洗い場へ行きたかったのだ。しかし、アサギを残していくわけにもいかず、我慢していた。


「すぐに戻るね」

「うん」


 慌てて立ち去ったトモハルを見送り、アサギはゆっくりと茶を飲んでいる。

 二人きりになると、食堂は水を打ったように静まり返った。茶の湯気が部屋中を包み込むように天井へ上がっていく。話題を振りたくても、出てこない。以前は、菓子が上手いだの他愛もない会話が愉しかったのに。

 そもそも、アサギが作った菓子が届かない。ふと思い立ち、気まずさから眉を寄せるが、今しかないと上擦った声を出した。

 

「アサギ、お願いがあるの」

「は、はい。何でしょうか? 私に出来ることは何もないので、お役に立てる自信はありませんが……」


 声をかけられたアサギの瞳の奥が、大きく揺れている。

 

「私、アサギの手料理で食べたいものがあるの。……作ってくれないかしら?」

「無理です」

 

 柔らかな口調で頼んだガーベラだが、アサギは一刀両断した。はっきりと拒否し、申し訳なさそうに俯く。

 ここまで強く言われたことが初めてで、ガーベラはたじろいだ。彼女は今まで、どんなことでもなんとかしようと知恵を振り絞っていたのに。唖然としていると、アサギが空気と同化するような頼りない声を出す。 


「ごめんなさい。その、……私、不味い物しか作れなくて、材料が無駄になってしまうから勿体ないと気づきました」


 ガーベラの胸が痛み、微かな溜息がもれた。

 元凶はトランシスだ。食事会の時、作った卵料理を(なじ)られて自信を失くしたのだろう。余計なことをしてくれたと、心の底から苛立つ。

 

「いいえ、美味しいわ。私は好きよ。他の誰が不味いと言っても、私には美味しいの。だからお願い、作って。この際、何でもいいわ」

「いいえ、不味いです。作ることは出来ません」


 奇妙な違和感に、ガーベラが焦る。頑なに拒絶するアサギは、何かに怯えているようだった。

 

「味覚音痴と思ってくれていいから、何か作って。食べたいの……お願い」

「美味しい食べ物は、この街に溢れています。崖の上のお食事屋さんは店内の雰囲気が良いし、食材に丁寧な下ごしらえがしてあって、オススメですよ」

「違うの、私はアサギの手料理が食べたいの。食べたことがない料理がいつも並んでて、愉しくて華やかで私はそれが好きだった。お願い、何でもいいの」


 細いがよく通る声で訴えたガーベラは、近づく足音に口を噤んだ。トモハルが戻ってきたようだ。

 無言になった二人のもとへ居心地悪そうに戻ってきたトモハルは、何処か演技をするような素振りで着席した。


「いやー寒いですねー」

「そうね。暖炉に薪をくべ続けないと凍えてしまうわ」


 三人で再び茶をすすり始めるが、会話はぎこちなく息苦しい。視線を合わせようとしないアサギに、ガーベラは落胆して先に席を立つ。これ以上彼らの精神を追いつめることはしたくない、自分が消えれば館に入ってきたときのように二人は明るく喋り出すだろう。


「ゆっくりしていってね」


 自分のカップを洗うと、自室に戻った。


「アサギの手料理なら……彼が食べるのではないかと思ったの」


 階段を上りながら情けなく自嘲し、扉を開く。寝台に転がっていた恋人に「何が食べたい? トランシスの食べたい物を作るから教えて」と訊ねた。


「何でもいいよ」


 分かり切った答えが戻ってきたので、ややあってから「そう」と微笑む。

 トランシスは、本当に何でもいいのだと思った。出す料理全てに、興味がないのだ。だから、食べない。

 そして、痩せこけた。


「今日は帰りが早いね」

「外は大雪よ。戻れなくなると困るから、早目にお(いとま)したの」

「どうりで寒いと思ったよ」


 二人は雪雲がどんよりと蔓延っている空を見上げる。

 雪が汚いものや嫌なものを隠してくれたらいいのにと、ガーベラはぼんやりと考えていた。

 自室で読書に励んでいると、トランシスが寝台から下りた。動く彼が珍しいので、何をするのだろうと見つめる。


「寒いからワインをとってくる。呑むだろ?」

「私が行きましょうか?」

「いや、いい。たまには動く」

「そう? なら、お願ね」

「食べ物ももらってくるね」

「えぇ、ありがとう」


 単に館内を移動するだけだが、意欲的な彼に胸を撫で下ろした。そして、無視されなかったことに安堵する。一人分だけ持ってこられたら、流石に悲しくて泣いてしまう。

 トランシスが戻るのを待って、本に瞳を落とした。


 読書に夢中になっていたので気づくのが遅れたが、トランシスが一向に戻ってこない。

 かなり読み進めてしまったので、相当な時間が経過している。食堂で誰かに遭遇し、諍いが起きているのではと不安になって自室を飛び出した。


「だから私が行くって言ったのにっ」


 大股で階段へ向かうと、斜め前のアサギの部屋の扉が若干開いていた。律儀な彼女にしては珍しいので、閉じるため近寄るとくぐもった声に目を瞠る。

 

「な、何してるのっ!?」


 アサギが、全裸で床に転がっている。

 その上には、馬乗りになっているトランシスがいた。彼は舌打ちし、苦虫を潰したような顔でそっぽを向く。

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