■青緑の惚薬
★イラストは梅海月さまです
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閑散とした食堂に残っていたのは、トランシスにガーベラ、ミシア、そしてクラフトだった。
だが、クラフトは食事を手ばやく済ませ去って行った。本当は席を共にしたくなかったのだろうが、礼儀としてその場にいたのだろう。
三人になった食堂はあまりにも物悲しく、息が詰まる。
あまりのことに、ガーベラは言葉を失った。部屋であれほど念を押したのに、全く伝わっていなかった。
いや、トランシスも分かっているはずだ。これは故意だと、奥歯を噛み締める。
「誰が買ってきてくれたのかしら、果物もある。美味しいのに」
疲れを吐き出すような溜息をついたミシアは、ガランとした卓子に薄緑色の果実を置いた。表面が輝く鈴生りの果物は、宝石のようだ。
トランシスが身を乗り出したのを、ガーベラは横目で見やる。彼は妙に瞳を輝かせ、子供のように見入っていた。
「皮ごと食べられるマスカットですって」
「こんなに大きなものは初めて見たわ、観賞用のようでとても美しい」
二人が感心して会話する中、トランシスが手を伸ばす。一粒摘まみ、食べるでもなくじっと眺めている。
一心不乱に見つめている姿に首を傾げ、ガーベラとミシアは躊躇いがちに口に含んだ。芳醇な甘い香りが漂い、見る見るうちに頬が染まる。
「まぁ、とっても甘い!」
満面の笑みを浮かべて頷き合うが、そんな中でもトランシスはじっとマスカットを見つめていた。
「食べないの? 美味しいわよ」
不安になったガーベラは、ぎこちなく伝えた。このまま人形のように動かなくなりそうで、怖くなったのだ。
「……食べるよ」
とは言ったものの、唇に咥えたまま動かない。
煽情的な様子に、二人の女は喉を鳴らす。凝視していると、ようやくマスカットが口内へ引きずり込まれた。暫し舌の上で転がしているようだったが、大きく喉が動き飲み込まれていく。
以後、取りつかれたように手を伸ばし、一房を平らげた。ミシアに促され、新たな房に手を伸ばす。
「マスカットが好きなのね?」
機械のように手を伸ばし口に放り込む姿に、ガーベラが困惑気味に問う。トランシスは微妙に遠くを見たまま、ゆっくりと口角を上げた。
「うん、大好き」
その声は、泣いているようだった。
「あぁ、美味しかった。……部屋に戻るね、食べ過ぎて苦しい」
トランシスはマスカットと酒は口にしたが、食事にはほぼ手をつけなかった。スープは最初にすすっただけで、パンは二口、肉団子は一つだけ。観察するように見ていたガーベラは、顔を顰める。
食べ過ぎて苦しい量ではなかった。しかし、トランシスは千鳥足で食堂を出ていった。
追うことも出来ず、大きな溜息を吐いて片づけに入る。自分もほとんど腹に入れていないが、食欲はとうに失せている。口に含んだところで、咀嚼する力もない。
とんだ食事会になってしまった。
「あー、愉しかったっ!」
気が滅入っているこちらを無視し、上機嫌のミシアは浮かれた声でクルクルと回転している。
一体、何が愉しかったのか。苛立って、拳を強く握った。
「流石私の親友ね、素敵な余興だった」
含み笑いでそう言ったミシアに、ガーベラは怪訝な瞳を向ける。腹の底が読めず、警戒する。
「……貴女の親友になった覚えはないわ」
「いやん、恥ずかしがらなくてもいいのにっ。恐れ入ったわ、男を奪ってアサギを不幸のどん底に叩き落すだなんて! 真似できない強欲さに、惚れ惚れしちゃうっ。私の親友は、想像以上にあくどいのね」
