痩せる男
明けたばかりの空が、朝の冷気と共に煌めく。
昏々と眠っていたガーベラは、久しぶりに目覚めの良い朝を迎えた。寝台の上で大きく伸びをして、深呼吸をする。
ゆっくり朝食をいただき、寛いでから宿を出た。
そして気づいた、現在地が分からないことに。トビィに連れて来てもらったので、帰り方が分からない。
狼狽していると、トビィが迎えに来てくれた。
「送る」
「……ありがとう」
素っ気無い言葉だったが、十分だった。この為にわざわざ戻って来てくれたことを知り、涙腺が緩む。トランシスと違い、トビィはきちんと気遣ってくれる。惚れる相手を間違えたと自嘲し、男を見る目の無さに項垂れた。
街の外にいた竜に乗って、館があるディアスの街へ戻る。そのまま立ち去るトビィを、黙って見送った。
「害でしかない女にも優しいのね。なら、トビィに愛される女は最高だわ」
昨晩の温もりを思い出し、陶酔の溜息を吐く。部屋にいるであろう恋人より、断然好かった。女として抱かれている実感があったのだ。
離れた途端、急に侘しくなった。自室には恋人がいるのに、億劫になる自分が嫌だ。
館を挑むように見つめ、足を踏み入れる。部屋へ行くことを遠回しにして、食堂で朝食の準備をした。
「ただいま」
小声で扉を開くと、トランシスは眠っていた。胸を撫で下ろし、寝顔を見下ろす。外泊を咎められるだろうかと不安になったが、これならばいくらでも言い訳できる。
寝返りをうったので寝台がギシリ、と音を立てた。
「憎たらしいくらい、綺麗な顔」
見ているとどうしようもなく好きだと実感するが、この先やっていく自信はない。
けれども、アサギに返す気にもなれない。醜悪な自分に反吐が出る。
どうしても欲しい高額な商品を借金をして購入したが、自分には不釣合いだと気づいてしまった時に似ている。
彼が起きるまで読書をしようと、教会で借りた本に手を伸ばす。子供たちに読む本よりも難しい内容だが、勉強に役立っていた。
しかし、集中したいのに、やるせない溜息ばかりが出る。何も頭に入ってこない。
「腹減った」
トランシスが起きて、ぽつりとそう言った。
子供のような姿に苦笑し、ガーベラは用意しておいた朝食を運ぶ。パンと、野菜がたっぷり入ったスープ、そして珈琲。部屋に満ちた匂いに食欲が刺激され、二人の腹が鳴った。
「美味しそう」
「たくさん食べてね」
瞳を輝かせる彼に、胸を撫で下ろす。トビィに抱かれた罪悪感からか、優しくしたいと思ってしまった。甲斐甲斐しく世話をしてから、自慢できる焼き加減のパンを咀嚼する。表面は香ばしく、パリッとしている。それでいて、中はふかふかだ。
上出来だと得意顔になるが、トランシスは半分ほど食べて残した。
「ごちそうさま」
哀し気な様子に、ガーベラの胸が痛む。
「ごめんなさい、口に合わない?」
「違う、美味しかった」
無邪気に微笑むトランシスに、ガーベラの表情は翳った。
最近、いつもこうだ。『腹が減った』と連呼する割に、満腹になるまで食べない。小食という言葉では言い表せない。
気まずい雰囲気を払うように、ガーベラは控え目に告げる。
「今日も読み聞かせがあるから、出掛けるわね」
「うん、いってらっしゃい。頑張ってね」
「お昼、しっかり食べるのよ? きっと誰かが作ってくれるし、もしみんなが不在なら……ここにお金を置いておくから外で食べてね」
「うん、大丈夫」
去り際、トランシスを見やる。幾分削がれたような頬に、胸が痛む。精悍だった顔つきが、見る影もなくやつれている。
……私のせいなの?
ガーベラは逃げるように教会へ向かった。雪が降り出し、亀のように首を引っ込める。
雪が本降りになりそうなので、早目に帰宅したガーベラは食堂で唸った。
トランシスに食べてもらえる食事を作りたいが、全く思いつかない。帰路にある肉屋で燻製を購入しパンに挟んでみたが、食べてもらえる気がしない。
「私、トランシスのこと何も知らないのね」
歪んだ嘲笑をして、壁にもたれる。行き詰ったので、何が食べたいか本人に訊くことにした。
食堂を出ると、若い声が聞こえて硬直する。
「こんにちは」
頭に雪を積もらせたトモハルとアサギが、玄関前で雪を払っている最中だった。
「こ、こんにちは。大変だったでしょう? お茶を淹れましょうか」
アサギを見るなり視線を逸らしたが、取り繕ってそう告げる。真っ直ぐな二人の瞳は針のようで痛いが、懸命に耐えた。
「私は用事があるので……。トモハルは頂いたらどうかな、あったまるよ」
「え、アサギがいないなら俺も遠慮する」
ぎこちない二人に、ガーベラは寂しそうに微笑んだ。避けられても仕方がないが、やはり辛い。
落胆する様子に気づいたトモハルが、慌てて訂正する。
「あ、じゃ、じゃぁ、俺は頂きます! ほら、折角だからアサギも飲もう」
断ろうとしたアサギの腕を無理やり引っ張り、トモハルは微笑んだ。
「分かった、三人分作るわね」
子供に気を遣わせてしまったことを嘆くが、嬉しさが勝った。
生き生きとして食堂に戻ると、香辛料を調合する。身体が芯から温まる茶を淹れるため、張り切った。鼻に香しい湯気が漂い、三人は思い切り息を吸い込む。
「これだけで身体が温まる気がします」
「飲むと、カーッとなって沁みるわよ」
出来上がりを二人の目の前に置くと、一呼吸置いてから口に含んだ。じんわりと身体に広がる温かさに、心が緩んでいるようで笑顔を見せる。
「ピリッとしていて、美味しい!」
「うん、美味しくて気が引き締まる感じ」
かじかんだ手を温めるように両手でカップを持つ二人を、ガーベラは微笑ましく見つめていた。ただ、トモハルはそわそわと身体を動かしている。