■空虚な部屋
イラストはSKIMAで依頼したトランシスです。
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その行為は、なんの愛情もない偶発的なものに思えた。
「なんっ……なのっ! どうしてこんな酷い事をっ」
扉に押しつけられていたガーベラは、解放されると振り向きざまにトランシスに手を上げる。難なくかわされ、悔しさから唇を噛んだ。
「酷い事? 立ってスるの、オレは好きだけど? 嫌い?」
悪びれた様子もなく不思議そうに問われ、怒りで顔が真っ赤に染まる。
「そういうことじゃないわっ! どうしてアサギの前であんなことをするのっ! あの子はっ」
「人に見られるの、嫌い?」
「はぐらかさないでっ! あまりにも意地が悪いっ」
「意味が分からないよ、ガーベラ。あの女は、色んな男と同じことをしてるんだろ? そう教えてくれた。トビィの部屋にでも駆け込んで、今頃よろしくやってるさ。ここの向かいだもんな」
冷淡な声で告げられ、全身が凍りつく。こちらの真意を探るような瞳に、ガーベラは瞳を逸らした。
「あいつさぁ、まだ子供が出来ないんだって。だから、やりたい放題。責任をとらなくてもいいから、男はホイホイ群がるだろうな」
歪んだ笑いを頬に浮かべたトランシスは、よろめきながら寝台に転がった。
その背中が、妙に物悲しく見える。あまりにも憐れに思え、ガーベラはしがみつくと頬を寄せた。
ただ、彼にかける言葉が見つからない。慰めようにも、教えたことは全て出鱈目だ。恐らくアサギは、自室で一人泣いている。
それでも、今更真実を告げる勇気はない。
「忘れましょう。驚いたけど、さっきの貴方はとても情熱的で素晴らしかった」
「そう? ありがと。ごめんね、乱暴にして」
「いいのよ、好きにして。貴方を愛しているから平気よ」
離れたくないとばかりにしがみつき、瞳を閉じる。愛おしさが募り脚を絡め、トランシスの匂いを鼻孔いっぱいに吸い込んだ。
「今度からは、愛するガーベラを気遣う。これからここで共に暮らしていくんだから、当然のことだ」
優しいトランシスに、ガーベラは陶酔して溜息を吐いた。
「ありがとう。ただ、……その。私は子供が出来ない身体なの、子供の頃に出した高熱が原因で。男の人は跡取りを欲しがるって聞いたから、ずっと不安だった。こんな私でも大丈夫かしら」
静かに告げると、トランシスは驚いた様子もなく開口した。
「子供が出来ても出来なくても、ガーベラであることに変わりはない。問題ないよ」
「嬉しいわ。……愛してる」
色々と不安はあるが、彼も混乱しているのだろうと前向きに考える。今はまだ環境に戸惑っているだけで、真摯に愛を注げばこちらを向いてくれると思った。
『オレと同じでアサギしか愛せない』
トビィの声が聞こえるが、覆してやると意気込む。
力を籠めてしがみつき、背中に幾度も口づけた。改めて、寝台で優しく愛して欲しいと訴える。
しかし、気づけばトランシスは寝息を立てていた。少しだけ憎らしく、起き上がって頬を突く。愛らしい寝顔に脱力し、ガーベラも黙って寝転がった。
この時はまだ、輝かしい未来が待っていると思っていた。
二人の仲が認められ、気兼ねなくこの館で暮らしている。普段通り唄うために出掛けるが、仕事が終わるとトランシスが迎えに来てくれるので、腕を組んで帰宅するのだ。誰もが羨み、道行く先々で祝福される。
そんな、甘い空気が漂う暮らしが待っていると願って眠りにつく。
トランシスが惑星クレオのガーベラの部屋に住み始めてから、数日が経過した。
館の空気は常に軋んでいるが、二人が文句を言われることはなかった。異端の目で見られることはあっても、そこにいないものとされている。
無視されることがこんなにも辛いことだと思わず、ガーベラの胃はキリキリと痛む。
ただ、彼らの気持ちも分かる。皆が大事にしているアサギの恋人を奪ったのだから、当然の報いだとも思っていた。
しかし、無言の圧力に気疲れするガーベラとは反対に、トランシスは勝手気ままに暮らしていた。
「ハァ……」
重苦しい溜息を吐いたガーベラは、食堂で紅茶を淹れる。これは日課であり、些細な休息だった。しかし、どんなに上等な紅茶を淹れても、気分は沈んでいる。
というのも、あの日以来、トランシスと身体を重ねていないのだ。ずっと同じ部屋にいるのに、砂糖菓子のような日々とは縁遠い毎日が続いている。無味無臭で味気なく、辛い。
食べ物の力で鬱憤を晴らそうとするが、物悲しい卓子を一瞥し唇を尖らせた。
最近、茶菓子がない。
以前は、見慣れない美味しい食べ物が毎日置いてあった。それらは、アサギの手作りだった。トランシスへの差し入れで作っていたが、目的がなくなったので作ることを止めたらしい。
口寂しいので、外へ買いに行くべきか思案する。しかし、出るのも億劫で紅茶を飲むと自室に戻った。
「おかえり」
トランシスは、窓から外を眺めていた。
「……ただいま。ねぇ、お散歩しましょうよ、部屋から出ていないでしょう?」
苦笑して誘うが、トランシスは首を横に振る。
「ここがいい。ガーベラの部屋にいたい」
無邪気に微笑むので言い返す気にもなれず、ガーベラは口を噤んだ。
トランシスは館から一歩も出ていない。それどころか、一日の殆どをこの部屋で過ごしている。何をするでもない、寝ているか、外を眺めているかのどちらかだった。
『アサギとは、色んなところに出掛けていたのに』
幾度、そう告げようとしただろう。だが、トランシスを前にすると言葉が出てこないのだ。
「でも、退屈でしょう?」
「全然。愛する女が近くにいるから、それだけで十分だ」
満足げに微笑む彼に、ガーベラの心がじわじわと痛む。以前なら嬉しかっただろう、しかし、素直に受け止めることが出来ない。
『貴方の言う“愛する女”って、誰?』
訊きたいのに、声を出すことが出来なかった。訊かなくとも、答えを知っている。認めたくないので、訊かない。
二人で一つの部屋にいるのに、会話が続かないので、すぐに無音になる。
あまりにも窮屈で、部屋から逃れたいと切に願う。トランシスと一緒にいたいので唄うことを止めていたが、起きてから眠りにつくまでの時間を持て余し、苦痛だった。
このままでは唄を忘れてしまいそうだったので、明日から復帰することを決意する。
「トランシス。私は明日から教会へ行くけれど……一緒にどう? 子供たちの世話をするの、楽しいわよ」
答えは解っていたが、一応訊ねた。