恋人より大人びた少年たち
自室が、死刑を宣告されたように凍りつく。
「行かない」
予想通り、トランシスは抑揚のない声で一言発しただけだった。
嘆息したガーベラは、ぎこちなく微笑む。
「そう。残念だわ、外の空気を吸うのは、良いことなのに」
今日も狭い室内で、二人で通夜のような時間を過ごす。
息が詰まるので、幾度かガーベラは部屋を飛び出した。自分の部屋だというのに、何故こんなにも空気が重いのだろう。
思い描いていた生活ではない。あまりにも現状が辛くて、深い溜息を幾度も吐いてしまう。
「ぁ……」
トビィが通りかかったので、縋るように見つめてしまった。
しかし、彼は一瞥しただけで無言で向かいの自室に入っていく。危うく、「今夜はそこに泊めて」と言うところだった。そのほうが、落ち着いて眠れそうだ。
「どうして恋人といるのに息が詰まるの……?」
気分を変えようと、一階の食堂へ出向く。
人の気配がするので入るのを躊躇したが、怯えていては何も始まらないと意を決した。
「ごめんなさい、お邪魔するわね」
勇者たちが一斉にこちらを見ると、途端に張りつめた空気が漂う。
しかし、瞬時に彼らは胸を撫で下ろした。トランシスの姿が見えないからだと、ガーベラにもすぐに分かった。
幼い勇者たちをぐるりと見つめ、大きく肩を下げる。恋人が嫌われているのは、解っていても辛い。
彼らは小さく会釈をしたが、リョウは気難しい表情でこちらを見ている。
居心地は悪いが、自室よりマシだと思った。漠然と向けられる敵意には対処出来る。小刻みに震えながらも、慣れた手つきでワインを取り出す。
「あの。ガーベラさんは、……あの人のどこを好きになったんですか?」
単刀直入に訊くリョウに、皆が息を飲む。ガーベラも驚き、瞳を泳がせた。
「揶揄わないで、恥ずかしいわ」
薄く笑い、はぐらかす。髪をかき上げ、視線を合わせないようにした。リョウの瞳はアサギに似て聡明で、こちらの心が抉られる。
弱っている時は、特に。
「僕は本気で訊いています、答えてください。トランシスさんは、アサギのことしか見ていなかった……いえ、見えていなかった。ガーベラさんはとても美人だと思います、けれど付け入る隙はなかったと思います。一体、何をしたんですか?」
トビィと同じことを訊くリョウに、ガーベラは肩を竦めた。嘘を吹き込み彼の心を奪ったのは事実だが、真っ向から訊かれるとどこか哀しい。
『トランシスは貴女を愛さない』
そう突きつけられた気がした。
逃げることは出来ないと悟り、少年たちを見渡すと艶やかに微笑する。
「恋って、理屈ではないのよ。あの人のどこが好きと訊かれても、困るわ」
「トランシスさんがアサギを愛していることを知っていたのに、……好きになったんですね」
「えぇ。気づいたら、彼が胸の中にいた。見ているだけでよかったけれど、彼が私を選んでくれたから応えた」
リョウの眉がピクリと動いたのを、ガーベラは見逃さなかった。疑っているのだろう。
「トランシスさんが、アサギからガーベラさんに乗り換えたんですね?」
「言い方は好きではないけれど、そうなるわね。君たちはまだ幼いもの、そのうち、大きくなったら解るわ。……人が抱く感情って、とても曖昧で不確かなものよ。君たちにはないかしら、例えば……そう、大好きだったお菓子が、急に嫌いになること」
トモハルとリョウが顔を顰め、嫌悪感を露わにしている。だが、続けた。
「嫌い、は言い過ぎたかしら。でも、好きなものに飽きたり、苦手になったりすること、あるでしょう?」
トランシスはアサギに飽きただけ、遠回しにそう告げる。しかし、動揺しながらも彼らが頷くことはなかった。
「僕にはありません。好きなものは好きです、嫌いなものを好きになることはあるけれど」
「そう。でも、いつか私が言っていることが分かるわ」
「分かりたいとは思いませんが、憶えておきます」
毅然とした態度で告げるリョウの隣で、トモハルが瞳を尖らせている。卓子の上で強く握る拳が、小刻みに震えていた。
この子たちはアサギと同じで純粋だと、ガーベラは項垂れる。勿論、娼館で疑似恋愛を繰り返しただけの自分も恋愛初心者だ。
ただ、恋の駆け引きなど分からないものの、恋にも光と闇が存在することを知っている。
その点、トランシスとトビィは色恋沙汰に長けているように思えた。二人は、言い寄る女をのらりくらりと躱すのだろうと。
ガーベラは切羽詰まっていた。だから、目の前の子供たちにだけ、白状するように重く告げる。
「私が彼に惹かれたのはね。……内緒よ? あの人がアサギを見る目が、とても好きだったの。あの目で私を見てもらいたかった。羨ましかった、それだけ。アサギからトランシスについてたくさんお話を聞いたわ、憧れてしまったのよね。まるで、御伽話に出て来る王子様みたい。私にはそんな素敵な存在が今までいなかったから、鮮烈な存在になったのよ」
「だから奪ったんですか? アサギが悲しむと知っていて、自分の感情を優先したんですね?」
驚くほど澄んだ声が告げるリョウに、勇者たちが狼狽している。トモハルだけは、そっぽを向いて唇を噛み締めていた。恐らく、口にしないものの同意見なのだろう。