癪に障る物言いに、目が尖る。だが、身体をくねらせ絡んで来るミシアを無視した。背を向け、食器を洗い始める。相手にしたらこちらが損をするので、必死に耐えた。
「私、アサギが大嫌いだから。死んで欲しい、いえ、殺したいと思っているの。惨めな姿を見ることが出来て、胸がすく思いだった。ありがとう」
「ぇ?」
物騒な言葉に、ガーベラが顔を上げる。唖然としてミシアを見た。
「だってぇ、あの子ったら、いちいち清純ぶっちゃって、気に入らないでしょぉ? なぁんにも知らない顔して、そのくせ人一倍物知り。数多の男を手中にし、はべらせ、自分は最も気に入った男と過ごす……だなぁんてぇ。死ねよ、って思う」
アサギを貶められ、ガーベラは苛立った。あの子は好奇心が旺盛で頑張り屋で、いつも明るいから人が群がるのだ。そう反論しようとして開口する。
「……貴女にはそう見えるのね。私はそう思わない」
「ぅふふん、いいのよぉ、私の前では本音を曝け出して」
伸びてきたミシアの手に口を塞がれ、にじり寄られた。唇を舌で舐める様子は獲物を捕らえ絞め殺す蛇のようで、腰が抜けそうになる。
「私もね、早くトビィと一緒にいたいの。相思相愛だから」
「ハ?」
口を塞がれているが、あまりの発言に悲鳴に似た声が出た。しかし、ミシアは気にせず饒舌に語り出す。
「ほら、アサギがいつでも邪魔するでしょぉ? トビィは優しくて無下にできない性格だから、あの子につきっきり。ホントは私のところにいたいのだけれど……。今日もね、目線で『ごめんな』って言ってた。アサギがいなくなれば、私も貴女も万事うまくいくわよねっ。一緒に頑張ろっ!」
「ハァ?」
嫌悪感に身を震わせるガーベラは、ようやく気づいた。酔っているのではない、これがミシアの本性だ。
本当に狂っている。
背筋が凍り、身体が小刻みに震え出した。ここまで自分勝手な人間を見たことがない、目に見えるもの全てを都合よく塗り替えているのだ。
「ガーベラが私の親友でよかった! 大好きよ」
恍惚の笑みを浮かべ、頬をねっとりと舐められた。今から喰らうから覚悟しろと言われたような気がして、足元から崩れ落ちる。肝が冷え、全身に嫌な汗が滲んだ。
「後片づけは任せたわ。私の綺麗な手が傷むと、トビィが嫌がるの。そういうわけで、またね」
氷の海に突き落とされたように茫然としていたガーベラは、一人きりになっても蹲っていた。本当に、凍りついてしまったようだった。
動く気持ちすら湧いてこず、呼吸をするのがやっとだ。
「あぁ、そうだ! 親友の貴女に素敵な贈り物っ。私ったら、優しいーっ」
弾んだ声に、身体が飛び跳ねる。瞳だけを動かすと、喜色満面のミシアが小瓶を差し出し立っていた。
「惚れ薬。簡単よ、飲み物に混ぜて飲ませるだけで、たちまちにガーベラの虜になるわ。絶望に打ちひしがれたら、これを使って。私の親友の賢いガーベラなら、使い道を間違えないよねっ」
狂気じみた笑みを浮かべ、強引に小瓶を握らされた。そうして、足取り軽く去っていく。
「ほ、惚れ薬……?」
瞳を落としたガーベラは、小瓶を見やる。緑色の液体が、中で揺れていた。
「こ、こんなもの!」
沸々と湧き出る怒りの熱で、身体が動いた。投げ捨てようとして、我に返る。
ミシアは言った、『惚れ薬』、『虜になる』、『絶望に打ちひしがれたら』と。
顔面蒼白で震えながら、ガーベラはその小瓶を握り締める。
『貴女、愛されていないでしょう?』
最後に微笑んだミシアの本心が聞こえ、鋭く叫ぶ。
「違う! 愛されているわ、私は彼の恋人よっ!」
号泣しながらも、ガーベラはその小瓶を棄てなかった。
棄てることが出来ず、そっと仕舞いこむ。
『絶望に打ちひしがれたら』
ミシアの声が、脳内で響いていた。