珍妙な客
顔面が羞恥で固くなる。
俯いているガーベラの頭部を撫で、ルクルーゼは続けた。
「私は『美しい声の歌姫を』と告げた。すると、どうだろう。『当店の女たちは皆美しく魅惑的な声で囀るように鳴きます』とのこと。そうではなく、私と同じように『唄う女性に逢いたい』と訴えると、館の主人は首を傾げた」
嫌な予感がして、ガーベラは唇を噛む。
「ガーベラ、君は人前で唄っていないのか? 素晴らしいのに、何故」
黙って聞いていたガーベラは、何も答えず沈黙したままだった。
「君の特徴を伝え、こうして出逢えた」
「……あれは、唄ではないわ。ただの娼婦の独り言」
そう、唄ではない。吟遊詩人に褒められても、嬉しいどころか虚しい。手放しで喜べず、もうこの話を終わりにしたいと思った。
綺麗な形をした唇に指を添え、そっと顔を近づける。誘惑的な視線を投げ、瞳を閉じた。
「唄とは、心。心を言葉に託し、声に出して奏でる。心とは、誰しもが持っているもの。何故隠す、君の感性は豊かだ」
先輩に教えられた通り、そして今まで通りに男を誘った。どんな話をしていても口づけをせがめば、男はすぐにその気になり身体を重ねてきた。
しかし、ルクルーゼには効果がない。
ガーベラは恥をかいたと真っ赤になって、乱れた心をそのままに鋭く吼える。
「唄など、娼婦には不要でしょうっ」
客に向かって声を荒げたことは一度もないが、今回ばかりは無理だった。失態を晒したことに蒼褪め慌てて口元を押さえたが、ルクルーゼは怒るどころか可笑しそうに微笑んでいる。
「あぁ、ようやく君の本心が見えた。……いいかい、ガーベラ。君は娼婦だけれど、それ以前に一人の女性であり、人間。仮に唄う君を咎める者がいたとしても、今宵私は君の唄を聴きに来た」
沈黙しているガーベラの背中を、そっとルクルーゼは擦った。
どのくらいの間、そうしていたのだろう。
ガーベラは退屈でげんなりとしていた。これならば、一方的に喋ったり、乱暴に抱く客のほうがまだよい。なんて馬鹿げた最低の客だろう、呆れて数回瞬きを繰り返す。
確かに唄は、ガーベラの心だった。だからこそ、会ったばかりの男に聞かせることなど出来ない。嘘でいいから喜ぶ演技をして、粗略に唄えばこの男は喜ぶかもしれない。
分かっているのに、頑なに拒否をする。
拙い自覚はあるが、いい加減な唄は自尊心が許さない。
「そうです、唄は私の心。だから、初対面の貴方にお聞かせ出来ません」
「なるほど、心を開いてもらうために通うしかないと」
館の主人や仲間たちに申し訳ないことをした、とガーベラは項垂れた。この客は恐らく二度と来ないだろう。
だが、ルクルーゼは飄々として「では、毎晩通うよ。唄を聴くまで次の街へ行かないと決めた」と言う。
呆気にとられ、肩を竦めた。
「今後も私が唄わなければ、どうするのです?」
「唄ってくれるまで、待つさ」
「死ぬまで唄わないかもしれませんよ」
「それなら、死んでからも君の唄を待つ。君が死んだら、その時こそあの世で唄ってくれ」
「現実味を帯びたお話ですこと」
皮肉たっぷりに告げ、ガーベラは拗ねたように唇を尖らせた。
「それが飾らない君かな。距離が少し縮まった気がするね」
茶化すように言われ、ますますむくれる。
「そうね、小指の爪先程度は縮まったわ」
歪んだ薄い唇で生意気なことを言ったのに、ルクルーゼは怒るどころか闊達に笑う。
「なら、今日は共に眠る事から始めよう。それとも、信頼を得るために床で寝るべきかな?」
「お客様を床に寝かせるだなんて、とんでもないことでございます。どうぞこのまま、寝台でお休みくださいませ」
一晩中このままでいられるものかと鼻で嗤ったガーベラだが、本当に何も起こらなかった。
優しく抱き締められ、背中を擦られ、寝台の上で眠りに入る。それは、失敗した自分を慰めてくれる母親のようだった。あまりにも大きな器で、男なのに女に思える。
指名手数料もとられているだろうに、何もしない男を睨み付けた。馬鹿らしいが、本当に唄を聴きに来たのかもしれないと思い始める。そのようなことが、あるのだろうか。
「変な人」
静かな寝息を立てているルクルーゼを見つめ、ガーベラはぼそりと呟いた。静かに瞳を閉じ、心地良い体温に身を委ねる。
「君の温もり 陽だまりの香 まどろむ中で 夢を見る いつかは消える儚い泡でも 今は漂いゆらゆら揺れる」
唇から、自然と唄が零れた。