「そうね、リョウの言う通りよ。我慢できなかった、トランシスが欲しかった」
激昂しているトモハルは、幾度か卓子を殴ろうとしている。優しい彼を怒らせてしまったことを、ガーベラは反省した。
しかし、これは嘘偽りない本心だ。自分の気持ちに素直になって、何が悪いのだろう。
「僕はガーベラさんに怒っていません。好きになったのなら、仕方がない。二人の間に何があったのか知らないけれど、祝福したいと思っています」
問い質すようなリョウの瞳は、処刑の執行人のようだった。
「ガーベラさんを選んだトランシスさんにも、怒っていません」
意外なことを告げるリョウに、ガーベラは目を見開く。しかし、威嚇するように睨まれて喉を鳴らした。
「純粋な気持ちで好き合っている二人を咎めることは、誰にも出来ません。ただ、今後もアサギを傷つけるのであれば、僕は二人を許さない。……よりによって、何故アサギの誕生日にそうなったのか。僕はそこだけ不審に思っています」
問い質すリョウに、ガーベラは我に返った。
嫌がらせではない、猶予がなかったのだ。あの日に行動しなければ、トランシスは二度と手に入らなかった。
アサギが誕生日を迎えると、二人は制限なく共にいられたのだから。
つまり、リョウは勿論他の誰しもが、その事実を知らないのだ。アサギは、誰にも言わなかったのだろう。クレロからの誕生日祝いとして、『トランシスと共にいられる許可』が下りたことを。
「私はアサギが嫌いなわけじゃないわ」
「そう願っています」
「ただ、貴方たちにだけ告白すると……苦手よ。私と違って、あまりにも綺麗だから。汚れている私が惨めに思える、眩い光が痛いの」
いよいよ怒りを募らせるトモハルに対し、後ろで俯いていたミノルが顔を上げる。何故か同情するような瞳を向けられ、ガーベラは眉を顰めた。
彼も、アサギに対して何かしらの劣等感を抱いているのだろうか。
沈黙する中で赤ワインを一本とグラスを二つ持ち、散らかった地球のスナック菓子を一瞥する。ぎこちなく微笑み、頭を下げた。
「そういうの、美味しいけれど。本当に食べたいのは、アサギのお菓子でしょう? 私も好き、あったかい味がして、とても美味しいものね」
「そのうち、アサギは作ってくれると思う。僕、頼んでみます」
寂しそうに告げるリョウを優しく見つめ、次いで悲しそうに笑った。
「ありがとう、待ってるわ。……みんな、とてもイイ子ね。私なんかと話してくれてありがとう、止められてない? あんな裏切者と話すな、って」
自嘲気味に肩を竦めたガーベラに、とんでもないとトモハルが首を横に振る。
「そんなことは、誰も思ってないです。ただ、扱いに困ってるだけで」
トモハルは言い澱んだが、覚悟を決めて開口した。
「そもそも、アサギたっての願いで、二人を祝福するようにって言われています」
ガーベラは瞳を丸くした。御人好しを通り越して、嫌味に思えた。
「貴方たちと今まで通り普通に会話出来るなら、それでいい。悔しいけど、二人が幸せならそれが一番です」
前髪をかき上げ、トモハルがリョウに視線を投げた。
「問題はそこじゃなくて……。あの人ってアサギに冷たくというか、酷いことをするじゃないですか。あれ、なんですか。『他に好きな人が出来たら別れて』ってアサギに言えばよかったんです。御存じの通りアサギは気立てがいいので、笑顔で受け入れたと思います。そうしたら、ここまで傷つかずに済んだ。俺はあの人が何を考えているのか、さっぱり解らない。ガーベラさんから伝えてください、『アサギにはもう関わらないで欲しい』って。今はどうあれ、恋人だったんだ。悲しませることはしないで欲しい」
「お前、ベラベラ話し過ぎ」
怒気を含んだミノルの声に、トモハルが慌てて口を噤んだ。決まりが悪そうに腕を組んで俯く。
「でも、俺からも言わせてもらう。アサギは、あんな奴よりもっとイイ男と付き合うんだ。アイツ、しつこそうだから釘差しといて」
真剣な眼差しで断言したミノルに、ダイキが微笑した。ケンイチが呆れて口を挟む。
「それ、自分も含んでるの? 元カレさん」
「水を差すな」
赤面し言い争いを始めた二人を他所に、首を傾げたガーベラはリョウに耳打ちした。
「モトカレって、何?」
「あぁ、元の彼氏……つまり、前の恋人です。トランシスさんの前、アサギはミノルと親しくて。ミノルの浮気で終わりましたけど」
初めて知った事実に、ガーベラは唖然とミノルを見た。確かに、強引で乱暴で自己中心的なところがトランシスに似ている。アサギはあぁいう男が好みなのかと納得しつつ、まさか二人連続で破局の原因が浮気とは気の毒だと憐れんだ。
そのうち片方は、自分が要因だが。
「今日はありがとう、愉しかったわ。アサギのお菓子、待ってるわね。……私が食べて良いのか、些か不安だけれど」
「いいえ。アサギなら大丈夫です、きっと喜んでくれますよ。ガーベラさんのこと、とても好いてましたし。……ところで、大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
突っ込んできたトモハルに、ガーベラは笑って誤魔化した。
「ありがとう、大丈夫よ。寝不足なの」